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中国訪問記 2002

 11月の始めに1週間ほど中国の武漢を訪れた。GPS関連の国際シンポジウムがあり,それに参加するためであった。武漢は揚子江沿いの都市で,上海から500kmほど上流にある湖北省の省都である。人口800万人の大都会で中国のど真ん中に位置している。中国の開発は沿岸部の開発から内陸部へと進みつつあるが,武漢はまさに開発の最前線にある。超近代的なビル街と中国古来の街並みが隣接していて,あまりの差に仰天してしまう。広い道路では,雑多な乗り物と人間が先を競っていて,横断歩道といえども,四方八方注意しないと道路を横断できない。まさに,800万人の人間の巨大なエネルギ-に沸き立っている。

 表面だけ見ていると,このまま順調な発展を続けて10年もすれば,中国は間違いなく豊かな先進社会を実現するように見える。しかし,13億の巨大な人口を抱えている中国が,均しく豊かな社会を実現することは可能であろうか?現在でも,すでに大きな貧富の格差がある。この格差を埋めることは可能であろうか?13億と言う桁違いに巨大な人口を考えると,かなり難しい気がする。

 豊富な労働力を利用して世界の工場になるから,どんどん豊かになるんだという考え方もあるが,世界の工場の労働者はそんなには要らない。高々1億強の日本の人口でも,巨大な工業生産力を築き上げて,世界の工場と呼ばれたことを考えてみればよい。要するに,13億の人口は,工業化だけでは養えないと考えるべきであろう。

 現在,沿海部と内陸部,都市と農村で大きな所得格差が生まれつつある。経済発展のわりには失業者が多い。それにもかかわらず社会的安定を保っていられるのは,経済発展が持続して中国全体が豊かになれるという期待があるからであろう。現在の高い経済成長率にかげりが生じ始めたら大変である。期待が幻想に変わってしまう。したがって,中国はどんなことがあっても,現在の成長率を維持し続けねばならないであろう。いわば,巨大な自転車操業である。

 しかし,上の議論は欧米型の豊かさの追求を前提としている。われわれは豊かさと言うと,欧米型の豊かさを考えてしまうが,豊かさにもいろいろあってもよいのではないだろうか?欧米型の豊かさには,物質的な豊かさを欠かせない。世界の人口60億の中で,このような豊かさを享受しているのは多く見積もっても一割の6億にもならないであろう。それにもかかわらず,地球には深刻な環境問題が発生している。そこに,新たに13億の人が加わったら,大変なことになるであろう。

 もちろんテクノロジ-の進歩により,環境負荷を減らすことは可能であろうが限度がある。物質的豊かさに重きをおく文明のあり方は,転換点に達していることは明らかであろう。新しい方向が模索されねばならない。

 中国は紀元前数千年の昔からの文化国で,紙や火薬や羅針盤ばかりでなく,様々なものが中国で発明された歴史がある。さらに,中国文化は他の追随を許さぬような独自性を持っている。欧米文化が今後衰弱するとまでは言わないが,ある種の行き詰まりになることは避けられないであろう。その行き詰まりを乗り越える,新しい文化が中国から生まれることを大いに期待したい。13億の人口と巨大な国土の上に展開される中国の文化は,そのような期待に応え得るポテンシャルを秘めている。

 欧米型の近代化の結果,精神よりも物質の重視,自我の無制限の拡大,農村から都市への大規模な人口の移動がもたらす弊害に悩んでいる国は多い。このまま行くと,農村の疲弊と都市の無秩序が果てしなく進行する恐れがある。これらの流れがもたらすものは,文明の荒廃である。すでにその兆候はある。

 要するに,欧米型の文化は,人間の幸せと言う観点からは,かなり問題がある。欧米の文明は、"健全な"闘争性をその根底に置いていると思われる。自然災害や伝染病の克服も,そのような観点に基づいている。しかし,このような考え方の弊害も大きいのではないだろうか?そのような考え方によって,見えなくなってしまう部分があるはずである。

 中国がこれからどのような変貌を遂げるかは,誰にも予想できないであろう。決して,現在の延長線上にはないはずである。

(2002.12.17)

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