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ある種、出逢いの年だった。

昼の電車の空き方に年末を感じて、いつもの長い通勤時間を文を考える時間に充てようと思った。

振り返れば、2019年のスタートを海外で切ったことこそが全ての始まりだったのかもしれない。去年の11月頃、突然海外旅行に誘われて、慌ててパスポートを申請した。
それまでも「海外旅行に行きたい」という思いはあったものの、趣味のためにお金が貯まらない私にとってパスポートを作るお金は無かった。この時の旅費が会社持ちで無ければきっと作ってなかったとさえ思う。
初めての海外は夢見ていたよりもずっと落ち着いていて、どこか懐かしさすらも感じた。行き先が台湾だったからかもしれない。2泊3日の初海外を終えた時、予想よりも簡単で身近だった海の向こうに親近感を覚えた気がする。

好きこそ物のなんとやら。

2019年で大きな出来事のうちの1つは、BTOBとの出逢いで間違いない。
仕事も趣味もあまり忙しくない頃、休日が暇で辛かった私はついに韓国ドラマを観始めた。きっかけは友人が話してくれた概要だった。

何百年も死ぬ事が出来ない鬼が、唯一自分を殺すことが出来る花嫁と出会うお話。

その頃の私の「韓国ドラマ」のイメージは「美男ですね」とか「オレのことスキでしょ」とか「冬のソナタ」とかのバリバリの恋愛ものでしか無くて、(ひとつも観たことが無かった)この「トッケビ」の概要を聞いた瞬間に観ようという気持ちになっていた。
今までの自分の世界がどれほど狭かったんだろうと思うほどに「トッケビ」は面白くて驚いた。死神のシーンで流れる「이쁘다니까」はすぐに音源を購入した。おかげで最初の頃に覚えた韓国語は「예쁘다」である。

私は基本的に好きなことを隠さないために、会社で「トッケビ」にハマった話をした。するとひとりが「ドクファ役のソンジェ歌上手いですよ。」と私に言ってきた。歌が上手いと言うならどれほどか。と少し上から目線でYoutubeを開いた。想像を上回る上手いであったことは間違いなく覚えている。それからしばらくの作業BGMはBTOBだった。なぜ聴こうとしたのかは覚えていないけど、ただ何となくであったと思う。
少しずつBTOBの曲に惹かれていって、ただ何となくメンバーを覚えてみようという気持ちになった。MV以外のふざけた動画たちを観ているうちに、魅力を感じるようになった。
今思えば不思議な理由であるものの、その時の私は「今このままBTOBにハマれば韓国語も覚えられるのではないか」という気持ちで自ら沼を突き進んだ。その成果はまだまだではあるものの、何もない時に韓国語を覚えようとした時とは違い、勉強する中での壁を乗り越え続けることが出来た。好きなものが関係することは諦める選択から少し離れるいい材料になると思った。

BTOBと韓国ドラマ、韓国語を知れば知るほどに韓国に行きたくなったものの、海外旅行初心者の私にとって独りで海外に行くことはハードルが高かった。そこで最初にトッケビを勧めてくれた友人に付き合って欲しい。と頼み続け、ついに友人からの誘いが来た。
仕事的に簡単な時期では無かったものの、行きたい気持ちが募っていた私は行けるように調整しようと努力を始めた。が、その努力もつかの間、友人は「推し活動で振り回すことになるから」と一人で行ってしまった。高く熱く積もった私の行きたい気持ちはその後消化することが出来ず爆発し、その数週間後には韓国に足を踏み入れていた。

初めてとそれからの一人旅。

初めての韓国は思っていたよりも大変ではなかった。ように思う。ただ、韓国語も英語もろくに分からない私は常に友人に質問をしていた気がする。時差が無いことに幾度となく感謝した。
注文は一応出来るものの、その時に言われた言葉は一切理解ができない…という壁にもぶつかった。振り返ると、よくそんな語彙力で一人旅したな…と思うほどに何も知らなかった。

一度目の渡韓は、全てアイドルラジオの為の渡韓だった。友人に聞いた話やネットで調べた情報を頼りに観覧して楽しんだ。偶然日本語を話せる韓国の方と知り合って時間を潰したりもした。殆ど韓国語を話せない私と、少し日本語を話せる彼女との会話は韓国語と日本語、英語で成り立っていて、「ルー大柴みたい」と言っても伝わらないんだろうな。とどうでもいい事を感じたりもした。

二度目の渡韓はBTOBが出演するはずだったイベントの為であったものの、イベントが中止になり、アイドルラジオも休みになり、もはや何も予定のない数日間となった渡韓だった。
唯一の救いは、ヒョンシクのソロイベントがあったことと、中止になったイベントで会うはずだったフォロワーも韓国にいた事であった。一緒にヒョンシクを観に行ったり、ご飯を食べに行ったりして時間を潰した。
それでも一人の時間はあって、行先に迷った私は歌詞に出てくるカロスキルや、なんか有名な気がする弘大など…フラフラとさまよった。結果的に好きな服を見つけたり、面白い場所を見つけて有意義な時間だったので良い数日間だったようにも思う。
ずっと行ってみたかった韓国の映画館にも行くことが出来て、日本でまだ公開していない映画をみたりもした。洋画を韓国語字幕で観たので恐らく3割ほどは理解していない。

三回目の渡韓は推しイルフンのセンイルカフェ巡りとアイドルラジオの為だった。
アイドルラジオをみた時に一週間居たいと感じたのもあって、一ヶ月以上前から誕生日週の一週間休みをとり、ワクワクしながら待ちわびていた。
あと少しで韓国、あと少しでアイドルラジオ。と日が進む楽しみの中、そのワクワクは砂のように消え去った。
イルフンがアイドルラジオのDJを9月いっぱいで卒業するという知らせ。
9/28から一週間行こうと思っていた私は、残されたアイドルラジオが1回しかないことを知った。
結果として、アイドルラジオが無かったおかげでセンイルカフェ巡りは成功したと思うし、友達が出来たので後悔はしていない。この辺りの話はその頃書いた渡韓日記があるので詳しく知りたければ参照して欲しい。
韓国に行く時に連絡したら時間を合わせて会おうとしてくれる友達ができた。というのは本当に素敵なことだと思った。

またひとつの出逢い。

今までの文章の時に並行して出逢っていたのがN.Flyingだった。彼らもまた、私にとって大きな出会いだと思う。
初めてN.Flyingを知ったのは、新大久保のグッズ屋だった。
そういう場面に遭遇するといつも不思議で面白いと思うけれど、ハマる前はつまらなくて何の魅力もなく感じた場所が、何かにハマると楽しくてよく行く場所になる。立場が変わると見方が変わるのはこういうことか。と感じたことが数回あった。

N.Flyingとの出逢いは、先に書いた通り新大久保であった。友人に誘われ新大久保でぶらついていた時に流れていた曲が良かった、ただそれだけの出会いだった。
「この曲良い。」と呟くと、友人が「N.Flyingの옥탑방だ。」と教えてくれた。まだ韓国語に馴染めていなかった私は名前を全く覚えることが出来ず、その後も幾度となく「この曲いい。」と呟いては友人に繰り返し教えてもらっていたので、友人は「いい加減覚えろよ。」と内心思っていただろうと思う。

初めて韓国に行った時に、CDショップに行った。勿論BTOBのCDを探すためではあったものの、欲しかったものが見つからなかった。「ここまで来たのに。」という気持ちがあったからか、私は「新大久保で流れてたあの曲のCDを買ってあげよう。好きだし。」と驚くほど上から目線でN.FlyingのCDを探した。恥ずかしいことに、この時でさえ、まだ名前を一つも覚えていなかった。なので友人にタイトルを再度確認して購入した。あんなに流れていた옥탑방がタイトル曲でなかったことにも驚きつつ、貰えたポスターを「持ち帰るの面倒だな。」という気分で持ち帰った。

옥탑방が入っていたアルバム「봄이 부시게」の曲はどれも良くて、多分そのせいもあって、Youtubeで他のN.Flyingの曲を聞くようになっていた。まだメンバーの名前と顔は覚えることが出来ずに、ラップボーカル、プデュボーカル、ギター(Youtuber)、ドラム(Youtuber)という呼び方をしていた。
二回目の渡韓の際、この前のアルバムが良かったから。という理由でCDショップにあった別のアルバムを買った。確か「How Are You?」だったように思う。まだメンバーの名前は覚えられていなかった気もする。6月くらいの話だ。
そうしてN.FLyingの曲を聴いているうちに、知らず知らずに他のアルバムを買っている私がいた。この頃にはもう、N.Flyingの音楽の魅力に溺れていたと思う。
たしかこの頃、貰った時には「要らないな」と思ったポスターを壁に貼った。でもまだ、名前と顔は一致していなかった。
名前が全然覚えられなかったけど、ハングルの形で記憶したら覚えられた。というのはいつのことだったか。名前を覚えてからメンバーそれぞれを好きになるのはすぐだったと思う。

奇跡なんだきっと。

N.Flyingとの出逢いでもう一つ、大きかったのは日本オリジナル曲だと思うう。なんとなくYoutubeで聴いていた時に偶然、この曲が再生された。

冒頭のフェスンの「Oh, stand by me」の部分で一気に心が持っていかれたのを今でも覚えている。その感動の勢いのままTwitterに書き込んだので日付もはっきりしている。6/19だった。
その驚きのまま、N.Flyingの日本オリジナル曲を聴き漁った。どれも好みの曲で驚いた。疾走感のあるメロディに、心に突き刺さるようなフェスンの歌声。スンヒョプのリズミカルで心地のいいラップ。曲によって雰囲気の変わるギターやドラムの虜になった。

9月のはじめ、N.Flyingは日本にやってきた。
11月発売の「Doll/Kick-Ass」の予約会という「…とは?」と思ったイベントでの来日だった。正直まだそこまで…お金はかけなくていいかな。と思っていた為に行く予定はなかった。が、オタクはチョロいものだ。「一部終わったけど人が少なかった。」という噂ひとつで職場を飛び出した。この頃からもうN.Flyingが完全に好きだったと思う。

その後、10月の渡韓では偶然バスキングに2回も行けることになって、「好きなものを自分のカメラに収める」という最高な出来事があったり。そんな勢いのまま釜山や日本のライブに行ったりして。釜山で出会った人と友達になったり。楽しかった。
どんなアーティストでも「好きな曲」と「そうでもない曲」があると思っていたけれど、今の所N.Flyingの曲は前者しかなくて驚きと少しの恐怖感を持っていたりもする。

何もかも触れて確かめてみたいんだ。

簡単で身近だった海の向こうの世界を知って、自分の価値観はまだまだ小さくて狭いものだと感じた一年でもあった。
仕事の面でも、自分が思い込んでいた価値観が思っていたよりも良かったり悪かったりして、価値観を一歩引いて見直すようにもなれた。
自分の好きなことや、やりたいことも少し明確になったような気がして、2019年の出逢いはありがたいものばかりだったように思う。
2019年に生まれた色々な考えを、2020年にどれだけアウトプットしていけるのか。頑張りどきだと思った。

この文章を書き始めたきっかけは、電車で年末感を感じたことが一番ではあるものの、N.Flyingのシーグリの内容に強く衝撃を受けたことも大きな一因だと感じて一人で変な気分になった。
そんな一年だった。

ちなみに友人とはまだ一度も韓国に行ったことがない。

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