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ここだけでしか書かない内緒話<月3〜4回配信/文字数で変動>

★月3〜4回の配信予定/文字数で変動★ 作家のお仕事、それまでの日々、テレビ出演、アイドルプロデュース、仕事の裏話、過去のこと、今のこと、人生についてなどなど、思っていたけど言え… もっと読む
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#人生

思いがけないことで最後のスイッチを押される

この健康管理が大得意な私が、久しぶりに体調を崩しました。 ラジオではこちらでちょこっとお話したのですが 騒音が原因という、思いがけない理由。 「健康おたくな私でも、こんなシンプルな外的要因には勝てなかったか……そりゃそうか」 などと思いつつ、これをまた乗り越えることを健康管理のモチベーションにかえています。 現在は、少しずつ回復に向かっています。 「騒音のこと、どうなったんですか!」 と、DM下さった方々ありがとうございます。 ものすごく個人的なことになります

地震の日、手にした地図とコンパス

2011年の311に大きな地震が起きた際、私は家から離れた場所にあるスタジオにいました。 そのあたりのお話は前回の記事にあります。 今回は、その続きとなります。 あの日、私がどのようにしてどんな感覚で家までたどりついたか。 その奇跡的な道のりのお話をしようと思います。 地震が起きた時、自分が関わるコンテンツの撮影に立ち会っている真っ只中だったわけですが、現場はあまりの状況に撮影が一旦中断されました。 カメラマンさんの腕には照明が落ちてきてしまい、氷で冷やしたりされ

地震の日の会ったこともない自分

地震が怖い。 地震がおきた時や思い出した時には強く思う。 そうじゃない時も、ずーっと意識のどこかに「地震が来たらこわい。来たらどうしよう」というのがあるはずだ。 そこを起こしたら、無限にいろんな怖いことを想像できるのであえて無意識と意識をふわふわいったりきたりさせながら、浮かせているという感覚。 現実逃避にように聞こえるかもしれないが、実はこれこそがリアルにいつも有事を考えていることなんだと感じている。 東日本大震災から徐々にそのリアルさは育ってきた。 311のあ

性格変える努力より時間の使い方を変える

「人生って、なんでこんなやらなきゃいけないことがあるんだろう。時間があっという間に過ぎていく」 そう思い始めるとストレスにきりがない。 「なんでこんなにやりたいことがあるんだろう。時間が足りない」 そう思うと、なんだかむずむずと浮き足立つような悪くない焦りが。 ただ、どっちにしろ “なんか時間が足りない” というふうに感じているのは一緒。 そこをクリアしたいなあとずっと思ってきた。 ただ、私は割とのんびりやで朝の起動も遅いし、合間合間に一杯お茶を飲んでボーッと

本当のオールインワン美容

★ 裏技じゃなく、当たり前のことの凄さを実感 ずうずうしいことを言えば、見た目年齢を少なく見積もっていただくことが多く、その際にだいたい訊かれるのが「どうすればそんなに若くみえるの」というざっくりとした質問です。 年齢を重ねれば重ねるほど、本当に当たり前のことが大切になります。 私自身50歳になって、さらにその部分を強化中です。 ちなみにその強化している部分として、ご質問いただいた際に答えるのは 姿勢と歩き方に気を付ける 顔だけじゃなく、全体のフォルムを意識してケ

突然現れた自称不死鳥からの伝言

ものごとって “誰が” “何を” どの”タイミング”で 言うかなんだなあということが、しみじみ思うことが人生ではあります。 これはべつに直接でなくても、本でもテレビでも街の広告でもふいに出くわすことがバチーーーンと自分にはまることがある。 ここ最近そういうことがいくつかあったので、マガジン読者の皆様へ、その大切な言葉をお渡しするべく綴りますね。 これは、1日でも早く届けたほうがいいお話だと今の私なら思えるようなことです。 なのでさっそくスタート。 つづき ↓

辛いことは本当に人生の肥やしになるのか

過去にあったあれこれを、だいぶ時が経ってから あれは辛かった こんな酷い目にあった 許せないと思う トラウマになっている 誰かに知ってもらいたい というようなことを語られている方々のことが雑誌やテレビやSNSや、なんらかのメディアで語られているのを目にする。 正直なことを言えば、以前はそういうことがピンとこなかった。 #Me Too なども、正直モヤモヤすることも多々だったり。 でも、今頃になって、自分の経験を通して理解できるようになってきた。 人生で、理不尽なめ

私の人生の締めくくり

40代最後の日。 もしも100年人生だとして。 私の祖母が104歳まで生きたので、一応ずうずうしく見積もって生きたとして。 今、半分を迎える。 どうやって私は、人生の半分を締めくくるのだ……。 そう思いながら、独特の感覚でこの10日ばかり過ごしていました。 こんなに終わりを意識したことはなかったってくらい。 そして、思いがけない形で締めくくることになったのでありました。 マガジン読者の皆様へ向け、さっそくそのことについて語りたいと思います。

作品の後ろで起きること

とても悲しく、辛いニュースを聞いて、ずっと考えていた。 考えていたというより、自分の奥にしまっておいたもの、なかったことにしたものが滲み出てきて、それで自分が悲しいとか悔しいとかいうより、旅立たれた芦原妃名子さんを思うと、ほんとうにやるせなくなる。 先にはっきりお伝えしておきますが、私はここで、誰が悪いとか、どこに責任の所在があるんだとかいうことを語りたいのではないです。 私は、原作の立場でお仕事をすることもあるし、原作をお預かりして作品にするお仕事をすることもあ

「生活」は見た目に出るという事実

どんなにとりつくろったり、付け焼き刃で頑張ったりしても生き方は見た目に出るっていうけれど。 ただ「生き方」っていう部分が実のところピンとこない。 "生き方" って、あまりにも長尺だし、範囲も広すぎる表現。 それを「生活の仕方」というふうに言い換えると、急にリアルさが増して体感を伴い出します。 生活の仕方は見た目に出る。 そう思うと、急にヒュッと背筋を伸ばしたくなるんですよね。 そして、自分のことでもまわりのことでも心当たりが多々。 先日も「生活の仕方は見た目に出

新しいけれど、残された大切な2024年を

新しい年が始まりました。 地震、そして飛行機の事故で辛い思いをされている方のことの思うと、そして、読者の方の中に当事者の方々がいらっしゃるかもしれないと思うと、パソコンに向かう指が止まります。 ご家族や大切な動物たち友達や彼氏や彼女やお仕事やお家やこれまでの日常や。 大切な存在をなくしてしまった方々に、どんな言葉をおかけしても無力で、ましてやご自分の命をなくされた方には、もうこの言葉も、その方の目を通しては届かないわけで。 お見舞いの言葉を、きれいに並べれば並べるほど

本当のことが話せる日

またこの日が来ました。 この日、このぐらいの時間にここで記事を書くことが私にとっては恒例となっています。 年を越す数時間前にしか思えないこと、言語化できないこと、この勢いで言っちゃえることってあると思うんです。 今日しかとれないお魚、みたいな感覚で綴ります。 フォロワーの皆様、そして、たまたま通りかかって読んでくださった皆様、ありがとうございます。 このあとマガジンの皆様への記事になるので、ここで一旦お別れになる方々に、先にご挨拶させてください。 私に少しでも興味

私まだ回復せずだけどでも

けっこう、正直に、まあまあ踏み込んで書いていると自分では思っているこのマガジン。 この年の瀬に、今回はもう一歩自分から進んでみようかなと、ふいに私になりに思いました。 なんでもかんでも分別なく下品に正直である、デリカシーもなくリアルであるというのは、個人的にはあまり好きではなく、SNSやyoutubeでの生々しい、でも演出された人生の切り売りにも「うーん」と思うこと多々。 でも、うっかり「え!」とか思って、時々見ちゃうこともあるし、そういうところ、人間ってえげつないよな

だらしなさは感染る

できれば丁寧に生きたい。 そんなふうにいつも思う。 昔から憧れの雑誌『暮らしの手帖』に出てくるみたいな、華美ではないけれど丁寧な、コツコツとした、工夫が散りばめられた、ふわっと明るい暮らし。 憧れる。 そしてそれはなかなか手に入らない。 そういう暮らしって、今日始めてすぐにそうなるわけではないから。 毎日毎日落ち葉を払うような、またはミルフィーユのように薄く丁寧に重ねていくようなことを自発的に楽しく続けて、いつしか手に入るものなのかもしれない。 だったらやればい