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フィジカルシアターLABO2023 振り返りノート DAY3

1月3日から5日に、「Beにフォーカスする」というテーマで、フィジカルシアターLABOを開催しました!
いろいろなワークや、私の今考えている視点をシェアしながら、参加者の皆さんと共にリサーチを重ねた3日間を振り返ります。


振り返りノートDAY1,2はこちらから↓




DAY3のテーマ
【観客との関わりの傾向の中で、気付いて、やめて、選んでみる】


★昨日から今日までに考えたことや発見したことのシェア

・自分の傾向、他者(相手役)との関わりの傾向に気付いたら、次に観客との関わりの傾向、が出てくると思う。同じく、不要な傾向に気付き、やめて、これまでの自分とは違う方向を選んでみたいし、行ったことのないところに行くことを許可したい。
・なんにもしていない私、はすでに豊かでたくさんの情報を観客に渡すことができるのではないか。そこを信じて、自分丸ごとを見せてみることにトライしたい。

★人前に出るときに、なにをしているか、を調べてみるワーク。
・客席を作る。
・ひとりずつ舞台上に出てきて、観客と繋がったなと思ったら、与えられた短いセリフを言い、もういいなと思ったら舞台上を去る。
・他の参加者は、観客になる。
・シェア。「舞台上に出るという状況で、何をしていたか?」
→つながり方、見せ方の傾向に気付く。観客に対する恐れや、自分が楽しませなければというDOの思考に気付く。
→その傾向があるということは、どういう前提を持っているのか?ex,観客は自分をジャッジするもの。自分は動いていなければ見続けてもらえないetc
→その傾向ももちろんOK。だけど他の方法も選びたい。今ここにいる自分丸ごとで観客と繋がってみたい。


★自分丸ごとを使うためのフィジカル的なアプローチ
・自分の周りの空気をあっためるエクササイズ。自分の周りの空気を、手を使ってお風呂のお湯を混ぜるようにかき回し、温める。
・大きくなるエクササイズ。空間の中にフィックスポイントを作り、そこを掴んで、ポイントから出来るだけ身体の各部位が離れるように動いてみる。
・光になるエクササイズ。光を全身で表すポーズを考える。両手両足が外側に開いているポーズ。そこから全身で光になってみる。身体全体、眼も、頭の中も、毛穴全部も光になり、外側へ放たれていくイメージ。
・七色になるエクササイズ。光のポーズの延長線上で、赤、橙、黄、緑、水色、青、紫の七色になってみる。色が変わっても外側に放たれ続ける。どのように質感や感じ方が変わるか。

・DAY1のように、地球と自分の中心が繋がっていることを感じる。
・丹田のセンターに、オレンジ色の光の球があるイメージを持つ。光はあらゆる方向に、外に向かって出続けている。温かさも感じる。
・センターをイメージしたまま、空間の中で好きなことをする。センターから生まれた衝動を、実現させてあげる。思考は気づいたら流すように。
・同じように空間の中で動きながら、センターの位置と色を変えていく。
みぞおちに黄色のセンター、骨盤の底・性器のあたりに赤色のセンター、胸の中央に緑色のセンター、喉のあたりに水色のセンター、眉間のあたりに濃いブルーのセンター、頭頂部の上のあたりに紫色のセンター。
・最後に、全部のセンターから七色の光が出てるイメージで動く。

★最初にやった人前に出るワークをもう一度。
・ひとりずつ舞台上に出て、セリフとして自分の名前を名乗る。

★全体でのフィードバック

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DAY3の最後には、何かをしようとしなくても、そこにいるだけで満ちている俳優の状態を、全員が少しずつ体感できたかと思います。
観客として見ている側のフィードバックとしても「ずっと興味深く見ていられる」という声がたくさんあったこと、やり方や形などのDOではなく、ただそこにいる俳優のBEの強さや美しさを、シェアできたことが全体の収穫でした!

以下、抜粋になりますが、3日間を通しての参加者の皆さんからの感想をシェアします。



参加する中で、自分の身体にフォーカスしていろんな部位に触れた際、わたしが「これがわたしだ!」と自覚している部分はいくつかの点に過ぎず、私の身体の中にあるいくつもの焦点はいつまでも無限にあることを知りました。
そして同時に、人は感じることも、思うことも、考えることも、それ以外にもたくさんのことをいっぺんに行っている中で、どんなことに注目するのか自身で決めていることにも気が付きました。
ワークの後に毎回分析をして、なにを「DO」したのか考える時間、教えていただく時間が素晴らしく、共感したり、発見があるなかで「わたしの生き癖」をいくつか自覚することができました。
連続ワークショップの良いところで、その自覚を持ち帰り、なぜその生き癖がついたのか掘り下げて、今目の前にいる人たちは不用意にわたしを傷つけないという信頼をもってその自覚した癖を「やめてみる」しました。
それだけでも、今までもっていた「感性の送受信」のポストが変わったようで、怖くもあり、嬉しくもありました。世界はもっと広くて、もっといろんな人がいました。

最終日「色の光」のワークで自身のあまり出していなかった色をいくつか自覚しました。
何度も内照に向かってしまった色味は、きっと意図して外に向けて来なかったり味わって来なかった色なんだろうなと、その色のニュアンスカラーも楽しめたらいいなあと思いました。
そして簡単な言葉を何もないところから、言うこと。
何もないから見えたものが沢山ありました。
「憎悪」の前に何が起きていたのか、着火点は何だったのか、考えることを与えていただきましたが現時点では「何者でもないこんなわたしがみられること」も「うまくできないわたしをみられること」も「うまくやろうと頑張る姿勢をみせることをしないこと」もぜんぶひっくるめた「今この瞬間わたしがみんなの前にいることを許可する」ことをしたのが大きな揺れ始めだったのではないかと思っています。
そして最後に「わたしは〇〇です」となにもないところから言うことはとてもこわかったけれど、この数日間を共にした人たちの中だから言えることもあったりして、その信じられる小さくて大きなものがとても有難くて、嬉しかったです。
みんなの、ありのままがみえた瞬間が愛おしくて、その時間がとっても美しくて、その時間があったからのぞめたこともありました。

3日間を通じ、
- 一人でいる時のクセ、共演者との関わりのクセ、観客との関わりのクセを知り、
- 違うアプローチも試してみる(いつもと違っても大丈夫なことを知る)
という趣向が、まさにLABOという感じで楽しかったです。
ワークの中でクセを否定するのではなく、オルタナティブの提示というアプローチをとってくれたのが、ありがたかったです。今回気づいた色々なクセたち。パフォーマンス時には別の選択もできたら良いけれども、日常生活においては私のことを守ってくれているので、可愛がってあげようと思いました。

今回のLABOでは、無意識のdoに意識的になる(doをやめてみる選択もある)、beである、ということが繰り返し言われました。私なりの解釈としては、ゆめちゃんの演劇は「私のありようを身体を通じて世界(=空間、共演者、観客etc)に提示し、世界を身体を通じて私に取り入れる」ことなのかもしれないと思いました。そのために動きを探求し、身体を豊かにすることで、身体と心(≒be)の距離を限りなく近くすることが必要であり、阻害要因となりうるクセ(≒do)に意識的であることが必要だというアプローチなのかもしれないなと。
それは、何かにつけて「もっと感情を出して!」という演出手法、極端に言うと役者にdoをさせることで作りもののbeを表現させようとする演劇に対する強烈なアンチテーゼにも思えます。

フィジカルシアターLABOを受けた3日間という中で、たくさんのものに出会いました。中でも1番心に残ったのは「ありのまま」という言葉。

日々の生活の中で、私たちは常に「何かをしている」
「何もしない」という時間を味わってみるワークの中でなんだか妙に不安になったり、無意識で何かをしようとしている自分に気がつきました。
人と関わるときもつい「この時間をドラマティックな時間にしたい」と思って感情を不自然に増大させようとしている自分がいたり、そのままの自分でただ舞台上に立つというワークが死ぬほど怖かったり。
「ありのままの自分」に信頼がないのだなぁと感じました。
けれど、そのままの自分で舞台上に立つワークを受けてる仲間たちの姿は、とても美しくて可愛らしくて、"その人"を見ることや知ることそれ自体が、喜びなのだなと知りました。
そして、ワークの最中に夢ちゃんが、自分の足をほぐすアップでたびたび自分の足に「可愛いねぇ」と言っている姿や、自分の中の発見や思考を「素敵!」と言ってくださる姿が、心に残っております。
他の人に思った"素敵"という言葉を、夢ちゃんが使っていらっしゃる"可愛い"という言葉を、もっと自分にかけてあげたいし、かけてあげられるかもしれないなと、そんなことを思わせていただいた3日間でした。


私にとっても、新しいエクササイズを考えたり組み合わせたり、楽しい作業と学びの時間になりました◎
また開催したいと思います!

参加してくださった皆様、感想をシェアしてくださった皆様、ありがとうございましたー!


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