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にがいおもいで


 『瞬間でも最高速度を越えた感情には勝てない』。
私が生み出した言葉史上、一番だと思っているものが、これだ。
この言葉を思いついた経緯は定かではないが、少なくとも、その時点に勝る創作力を、私はいまだに発揮できない。

 遡ること1年弱。その言葉を題材にして、卒業制作をした。
グラフィックデザイン科に通っていたため、デザインをメインとした制作であることは必須条件だった。
先輩たちの卒業制作を見る機会を与えられたが、その中に私の心を動かした作品は、ひとつもなかった。

 そこで私は、私自身の心が最も動く卒業制作を考えた。
元来飽き性な私が、懲りもせず愛し続けているものと、どうにか絡めて作り上げたかった。
そこで浮かんだのが、音楽、小説、そして映像をすべて組み合わせた卒業制作にすること、だった。

 周りの誰よりも早く、制作を始めた自信がある。
季節を追った映像にしたいし、小説を書くのだって時間が要る。
グッズも作りたい、フライヤーもポスターも、最低2種類以上は作りたい。
言わばこれは、映画を一人で作り上げるのと、ほとんど同じようなものだったのだと思う。
原作を書いて、監督もして、宣伝広告もグッズも、すべて一人で作り上げるという、半ば無謀な挑戦だった。

 結果を先に言ってしまうとしよう。引くほどウケなかった。
テイクフリーの制作物を、友人たちが忙しなく補充していく中、私はその様子をただ「大変だね」「えっ、すごいね」などと言いながら、ぼうっと眺めていることしかできなかった。
300枚近く切ったカードも、発注した200枚のフライヤーも、ことごとく残った。
講師陣にも、これと言って褒められた覚えがない。
そこまで書く気はなかったけれど、最終的に万単位になってしまった小説も、カード、フライヤーでともに違う切り口で創作した文章も、二次創作のような制作に負けた。
何もかもゼロから作り上げた私の卒業制作、時間も自分も削って作ったそれは、驚くほど世間に受け入れられなかった。

 努力と苦労は結果に比例しない。強く思った瞬間だった。
デザインや創作は、結局のところ、センスと才能には敵わないのだ。
血の滲むような努力をしても、元々センスや才能を持ち得ている人間も、同じように努力をするのだから敵いやしない。
もう、こんなこと、なにがあっても一生やらない。
3日あった卒業制作展の1日目、私は家に帰ってボロボロ泣いた。

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 時は流れて、現在。
よりによって、とうに過ぎた卒業制作の話をしたのには、きちんと理由がある。
あんなに苦しい思いをした卒業制作。私は、「やってよかったな」と心の底から思えている。

 私に多大な影響を与えたとある人物に、卒業制作の一環で作ったグッズである洋服を、褒めてもらえたのだ。
その前にも、同じグラフィックデザイン科だった友人が、映像について褒めてくれた。時間が経った今にもかかわらず、だ。

 急に目が覚めたような感覚だった。
そうだ、そもそも私は、大衆に向けてなど作っちゃいなかった。
ごく少数の人間の心に、深く刺さって抜けない作品を、作りたかったのだ。
そしてその目的が達成されているのだと、友人の言葉を聞いて、思った。

 昨日の記事にも書いたように、私はとにかく平凡で、デザイナー向きのクリエイティブな人間ではないと思っている。
それこそ、デザイナーの必須条件のような気もする、イラストだってまるで書けない。
自分の中のデザイン的要素は欠落していて、本当に今でさえ、なぜデザインの道に進んだのかと考えてしまう瞬間もある。

 しかし、自分が平凡であること以上に、自分自身の価値観から創作したもので、誰かに影響を与えてみたいという少し危険な好奇心を、愛してやまなかったのだ。
大きくなんてなくていい。ほんのわずかでも、誰かの心に残るものを。
過去の私の制作物が、今を生きる人に褒めてもらえた。
この事実以上に必要な「結末」など、私は要らない。



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