向かいのおばあちゃん

前の前に住んでいたのは都営の四階建ての団地だった。
家は二階で、向かいに80代のおばあちゃんが一人暮らしをしていて、私たち親子は住んでいた十年間、とてもお世話になった。
引っ越すことが決まり、挨拶しに行って、私とおばあちゃんは泣いた。団地の使用期限があり、10年経ったので出なくてはいけなかったのだ。子どもが転校しなくていいように、近くへの引っ越しだからこれからも会いたければ会えるのに、涙が出た。きっと、もう会わない、会えなくなるって知っていたんだ。

時々近くを通りがかるたびにおばあちゃんの家のカーテンがかかってるか、ベランダの洗濯物があるか見ていたが、数年後、偶然仕事帰りに団地の一階に住んでる人に会ったとき、おばあちゃんは入院していて息子さんが面倒をみてるという話を聞いた。

いつ頃だったか、今から二年くらい前か、ある晩、おばあちゃんが亡くなってしまう夢をみた。夢で私は泣いていて、起きたら本当に涙が出ていた。
その夢をみてからあまり日を置かずに、私はあの団地のベランダが見えるところまで自転車で行ってみた。
二階の部屋には内側から日除けの紙がつけられ、中が見えなくなっていた。それは空き家を意味していた。あぁ、おばあちゃんは亡くなったんだと思った。

2007年に書いたエッセイで、そのおばあちゃんとの交流を書いたものがある。
今回はそれをご紹介します。800字の短い文章です。



 夏のある夕方、向かいの一人暮らしのおばあちゃんが煮物を作って持ってきてくれた。
「じゃこをもらったから煮てみたんですよ。でもお宅みたいに上品な薄味じゃなく田舎の味つけだからしょっぱいけど、ごはんいっぱい一緒に食べて。」
 私もよくおかずを作りすぎたとき、コロッケや煮物、卯の花など、夕方ピンポーンと持っていく。
 今年の春に離婚をして、三人家族から五歳の子どもと二人暮らしになった。二人分のおかずを作るのに慣れなくて多く作りすぎてしまい、そういう時はおばあちゃんのところへすぐに届けるようになった。そうするとお返しにおばあちゃんも何か作って持ってきてくれるようになり、行き来が前より頻繁になったのだ。持って行くときは子どもも必ず一緒で、恥ずかしそうにうれしそうにしている。
 おばあちゃんの煮物は全部しょうゆの色をしていて、こんにゃく、糸こんにゃく、じゃこ天、いかが入っていた。こういうおかずは好きなんだけど自分じゃ作らないからとてもうれしかった。
 食べていて、そういえば私は自分のおばあちゃんの料理って一度も口にしたことがないのに気づいた。母方の祖母は遠くに暮らしていて会ったのは数回だったし、父方の祖母は病気で入院していたから。もう二人ともこの世にはいない。
 向かいのおばあちゃんの作ってくれる料理は私にとって初めてのおばあちゃんの味。
 毎回量は多くはないが心のこもった食べ物を渡すとき、手から手へ、料理と一緒に目に見えない何かもやりとりされている、そんな気がする。



〜最後まで読んでいただきありがとうございます♪〜

この記事が参加している募集

夏の思い出

いただいたサポートは、さらなる文章力の向上のため、書籍の購入に使わせていただいております。 いつもありがとうございます! 感謝✨✨✨✨