不登校なムスコくんのハナシ。

ども、おはようゴッざいます。
本日は何からしようかな。

朝ルーティーンとか、1日のルーティーンがあると時間を有効的に使えそうだが、
ワタシはルーティーン等を作ってしまうと、それが崩れてしまった時にものすごいストレスがかかるタイプの人間なので、子育てしている現時点では難しい。

と、言うのもムスコくん(小2)が学校環境に適応が難しい子なので、学校に行く日もあれば休む日もあったりしてなかなか同じ毎日を繰り返す事ができない事情がある。

本日も絶賛不登校デイ。
去年も3学期は1日も登校しなかった。
今年もそんな雰囲気がすでに漂っている。

ただ、我が家の考えとしては
『そこまで嫌な学校に無理して行く必要はない』
『無理矢理やりたくない事をしても、何も良いことはない。』
過去、無理矢理嫌な職場に出勤を続けて、鬱になった私達夫婦の考えはそこにたどり着く。
こんな小さいうちからあんな辛い気持ちにさせる事に何の意味があるのか。

「本当は頑張って学校に行きたい。」と本人が思っているのであれば、なんとかして
登校できる方法を一緒に考える必要があると思うが、なにせ本人が頑なに拒否している以上、周りが何を言っても努力しても無駄なんだと思う。

去年、まだ7歳にもなっていないムスコくんが寝る前に

『なんのために生まれてきたのかわからない』
『生きている意味がわからない』
『怒られるために生まれてきたの?』

とワタシに言った。

感情のコントロールが苦手で、やりたい事ができるまでは延々とゴネ続けて、「ごめんなさい」が言えない、怒られる事を注意しても何度も繰り返す、人が嫌がることを何度もする、とにかくご飯を食べない、あまのじゃく、挙げていけばキリがないが…そんなムスコくん。
年齢が上がるにつれて、どんどんその要素が強くなっていく。

そんな真っ直ぐに足並みを揃えてくれないムスコくんを、何とかして他の子たちと同じ道を歩かせたくて、必死になっていたワタシ。
いや、正直言うと、『言う事を聞いてくれる楽な子になって欲しい』と言うワタシの都合だったのかもしれない。
毎日思う通りにならないムスコくんにイライラが募り、ムスコくんと一緒になって怒りに任せ、彼の行動一つひとつに対してギャーギャーと怒鳴り散らし、時には手をあげてしまっていた日々の中で、突然投げかけられた衝撃の一言だった。

初めて言われた日、ワタシは泣いた。
彼の言った『その言葉』に対してなんて言ったかはっきりとは覚えてないが、とにかく瞬間的にこれまでの自身のムスコくんに対する言動が蘇り、『ごめんね』や『本当はそのままのあなたで良いのにね』と何度も言った気がする。
6歳の子供にこんな言葉を言わせてしまうなんて…母親として失格だ。
鬼のように逐一怒鳴り散らしていたワタシのせいだ。

その頃、ワタシは朝一緒にムスコくんと登校し、一日中教室の廊下から彼を見守り続けていた。
学校でもクラスメイトの前で公開処刑の様に先生に毎日の様に名指しで注意されたり怒られたりしていた。
それをみていたクラスメイトの大半は、ムスコは注意すべき人物としてインプットしており、先生と同じ様にことある毎に細かく注意したり告げ口されたりしていた。

学校の中の出来事は、やり方等に違和感があったり、モヤモヤする事があったとしても無闇に口出しするものではないと思っていたので、どうにか自分の中にしまっておいた。
ただ、どう考えても理不尽な事が続いたりするのをみていると、学校や担任に不信感が生まれてきてしまう。
理不尽な対応をされるのは、我が子が手のかかる子であるための仕打ちなのか、と思ってしまうが、同時に人に嫌がられる行動を止められないムスコくんに非があるから仕方がないのか、と心の中で渦を巻く。
ムスコくんを守りたい親心もあるが、どうしてこんなにもワタシを苦しめるのかという黒い思いも確かにあった。

今考えると、一番辛かったのはムスコくん本人である事に気付くことができず、自分が辛い事しか考える事が出来ていなかった、一番最悪な時期である。

学校生活に順応できないムスコくんへの焦り、不安、悲しみから、毎日監視する様に悪い所を見つけては注意を繰り返す、怒鳴る、それでも聞かない時は手をあげる。

結果、6歳の我が子から『生きている意味がわからない』という言葉を突きつけられる母親になってしまった。


そのあたりから少しずつ、ワタシの中で息ムスコくんに向きあう覚悟が始まった。

ムスコくんが2歳の頃からワタシの中でずっと疑い続けていた

『発達障害』

もちろん、何も行動していなかったわけではない。
自分なりにできる事はやってきたつもりだった。

ただ、これも今考えると、
『いやいや、大丈夫ですよ!』という言葉をもらって安心したいが為に行動していただけだったんだろう。
保健所などの相談や、発達が不安な親のための親子教室、発達相談に通っていたが、その都度、保険士さんや心理士さんから「この子は大丈夫」とワタシの欲しい言葉は貰えていた。
その言葉を心の支えにして、幼稚園等で何か起きても、厳しく躾をすればいつかこの子はわかってくれる、と思う様にしていた。
そうしないと『この子は大丈夫』と言って貰えていたはずなのに、ワタシの中に拭いきれない不安があることから目を背けられなかったから。

で、いよいよ、目を背けられない状況になった。
やっぱり、親の感覚の方が正しいのかもしれない。

困っているのは
『ワタシ』
ではなく
『我が子』
と、視点を切り替えられた事によって、これまで散々目を背けて逃げてきた現実と向き合い始めることができた。

ワタシという人間は、昔から怖いもの、大変な事からすぐ逃げる人間だった。
若い時に大病をしたが、それも発覚が怖くて病院にいかずに大変な状況になった。
しかも2回も。
ただ、覚悟が決まったあとはいつも必ず強くなった。
はっきりするまでの疑いの時期が一番怖くてとにかく逃げまくるのである。

今回も同じだった。
覚悟が決まったあとの行動は早い。
療育センターや教育機関へ連絡し、発達テストや心理検査、診療所の診察を経て、
晴れて『自閉スペクトラム』と診断を頂いた。
少し前で言うアスペルガーである。(知能指数に問題はないが、考え方が白黒思考で、コミュニケーション能力に難あり)

あんなに診断を下されるのを恐れていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、頭の中がさっぱりすっきりしていた自分に驚いた。

どんな親でも、自分の子は健常児であってほしいと願い、疑いが出てきた時には逃げたくもなるだろう。
すぐ様現実を受け入れようとできる親もいれば、ワタシの様に逃げまくってだんだんと現実を受け入れる場合もあるだろうし、一切受け入れられない親もいると思う。

ただ、診断をもらうにあたって自分が感じた事は
診断されたからと言って、何が変わるわけではない、ムスコくんはムスコくんである事に変わりはないんだと言うことだった。

診断をもらう前は、あくまでも自分で疑っているだけなので、発達障害かもしれないけど、もしかしたら違うかも、、、だからもう少しちゃんと厳しくすればわかってくれるかもしれない。と僅かな可能性にかけてしまう自分がいた。
それが過剰な叱責になって行ってしまったんだと思う。

今は、彼の限界ラインを見極めながら、出来る事、出来ない事を考えてあげられるし、無駄な頑張りをさせる事もない。
それが出来るようになったので、私達親もそこまでイライラせずに済む。

一時期、我が家からは毎日親の怒鳴り声とムスコの叫び声、泣き声、奇声が鳴り響いていて、ご近所からいつ通報されるんじゃないかと不安だった。

が、今は違う。
去年の2月からは放課後デイにも行き始め、学校に行かなくても彼には居場所ができた。
家でもにこやかに落ち着いていられるようになった。
ほとんど怒鳴り合う親子の声は無くなった。(もちろん時々はある笑)

時間はかかったものの、ちゃんとムスコくんに向き合うことができて良かった、と心底思う。

去年の4月から、個別支援級へ変級して何とか登校再開はできる様になったものの、時間が経つにつれてやはり彼にとっての学校は苦痛な場所だったらしく、冬休み前あたりからは登校しても不安定で荒れてしまい、不登校の気配が出てきた。

個別支援級に入る前には、『もう不登校でもいいよね』と夫婦で話していたので、支援級でダメだったらもう本当に無理に学校に行かせるつもりはなかった。
療育センターの医師からも『それでいいと思います。』と言って貰えている。

学校は他の子にとってはそこまで苦痛ではなくても、彼にとっては苦痛でしかないのである。
もちろん得られるものはあるかもしれないが、逆に言えば学校ではなくても得られるものもある。
ムスコくんは放課後デイでそれを見つけられたみたいで、イキイキとしている。
初めて私達親子をそのまま受け入れて、あんなに苦しかった毎日から救ってくれた場所である。
感謝しても仕切れない。


そしてまた今日も放課後デイへ出発して行ったムスコくん。

不登校再開のおかげで、ワタシの仕事タイムや絵描きタイムが半分以下になってしまったが、それは今後どうにかするとしよう。

今後の近々の目標は、ムスコくんを1人で寝られる様にする事かな。
そしたら夜の時間を自分の時間にできる。

自分時間を持てると、それなりに余裕も出てくる。
ただ、人間は欲深い生き物で少し余裕が持てるともう少し、もう少し、と願望が強くなる。
そして今、ワタシはここにいる。

あの辛かった時期に比べたら今は信じられないくらいの安定の日々なのだから、
もっとありがたみを感じながら毎日を過ごさねば。

と、そんなところで本日も駄文がここに誕生した。
朝からちょこちょこ綴り始めた駄文ももうおやつの時間に差し掛かる。
こんな長文書くつもりなかったんだけどな。
noteに向き合うとタイピングが止まらなくなる。
やっぱり、頭の中を文字に起こすのは気持ちがいい。
明日はnoteに向き合った時に何を書くのかな、ワタシ。
全くわかりません。

では、これにて本日の綴り終了とする。

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