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2018.09 糸の切れた凧になったわたし

生き方を変えてみようと会社員を辞めて地元を飛び出してしまったわたしのこと。

もともと能天気な子どもだった。
小学生の頃、テレビで放送されていたマヤ暦の予言(近い将来人類が滅亡する)を結構本気で信じ込んで、絶望するどころか、将来の心配をする必要がないことを喜んだ。だって宿題をやらなくて済む。
ところが、人類が滅亡するより早くわたしは成長してしまって、逸脱を恐れる大人に近づいていった。
とはいえ、いつも自分の直感や好奇心に忠実ではあった。それが高じてときには衝動的な行動で周囲を心配させることは多々あった。
10㎞くらい離れた病院に歩いて見舞いに行こうとしたり(途中で確保された)、
アルバイト先で知り合った中国の友人の里帰りについて行ってしまったり…。

働いてお金が手に入るようになると、好奇心の赴くまま旅に出て予期せぬ出会いに巻き込まれるのを楽しんだ。
旅先で未知のものに触れると古い自分が壊されて新しい感覚が流れ込んでくるような気がした。
もっと知らない遠いところへ、
だれかの暮らしの深いところへ。
ふらりとおとずれた旅先でそのまますみついてしまえたら…と空想しながら、月曜日にはきちんと(たぶん)会社員へ戻っていった。
旅の虫に取り憑かれながら、一方でどこにいても同じじゃないかという想いも持ち続けていた。
それは投げやりな気持ちとか諦めとかではなく、マイルドな反骨心に近いような気がする。
どこにいても同じならば、まずは生まれ育った場所でわたしの暮らしを編んでみようと。
その選択は堅実なようであったし、身近な人たちからは喜ばれていたと思う。「身近な人を喜ばせる」というのは野心のないわたしにとっての指針だった。
そうして四半世紀を地元で過ごした。

「それじゃ、まるで糸の切れた凧じゃないか」といったのはわたしの祖父だ。
会社員を辞めると報告をしたときのことだ。
大きな四角い箱のなかでの仕事、職場の近くに借りた古いアパートの愛おしい部屋、居心地のいい家族との時間、これらはたしかにわたしを生まれ育った場所に繋ぎとめていた。風が吹いてふいに高く上がっても、戻ってこれる。安定と安心。
なぜそれから一旦手を放そうと思ったのかは、簡単にいうとしっくりこなくなってしまったからだ。
会社とはこういう場所なんだと自分に言い聞かせて働くことも
一度も生まれ育った文化圏の外で暮らしたことがないことも。

しっくりくる場所を探して
生きる場所も生き方も自分自身を決めつけない
旅の暮らしに身を投じることにした。

わたしはどこででも生きていける人間になれるのか。
移動する暮らし、外からみる故郷。
糸の切れた凧になってしまったわたしの記録。

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