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繰り返す経済危機が育んだアルゼンチン人の豊かな生き方

「アルゼンチンから中流階級がいなくなった」

義父アネルが日曜日の食卓時に言った。インフレが進むアルゼンチンでは、毎週のように物価こそ上昇するが、給料は停滞したままだ。

以前中流階級だった人々は貧困層に下がり、ペテン師である政治家だけが富裕層に残り続けている、と声を荒げながらアネルは言う。

確かに最近は、買い物に行くたびに日用品の値段が高くなっている。数年前、買い物に行く時に必要だったのは、たった2枚の100ペソ紙幣だった。大切な紙幣を失くさないよう、何度もポケットの中に手を入れて、その存在を確かめていたものである。

最近買い物に行く時は20枚の100ペソ紙幣が必要だ。不安定な経済に悩んでいるからだろうか、紙幣に書かれた偉人の顔には、いくつものシワが刻まれ、かつてのピンと張った面影はない。

 この数十年間、アルゼンチンは不安定な経済に悩まされ続けている。定期的に訪れる経済危機は、一種の文化なのではと思わざるを得ない。明日は言い過ぎまでも、2週間後、1か月後の生活はどうなるか分からない状況だ。

それでも人々は明るく人生を楽しんでいる。何より、今この瞬間を生きているのだ。そして、それは不安定な経済が影響を与えているのかもしれない。

経済状況については、ネットで調べれば専門家の解説が出てくるだろう。僕は調べても出てこない人々の生活にスポットを当てたい。

不安定な経済が人々にどのように影響を与え、アルゼンチンの人々が、命の炎を燃やすかのよう、逞しくにぎやかに生活している様子を書きたいのだ。

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 マルセロ、僕はあなたについて語ることで、アルゼンチン人の逞しさを紹介したい。空気が肌を突き刺す冷たい冬、ボロボロのフォルクスワーゲンばかり並ぶ小さな工場で、僕たちは毎日2人きりで仕事とたくさんの話をした。3か月という短い期間ながらも、あなたは僕に様々なことを教えてくれたのだ。

コネと汚職だらけゆえに政権が代わると役所の人間が変わる話。町の情報通は床屋であること。シエスタの時間にやってくる香水売り達は町の嫌われ者であること(これに関しては彼に同意する)。

なかでも、とりわけ僕の興味を惹いたのが、一種の冒険を思わせるアメリカ合衆国に出稼ぎに行った時の話だ。

2001年、アルゼンチンは深刻な経済危機に陥った。マルセロが言うには一夜にして銀行口座から全財産がなくなり、残飯を求めてゴミ袋を漁る人々が増えたそうだ。

「あの経済危機で、この国は一度死んだ。そして、再び生まれ変わったんだ」

 この国で生きるのが難しくなったマルセロは単身渡米を決意した。「持ち物は服、あとはマテ壺と大量のシェルバ(茶葉)だった」、マルセロは鉄のストローで熱いマテ茶をすすりながら言う。

渡米したものの、それまで生業としていた美容師の仕事は見つからなかった。必死の思いで手に入れた労働が、車の修理である。

「ネウケン州では、みんな車持ってるだろ。俺も、若い頃におんぼろ車を買ったから、自然と修理の仕方は身についたんだよ。問題は言葉と働き方だ。アメリカ人は仕事に関しちゃ、とても厳しいんだ」

愛する妻と小さな娘を残し、単身で渡米した彼の悲しみや不安は計り知れない。感心しきっている僕に、「大したことじゃない。あの時は、変わらざるを得なかったのさ」と口笛を吹くかのよう軽やかにマルセロは言った。

マルセロに限らず、多くのアルゼンチン人は自身を怠け者と呼ぶ。だが、変わらざるを得ない状況に陥った時、人は逞しく勇敢になれるのだ。国は破綻したが、人々は少しだけ強くなって立ち直った。

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 ファビアンは僕の友人であり義兄だ。一度、ファビアンの職探しに同行したことがある。彼は百枚近くはあろう大量の履歴書を抱えて、ビラ配りのよう手当たり次第に履歴書を店に置いていくのである。

「もう少し職種を絞ったらどうだい?希望職種はないの?」、思わず尋ねてしまう。

「好きなことを仕事にできるやつなんて一握りさ。一日のうちに働く時間なんて8時間だけだぜ。残りの16時間は自由と考えたら、多少嫌な仕事でも乗り切れるだろ」

捉え方の問題なんだ。8時間も仕事しなくてはいけない、と考えれば仕事に情熱や生きがいを求めるようになる。

仕事時間はたったの8時間、と考えると残りの16時間、つまり生活の部分に生き甲斐を求めるようになるのだ。大多数のアルゼンチン人が生活に重視を置いているのは言うまでもない。

理想は、仕事も生活も楽しむことだろう。だが、それを実現できている人は多いだろうか。物価上昇に給料が決して追いつくことのないアルゼンチンでは、一つの仕事にこだわると生活できなくなるかもしれない。

それならばトラヴァハ・パラ・ヴィヴィール(生活のために働く)だ。金は生活を助けてくれる道具だが、人生に不可欠な生き甲斐そのものを与えてはくれない。

 履歴書配りの帰りの車道、運悪くデモ活動に遭遇した。こうなったら30分は動けない。そういえば、何かのガイドブックに「デモはアルゼンチン名物」だと書かれていたが、本当にその通りだ。毎週のように、教師やバスの運転手などあらゆる職種の人々が賃上げを目的に、道路を封鎖してデモ活動している。

ただ、普段のデモは過激ではなく、お祭りのような雰囲気の方が強い。仰々しく旗を振り、小太鼓をたたきながら、よく分からない歌を歌っている。

「なあ、このデモ隊の中には偽物がいるんだぜ」、すぐ近くで行われている手芸品販売の様子を見ながらファビアンは言う。窓からふっとマリファナの香りが漂ってきた。

「デモを盛り上げる仕事があるそうなんだ。プロがいるから、こんなにも盛り上がるんだ」、ファビアンはさらに続ける。

「嘘か本当かは知らないが、他人の土地に数年間住み続けたら、それは自分の土地になるらしい。だから、無許可で空地に住んで、自分のものになったら、土地を売りさばく人もいたそうだ」

 出合ってから4年の間に、少しでも多くの給料を求めファビアンは転々と職を変えた。ファストフード店の店員、スーパーの警備員、車の販売。だが、この一年ほどは家作りに落ち着いている。

今この文章を書いている間も、ファビアンは僕の近所の家の増築を行っている。気に入っていた黒の帽子はセメントで汚れ、靴も見て分かるほどすり減っている。

しかし、口笛を吹き、時にお得意の口の悪い冗談を同僚に飛ばしながら、器用にセメントを伸ばし、日に焼けた赤茶色のレンガを積み重ねる彼は、間違いなく世界に貢献している。

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 アルゼンチン七不思議の一つを紹介しよう。それが、お金がないと嘆きながらも年2回のバケーションは必ず旅行に行く人々、というものだ。

数週間に渡る長いバケーションには、まとまったお金が必要となる。だが、ここの人々は貯金習慣を持たないようだ。正確に言えば、1~2年の短期的な貯金習慣はあり、車などの現物貯金はしている。

貯金は生活に余裕がある時にできる。アルゼンチンでは、外で一切お金を使わないにも関わらず、毎月の生活が苦しい人々がたくさんだ。そんな人たちが、数か月のうちに十分なバケーション費用を貯めるのは難しい。では、どうしてバケーションに行けるのだろうか?

何泊泊まっても無料の食事つき宿のおかげである。休暇中の人々の滞在先は家族や親戚の家なのだ。つまり、アルゼンチン人のバケーション先は次の2つのいずれかになるのだ。

①家族や親戚がいる町(お金がなくて宿泊費を削りたい時)

②リゾート地(本当にお金に余裕がある時)

実際に、ゲストルームを持つ家は多くあり、叔母アンヘリカ夫妻は自分たちでゲストハウスを建てたほどだ。バケーションの目的は、日常から離れてリフレッシュすることなので、リゾート地に行く必要はない。車と遠方に住む親戚さえいれば、素敵なバケーションを過ごせるのだ。

 貯金癖がないのは経済も関係している。アルゼンチンは繰り返しインフレを起こし、なんと過去8回もデフォルトを経験しているのだ。オリンピックやW杯のよう、数年ごとに来る定期的な経済危機に悩まされてきた経験から、たとえ今経済が安定していても、それが長く続くとは限らないと知っているのだ。

数か月のうちに、紙幣価値が大幅に下がる可能性がある。それなら今のうちに使ってしまおう、の精神である。物ではなく記憶に残る経験にお金を使うのも、思い出は金銭以上の価値があると知っているからだ。物質的な富ばかり求めると、寂しい人間になってしまう。

繰り返しの経済危機が、未来ではなく、今この瞬間を楽しく生きるという精神を作り上げたのかもしれない。

とにかく、予測つかない未来に期待してはいけない。今を後回しすることは人生における損失である。

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 最後に、僕の心から永遠に風化しないある一日を紹介しよう。それは2019年6月16日、僕の27歳の誕生日だった。その日はアルゼンチン全土が大停電に襲われた日でもある。

幸いにも、冬の柔らかな陽射しに恵まれた日だった。父の日と重なったこともあり、皆でお金を出し合い、小ヤギを一頭購入した。祝い日は、牛ではなく小ヤギのアサードをするのが伝統だ。

専用の釜に牛肉のぶつ切り、チョリソー、アジの開きのような小ヤギを並べたら、あとはビール片手に喋り続けるだけだ。

「やせ細っているから年取ったヤギだよ、それとも不景気の影響でヤギもまともに食べてないのかもな」、宝石の鑑定士のように目を細めてアネルは言う。

じっくり焼き続けること2時間、酔っ払いとアサードの完成だ。

手掴みした細長いヤギの骨に豪快にかぶりつく。意外にも小ヤギは脂がしっかりしている。べたべたの手のままグラスを持ち、赤ワインを一気に流し込み、口の中の脂を落とす。残った骨はテーブル下で待っている犬に与える、これが正しい小ヤギのアサードの食べ方である。

 義父母宅から帰宅すると、妻のアントはドミンゴ(日曜日)とドルミル(寝る)を掛け合わせ、「ドルミンゴだから、シエスタが伝統よ!」と言い張る。曜日に関係なく毎日昼寝してるのでは、と思っただけで、当然のように僕は寝床につく。移住当初、毎日の昼寝に罪悪感を感じていた自分はもういない。

午後5時になっても電気は復旧しない。ふと外を見ると、室内より明るいからだろう、ベシーノ(近所の人)達がおしゃべりをしていた。当然のように、僕たちも彼らの輪に加わり、何度も回ってくるマテ茶で体を温めた。

日が沈むと、僕たちはアサード用の薪で火を焚いた。ラジオから流れる陽気な音楽に合わせて、話は一層盛り上がり、子供たちは手をつないで踊り始めた。

 この話を通じて僕が伝えたいのは、アルゼンチン人が持つ生きる力だ。今の状況を受け入れて、精神的に豊かな生活を送ろうとする姿勢である。人々は、家族や友人との人間関係を何よりも大切にする。愛する人さえいれば、豊かな生活を送れるからだ。

もちろん僕の周りにいないだけで、想像もつかない生活を送っている人々もいる。

ゴミ袋からその日の食事を探す人々、銀行前に座る赤ん坊連れの物乞い、靴下を履いていない靴下売りの少年、強盗になった男

ここでは誰もが突然彼らのようになる可能性があるのだ。だが、人々はそのような恐怖を打ち消すかのように、笑い、多くの事を愛し、生活を送る。

不安定な経済状況、これこそがアルゼンチン人の「今を生きる力」を育んだと思う。何度も経済危機を乗り越えた人々は、類まれなる逞しさと忍耐力、そして自由の精神を持っている。

 午後9時頃、魔法がかかったように突然周辺一帯が明るくなり、歓声の声と地面を激しく打つ雨のような拍手が起きた。仲間たちと拍手をしていると、僕は同じ経験を共有したアルゼンチン全土の人々と結ばれた気がした。

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アルゼンチン🇦🇷ネウケン州に暮らすライターです。こよなく愛しているのは、マテ茶と長いシエスタ。お仕事のご依頼は、TwitterのDMもしくはoku.305@gmail.comまでお願いします。仕事実績はプロフィールに固定してある「仕事依頼」から。