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【ミナゴ◇シンドローム(6)】

     ***

「いやー、いい天気っすねー」

 額に手を当て、カンザキが積乱雲のもくもくと浮かぶそらを仰いだ。「こうやってトモダチと散歩するのって、オレ、むかしっから憧れてたんすよねー」

「ともだち? こうやって?」ノボルは声をとがらせて聞きかえす。「まるで夢が叶ったみたいな物言いですけど、寝ぼけてるんですか?」

「いやいやー、辛辣っすねぇ。マジ、バナナっすよ。かるく傷ついちゃいましたよ、オレ」

「それはなによりです。ところで、その傷はどうやったら化膿するんですか? 是非とも教えてくれませんかね。実践しつつ」

「やっはー、ドリアンすねー。オレ、ノボルさんのそういうすっぱいリンゴっぽいところ、嫌いじゃないっすよ」

 しらねーよ、意味すら伝わらねーよ。

 なぜこんなやつと出歩く羽目になっているのか。ノボルは数分前のことを振り返る。

 ――分析してやったんじゃ、おぬしもわっちになにか施せ。

 霧星蛇衣紺が突如そんなことを言いだした。

 なにも返せませんよ。ウチ貧乏ですし。

 そういった旨を伝えると霧星蛇イコンは、

「ならばわっちを手伝え」と言いだした。

「なにを……でしょう?」

「おぬしが拾い、そして奪われた代物。それを取り返してこい」

 どうやって、といった抗議がのどまで出かかったがなんとか呑みこんだ。現状を打破するにはまず、ここからそとへ出る必要がある。

 ひとまず彼女の提案にのり、そとに出られたら助けでも何でも呼んでやろうと思った。

 期限は三日だ、と告げられる。

「それまでに、カバンを奪い去った人物の正体を突き止めてこい」

 可能であれば、カバンを奪還し、それができなければ、その損失に見合った期間を彼女の手足として過ごすことになる。

 甘いんだか、厳しいんだか、よく分からない条件だった。

 地上へ出ると、晴天と地上のあいだに、見知った百貨店が見えた。

 この三日間、どうやら監視役が同伴するらしい。さっそく出鼻をくじかれた。下手な細工ができなくなった、と意気消沈する。

「わっちはぬしらを気にいった。失望だけはさせてくれるなよ」霧星蛇イコンは本当にお願いするような口調で言った。「ぬしらは運命共同体のようなものじゃ。仲良くしてくりゃれ」

 そうしてよこに並んだのが、真夏にスーツ姿の男、カンザキだった。

「やっはー。なんか、そういうことらしいんで。ノボルさん、ここはひとつ、仲良くいきましょう」

 どうやらこいつが監視役らしい。

「助手のようなものじゃ」と霧星蛇イコンが耳打ちしてくる。「好きに遣こうてやれ。よろこぶぞ」

 だれが、なぜ、どのようにしてよろこぶのか。問いただしたいところではあったが遠慮した。

 平日だというのに、商店街はごったがえしている。時刻は午後三時をまわっており、帰宅途中の大学生や高校生が沸きはじめるころ合いだ。

 カンザキはお気楽に付いてくるだけで、率先して指示してくることもない。

 こちらにしてみても、アタッシュケースを持ち去った人物に、思い当たる節はない。

 あのひとは、こちらを助けてくれようとした。だからアタッシュケースを持ち去った。そうでなければ、あの場でこちらのことまで連れ去ったりなどしなかっただろう。カバンが目的ならばそれだけ強奪すれば済んだ話だ。

 なんとかして、あのひとにも被害が及ばないかたちで、解決することはできないだろうか。むざむざ霧星蛇イコン一味に引き合わせる道理はない。

「いやっはー、わがまっますねー」

 唐突に言われ、心臓が跳ねる。

 思考を読まれたようでおどろいたが、むろんそんなことはなく、見遣るとカンザキは両手をうしろに組んで、足元の小石を蹴とばしている。

「ミスターさんって、まえから、ああなんすよねー。気に入った男がいると、すぐに引き抜こうとするんすよ。オレの兄貴も、だからあのひと、苦手らしくって、それで今回、オレが代わりに出張ってきたわけなんすけど。まあ、可愛らしいわがままっていえば可愛らしいんすけどね。ただ、それだけに、怒るに怒れない。殺すに殺せない。そういった微妙なわがままほど面倒くさいことってないんすよ。境界があやふやなことってどうしてこんなに面倒くさいんすかね。マジ、マンゴーっすよ。ただ、だから、善悪っていうんすか? ああいった二元論? そういった分類ってなかなかどうして貴重っすよ。ピーチにパイナポォー、って感じっす」ノボルさんもそう思いません? とカンザキが同意を求めてきたが、「え、なに?」と聞こえなかったフリをした。

 やっはー、とカンザキは楽しそうに笑った。「ほんとノボルさんはバナナっすねぇ」

      ***

 駅まえの交差点で信号が青くなるのを待っているとうしろから、どん、と背中をたたかれた。

「やっと追いついた」

 不意を衝かれたので驚いた。

 振り向くと、友人の植木場(うえきば)千衣(ちい)が立っていた。

「何回も呼んだのに、もう」と彼女は唇をすぼめ、「ノボルってば、すたすた、行っちゃって。あーあ、恥ずかしかった」

「ご……ごめん」

 まずいな、と冷や汗を掻くが、同時に、手間がはぶけたとも思う。

「今日は、なに? 買い物?」

 彼女はこちらの質問には応えずに、よこのカンザキを、ぼんやりと風景を眺めるような瞳で見据えている。それから一転して、ほほ笑みかけた。片手を差しだすと、

「庭番衆(にわばんしゅう)イチと申します。はじめまして」

 自己紹介をした。カンザキは飄々と警戒する素ぶりもなく、「オレ、カンザキっす。ノボルさんのトモダチっす」とチイの手を握った。交わされる握手。

 ノボルは見逃さなかった。チイのこめかみがひくついた様を。

 手を解くとチイはこちらに向き直り、それから柔和にこう告げた。「依頼がないかぎりは、動けないんだからね」

 生唾を呑みこむ。顔はほころんでいるが、目が笑っていない。

「やっはー、なんの話っすか?」カンザキが割って入ってくる。「あ。信号かわりましたよ、ノボルさん」

 さあ行きましょう、と強引に引っ張られてしまう。

 チイを残し、横断歩道を渡るが、その際、背後から弾丸のような舌打ちが聞こえた。

      ***

 植木場千衣について、カンザキはなにも問うてこなかった。ノボルも敢えて自分から水を向けることをしなかった。器に、たぷたぷ、と水のそそがれたカップを思わせる、触れたら一気に決壊してしまいそうな不安定な機微が窺えた。

 黙々とカンザキが歩をすすめるので、ノボルもだまってあとにつづく。

 辿りついたのは、街中にある大きな公園だった。大学跡地に建設された、比較的新しい公園だ。

「ノボルさん。ひとつはっきりさせておきましょう」カンザキがこちらに背を向けたままで口にした。これまでにない、真に迫った声音だ。

 こちらを振り向き、彼は縋るようにこう言った。

「オレたち、トモダチっすよね?」

 劇的なタイミングでハトたちが一斉に飛び立った。噴水が、ふしゃー、と噴きあがる。

「いや、どうでしょう」と言うと、カンザキは地団太を踏んだ。「そりゃないっすよノボルさん!」

 スーツ姿のトゲトゲ常夏フルーツ野郎が、幼い挙動でジタバタとする。「オレ、家族んなかでも一番役立たずで、いっつも兄貴に助けられてて。護られてて。トモダチなんてできないし、オレと組んでくれる仲間もいなかったんすよね。それがっすよ、今回、兄貴がオレにお願いしてくれたんすよ。あの兄貴がっすよ。オレ、もうよろこんで引き受けたんすよ。なのにやっぱりオレ、役立たずで」

「役立たず、ですか」なぜか復唱している。

 役立たずというのは、役に立たないというただそれだけではない。役に立たず、なおかつ、足を引っ張る存在が、役立たずという称号を得るのだ。貧乏神、といえばそれにちかい。

 なるほど、こいつは貧乏神だったのか。カンザキの、拗ねたような、切なそうな、辛そうな姿を眺めながらノボルは、あのですね、と投げかける。

「あのですね、カンザキさん。知っていますか。役立たずがいなければ社会は回らないんですよ。誰もかれもが立派だったら、それはもやは立派でもなんでもないんです。誰かの引き立て役になってあげられる存在というのは、それはそれで立派じゃないですか」

「グレープっ! ノボルさん、兄貴とおんなじこと言うんすね」

 これまでの五割増しで、にこにこ、としながらカンザキが近寄ってくる。

「ノボルさん、オレ、オレンジ頑張ります。見ててください。ノボルさんのためならオレ、なんでもしますから」

 気圧されるが、かろうじて、「がんばってください」と言った。

 がんばって、足を引っ張らないでください、と。

      ***

 いまごろになって首が痛みはじめた。霧星蛇イコンに踏みつけられたせいだ。首をさすりながらノボルは、カンザキの挙動不審な様を眺めている。

 なぜかは解らないがカンザキはやる気を起こしたらしい。

 よーし、と気合を入れたかと思うと、口笛を吹きはじめた。

 どこかで聞いたことのあるアニメソングだ。ところどころ音が掠れている。上手くはないが、聴いていて不快ではない。

 なにがしたいのかと引き気味に眺めていると、にわかに周囲が騒がしくなる。

 ――猫だ。

 野良猫も飼い猫も分け隔てなく、集まってくる。首輪のある猫、前科のありそうな猫、まんべんなく集まってきたではないか。みるみるうちに、みゃーみゃー、みゅーみゅー、と公園がケモノで埋めつくされていく。

 ブリーダーかなんかだろうか。どんな役立たずにも特技はあるようだ。

 猫たちはみな一様に背筋を伸ばし、折り目正しく座っている。あごを上げ、りんとカンザキを見上げている。

 梅ガムを噛んだとき、味が消えないうちから呑みこんでしまいたくなるノボルである。かわいらしいものを手中に収めた際には、ぎゅうーっ、と握り潰してしまいたい衝動に駆られる。子ネコや子イヌ、ハムスターやぬいぐるみ、果ては赤子を抱きしめたりしていても、そのまま思い切り抱きしめて、潰してやりたくなってしまう。むろん、そんなことは絶対にしない。

 ただ、食べちゃいたいほどかわいいしなら食べてしまっても仕方ないと思うし、目に入れてもいたくないならば目に入れてしまえばいいと思う。

 そういえば、姉も似たようなことを言っていたっけ、と思いだす。

「愛情と性欲、それから破壊衝動。これっつーのは基本、おんなじもんなのさ」

 まるで解らない主張ではあったが、似たような衝動を自分以外の人間も抱いていると知って、安心した。数年前に出ていったきり、音沙汰なしの姉である。元気でやっているだろうかと現状まったく関係ない感慨に耽る。

 一曲まるごと、吹きおえると、カンザキは大きく息を吐く。ひと仕事してやってやったぜ、みたいな清々しい顔を浮かべているが、とくに何か進展があったわけではない。

 公園が猫に埋め尽くされただけである。街中の猫が集会を開けば、ちょうどこんなありさまになることだろう。

 こちらを向くと、照れくさそうにカンザキは言った。

「すんません。オレにできるのって、これくらいなもんなんすよ。なんか、スイカの種って感じっすよね」そこでいったん区切ってから彼は哀愁漂う仕草でそらを仰ぎ、「きっと、オレの前世って、ブーメランの音楽隊なんすよ」とつぶやいた。

 ブーメランでどうやって音楽を奏でるつもりだろう。人の頭を殴るのか? 殴ってポカポカ音を出すのか?

「それを言うならブレーメンの音楽隊では?」いちおうそれらしく指摘しておく。

「それっす、それ」

 恥じらいもせずカンザキはうれしそうにした。どちらかと言えば、ハーメルンの笛吹きでは?と思わないではない。

      ***

 犬というのは嗅覚が鋭いことで有名だが、他方、犬に劣るにせよ猫も嗅覚の鋭いケモノであるらしい。視覚や聴覚も人間に比べれば天と地ほどの差があるという。知能のほども、ほかのケモノに比べて高い。

 猫というケモノは、目もよく耳もよく、頭もいい、三拍子そろった、できたケモノであるようだ。それを、アタッシュケースを持ち去った女性の穿鑿に用いるという。

 カンザキいわく、

「ケモノはいいですよ。人間にあるものがなくって、人間にはないものがあるんで」

 だそうだ。

 明朝、見知らぬ人物に助けられ、そのまま死んだように眠ったノボルである。目覚めたあとは、霧星蛇イコンに拉致された。シャワーをまだ浴びていない。不潔であるし、不本意である。もっとも、だからこそ、このケモノ戦術は有効に思われた。ノボルの身体には、あの女性の匂いがまだ残っているはずである。人間に感知できない匂い分子も、ケモノであるならば、嗅ぎ分けられるだろうと期待した。

 カンザキがふたたび口笛を吹く。

 猫どもがいっせいにこちらを向いた。

「え、カンザキさん?」

 怯む間もなく猫どもがこちらへ飛びつきはじめる。

 じゃれつかれているようで、その実、ひっかきまわされ、全身が痛い。

 こちらが満身創痍になったころ、猫どもはまったくバラバラのチリヂリに、四方八方へ去っていった。

 期待はずれも甚だしい。

「どういうことですか」と詰問する。

 カンザキは、なにがっすか、といった惚けた顔をしている。

「今、見たでしょ。ネコども、おれをもみくちゃにしただけで、一目散に逃げちゃったじゃないですか。もしもおれに残った匂いをもとに、女性を追いかけたというのなら、駆けていく方向は同じじゃなきゃおかしい!」

 名探偵さながらに指弾した。

「やっはー。ノボルさん、マジ、パイナポゥーっすね」

 ころす。

 こいつはいっぺん死んでから生き返り、それからもういちど死んだほうがいい。

 ノボルは心のなかで叫んだ。

 役立たずよ。世界のために死ね。 

      ※※※オレ※※※

 夢を見た。

 一切が闇。その暗闇に対抗するように炎が踊っている。

 赤く、そして熱かった。

 炎がきらきらと地面にまたたいて見える。

 水面が広がっている。

 川だ。

 川が流れている。天の川を想起させるほど大きい。

 燃え盛る炎が雄大なながれにてらてらと揺れている。

 その炎がオレにかたちを与えている。

 まっくらだったはずの風景に、輪郭と色彩を与えている。

 オレの足元には、たくさんの闇が転がっている。

 死屍累々。

 地面をおおいつくさんとばかりに転がっている。

 黒く。

 純粋に黒い、闇が。

 点々と伝う赤にまじって。

 炎よりも艶やかな、濃い赤にまじって。

 オレは、たくさんの闇のうえに突っ立っていた。

 オレはたくさんの肉のうえにとり残されていた。

 何百という人間の、肉。遺体。肉塊。

 何千にもの、細切れになった、人間。

 人間が織りなす地獄の業火のうえに。

 たったひとり、オレは佇んでいた。

 対岸が燃えている。

 闇と赤と闇と赤。

 炎と黒と炎と黒。

 ここに人間は、ただのひとりも残ってはいない。

 だからオレはこうしてただひとり、佇んでいる。

 両手を真っ赤に染めあげて。

 全身を真っ黒に染めあげて。

 オレは水面に、足を入れる。

 オレは川へと、踏み入れる。

 そこに映るオレはなぜか、

 こちらを見下ろし、語りかけている。

 ――ほらな。

 ――おまえに仲間などはいない。

      ※※※

______
掲載元:カクヨム【ミナゴ◇シンドローム
電子書籍:長編【ミナゴ◇シンドローム

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