MC Taniguchi 『あれは確か…』 を聴いて

Twitterで感想を書こうと思ったけど、ネタバラシ回避のためにnoteで書く。

以下、これを鑑賞したことが前提。

MC Taniguchiは日本のラッパー・作曲家・映像作家。高度な語彙力に裏打ちされた堅く技巧的なライミング(韻踏み)と、それらをプレイフルにまとめ上げる構成力を武器に、2015年からYouTube上で自作ミュージックビデオを公開し続けている知的HIPHOPの実験家。自分は2年ほど前フォロイー伝いに知り、もろもろフォローしていた。
新曲『あれは確か…』を再生し、いつもの堅いライムの呼応に安心感を覚えつつ、なにやらベイカーベイカーが始まったので一緒になって考えてしまう。問題を出されると答えたくなるのが人間の性である。ロコモコ、ドコモと来た時点で答えのワードがオ段に縛られていることが察知されたが、特に意味はわからないまま心の友よ、モロッコ、豊本などと畳み掛けられ(他はわからなかったのであとで調べた)、最後に曖昧□□で模糊が連想されたときアッと思った(巨頭オ)。□は設問の解答だから伏せられていたのではなく、オ段だから伏せられていたのではないか──つまり、これはオ段の消えた世界で失われた言葉を思い出せなくなった男の苦悩であり、これまで自由闊達に韻を踏んでいた曲の設問部分にはしかし、オ段は一文字も使われていなかったのではないか…?

10分ほど悩んだ末に「聴く謎解きだ」とだけ引用RTしたのには2つの含意がある。
まず、自分にとってこのコンテンツが真っ先に中長編の謎解き作品の構成とリンクしたこと。ライムという装飾(距離1のセロトニン)でフックし、クイズという要求(距離2のセロトニン)で参加させ、SF設定という世界観(距離3のセロトニン)に気づかせるという誘導のシークエンス。あるいは、1と2(小謎に相当)のクオリティに気を取らせることで3(大謎に相当)の通底を無痛のうちに刷り込む、多重伏線回収に要求される技量または殺意について。これは自分が『SPACE』の製作で追い求めたものであり、タンブルウィードの某公演も漸近していたであろうものである。ただし、僕らが数時間と数千円を課して届けるこの体験を、MC Taniguchiは3分0円に抽出しているわけだが。
そして第二には、今のところコメント欄や引用RTで紳士的に発生している「ネタバラシ回避」の流れへのリスペクトである。古今東西、音楽作品に対して「ネタバレ」概念が適用されることの空前にも関わらず、である。

自分は以前Museの『Madness』という歌のラストを聴いて「音楽における伏線回収」について考えたことがあったが、これ以上の材料を得ることができずにいた。「仕掛け音楽」の担い手の空白は、音楽が元来直感的かつ逐時的にパフォームされるものであり、理性的で時間圧縮主義的な表現者の引き出しからこぼれ続けてきた結果の必然にも思われる。ここにおいて自分は、MC Taniguchiという小説家あるいは建築家がしかし「音楽」という表現形式を選び続けていることにこの上ないうれしさを覚えるのである。

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