見出し画像

山下和美『ランド』第一巻を読んだ感想(1533文字)

知らない世界を見たいと欲する子どもの心情を描く作品はこの世に数多ある。この作品は他のどの作品よりも子どもの好奇心をありのまま偽りなく描いてくれている。

本作の著書は「天才柳沢教授の生活」で知られる山下和美さんだ。日常の中の喜怒哀楽を描いてきた山下さんが次に筆を執った作品がこの『ランド』だ。柳沢教授とは相反して本作は世界の謎に迫る壮大なスケールの物語だ。単行本は現時点(2020年4月)で10巻まで発売されている。だから"一巻を読んだ感想"だなんて今更感否めない。それでも、この作品から感じたエネルギー/魅力を文字としてここに表して、より理解したい衝動に勝てなかった。

『ランド』の舞台は四方を山々に囲まれた村だ。村の外や村組織の上に国はなく、すべての政が村単体で完結しており、主に占いや伝承を用いて統治がされている。

村は以下のようなルールで村民を縛っている。(他にもあるが主な部分だけ抜粋)

・山のこちら側は「この世」で山のあちら側は「あの世」。
・「あの世」を行き来できる生き物は鳥だけ。
・「あの世」へ行ける人間は知命(50歳)で死んだ人間だけ。知命=寿命。その年齢になると人間はポツンと死ぬ。知命より前に死んだ人間は「あの世」に行けない。
・「この世」の人間が山の向こう側(あの世)に行こうとすれば山を取り囲む神(エヴァの使徒みたいな見た目)に鎌で切られる。
・夜は神が動く時間。日が沈んだ後に外に出たら鎌で切られる。

物語の主人公はそんな村に生まれた8歳の少女・杏だ。
ある日、杏の膝に突然ちいさな袋が落ちてきた。空を見た。それは山の向こう側から飛んできたトンビが落としたもので、中には植物の種が入っていた。「あの世」にも生き物が生きて、花は咲いているんだろうか。杏は「あの世」のことに興味を持つ。

画像1

「あの世」に興味を持つことは「この世」の理/神の意志に逆らうに等しいことだった。人々は神を恐れ、敬い、「この世」の中で"普通"に生きようとする。だから"普通"とはかけ離れたことをする人間には大衆意識に任せて「処刑しろー」と叫ぶ。まるで「非国民!」と叫ぶ戦前の日本人のように。

周りのおかしな常識と闘って自分の考えを貫こうとする物語の主人公はめずらしくない。だけど、そういう主人公は概してヒロイックで神話的、要するに特別な人間のように個人的にはいつも感じる。見ていてカッコいいけど、空の上の人間でときどき共感に欠けて、その物語を第三者的視点でしか読めないときもある。そういう作品にはまた別の魅力もあるんだけどね。

でも、杏が「あの世」に向ける瞳の輝きはすべて子供ならではの純粋な好奇心からだと思う。それは誰しも一度は抱いた好奇心だ。杏は村のルールを受け入れたうえで、山の向こう側の世界を夢想する。だからこの作品を読んでいると、杏に乗り移った気分になれる。子供の時の自分に戻って、世界の不思議に心をわくわくしたあの頃を追体験しながら、杏が目にする"あたらしいこと"に杏と同じ気持ちで感じることができる。親や周りの大人が止めてもその気持ちは抑えられなかったはずだ。

トンビが落とした種を手にしたことからはじまり、様々な出来事が杏の身に降り注ぐ。
そして、この第一巻の最後、杏は鷲につかまって空を飛び、「あの世」を見る。それは悲しいことでも嬉しいことでもなかった。「あの世」の光景が特別美しいわけでもなかった。なのに、杏が神の頭上よりも高い天空から世界を見渡した瞬間、涙がぶわっと溢れ出てきた。

画像2

ただただ感動した。自分の中の小さな世界が急に無限大に広がるカイホウ感とでもいうのだろうか。堅い種を内側から割って、空に向かってのびる花が自分の心に咲いたようだった。

私生活で抱えていた行き詰まりが一気に取れた。
この春、新しい気持ちで新生活を迎えたい人にこそ、この作品を薦めたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?