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分裂する人格〜リモートワークが暴く本音〜

喋らない日があってもヘッチャラ

先日、事業部長から電話を頂いた。内容は私の賞与に関することだ。ざっくり言うと、私の人事評価は最高ランクだったが、部の業績が芳しくないばかりに賞与の額が1段階下がった評価の分に引き下げられ、その詫びの電話だった。特に不満はなかったから「はい、そうですか」とそれらしい返事を返した。

本題が終えると、部長は別の話題を振ってきた。

「今週からリモートワークし始めたらしいけど、調子は大丈夫?」

「リモート環境は一通り揃えたので業務に支障はありませんね」と返答した。

少し雑談を挟んだ後に部長は次のように切り出した。

「心配なのは一人暮らしの人なんですよ。だって下手したら誰とも話さない日が続くわけでしょ。君のチームのリーダーはそうじゃないけど、人によってはこういう雑談をすると延々と話したい気持ちが止まらない人も結構いるんだよ」

確かに喋らない日が続くと心が病むな。でも私は週の半分は出社して人と話す機会があるし、喋らないことのストレスはあまりない。心配しなくて大丈夫です。自分は平気ですと、快活に話し、長電話にならぬうちに電話を終わらせた。

その後、ネットでリモートワークに向いてる人とそうでない人の違いについて調べた。

引きこもり耐性が強い人。言い換えると、休日一日中家に一人でいても平気な人はリモートワークを楽しめ、どこかに外出せずにはいられない人はコミュニケーションレスに心を病みやすいという。

そういう点では自分は大丈夫だ。

基本インドア派。引きこもって読書や料理をするのがデフォルトの人間で、リモートワークも実際楽しめてる。

リモートワーク1週間目で感じた不安

リモートワークは自分に向いている。それは間違いない。チャットでコミュニケーションするのは苦手じゃないし、周囲の視線を気にしなくていいのは凄く快適だ。何より朝の時間を有意義に使えるのはすばらしい。

違和感を感じたのは、長時間集中して大きな仕事をひと段落つけた後だった。

少し頭を休めて、仕事を再開すると、突然…

「どうしてオレはこんなつまんねぇことやってんだ?」って心の中で思った。

仕事に退屈を覚えることは職場にいても何度もあった。だけど、その場では仕事しかやることがないし、だったら仕事を楽しんで、いい結果を上げようじゃないかって気持ちを少しの時間で切り替えれた。

そうできたのは、なにより職場にいるときの私は「仕事中の私」になっているからだ。普段の一人称は「オレ」だけど、仕事のときは「私」になっている。それは意図的に切り替えているのではなく、自然と人格の面が切り替わってるのだ。

職場にいるときはずっと「私」になっていて、「オレ」は出てこない。しかし、リモートワークの時は、仕事に集中しているときは「私」であるけれども、集中が解ければ、いつものように家で過ごす「オレ」になる。

「私」と「オレ」が入れ替え入れ替えになる。そして、「オレ」は言うわけだ。なんでこんな仕事してるんだ?

時折り、どっちが本当の自分か分からなくなる。

深呼吸をして冷静に考えれば分かる。どっちも自分自身なのだと。ただ、複数の一人称がせめぎあうとき、心に占める声が大きいほうこそが、より本心に近い心を持った人格なのだ。

自分の場合は「オレ」だ。

「オレ」と「私」のせめぎ合いは心の葛藤だ。

ひとりぼっち。一日中喋らないことのストレスはあまり感じない。

しかし、リモートワーク前は週5日近く占めてた「私」が、「オレ」に取って代わられることで、オレは自分自身の本心と向き合わざるを得なくなっている。

コロナがもたらしたリモートワークは向き合うことを提供してくれるありがたい機会なのかもしれない。

気を付けるべきは葛藤に心を押し潰されないことだ。目先の葛藤を安易に和らげようと心を偽れば、本心を……もとい、自分を裏切る苦しみに苛まれるのだろう。


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