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あるつらい日の優しい衝撃

自分に自信がない。
何もやりたいことがない。
やる気もわかない。
なまけてしまう。

そのままは嫌。
どうしたら?

こういうことって、年間通して、なんなら一生通してのテーマでもありますが、とくに春にいただく多くの質問。

なにより

「自己肯定感」が低い! どうしたら?

という「自己肯定感」についてのものが多いです。

気持ち、わかります。

ちなみに、私は、自己肯定感が元々なかった人間グランプリかもしれません。

どれくらい低いかと言うと

「自己肯定感が “低い” と思うということは、元々高く評価すべき自分が存在すると思っているということなのだから、なんと恥ずかしいことだ。ずうずうしい。自己肯定感が低いとか堂々と思っちゃだめ。本来の自分はもっといいはずだって思ってるってことだから」

と、思考がぐるぐる何周もまわっているぐらい低い(笑)

今はそれは少々笑い話にできるぐらいになりましたが、悩みが深かった時は笑えなかったなあ。

私は物書きだけではなく、テレビなどで時々人前に出るお仕事もさせていただいているので、堂々と自分を肯定し続けていく姿が当然とされているような環境に身をおくこともあります。

すると「やばいやばいやばいやばい」と内心思っていました。

でも、おもてに出た時の自分はなぜか「ひょうひょうとしていた」とか「堂々としている」とか言われることが多く、ほっとすると同時に、自分の内と外との開きにモヤっとすることもありました。

自分をよく見せようとか、盛ってもしかたがない、今更自分を急に大きくはできないとしっかりマインドセットして仕事をしてきた部分もあります。

元々無力なんだから仕方ない。素手でやるしか、と。

そもそも他人の評価で動く人間ではないので、自分で自分が肯定できなければ、うまくできたと言われても落ち込む時は落ち込む。

思考の穴がどんどん小さくなって、呼吸が浅くなって、どこか力んだままぼーっとするような、そんな落ち込み方の時って、まあ寝るかじっとしているしかない。

気分転換に、掃除だの、読書だの、お茶だのですらできない時ってあるじゃないですか。

できることは、せいぜい水を飲むぐらいで。

そういう時だって、本当はきっとできることっていっぱいあると思うんですよ。

でも、無意識にやらないということを選んでいるだけだったりもして、だからそれもまた選択のひとつ。それでよし。

というふうに、時が経ってみればわかるのですが、渦中はそうもいかない。

そんな「渦中」のある日の私を救ったエピソードがあります。

自己肯定感をあげようと頑張る必要もないし、苦しむ必要もない、ただそっと見ているだけで、世界のしくみがわかってくる。

そんな出来事でした。

辛い時は、それを思い出すようにしています。

みなさまのお役にも立てるといいです。

これは、きっとお役に立てます。

それではお話しますね。

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