私の経歴

ちなみに母親は宗教が大好きでヒステリーです
・93年6月産まれる
息をしてなく、死んで産まれてきた。すぐに息を吹き返したらしいが脳に後遺症が残るかもと言われたが、現在まで超健康優良児(小児喘息はあったけど)
・幼稚園は年中から
父親が子ども好きで、夜勤。小さい頃の子どもと一緒にいれる時間が多い方がいいと年少から行かせなかったらしい
まぁ、クラスに馴染んでなく元々中が良かった年少の子と遊んでいた。
登園初日、幼稚園バスが迎えに来てバスが見えるとダッシュで3階まで駆け上って家に逃げ帰ったらしい
・幼稚園年長
元々中が良かった年少の子が年中になったけど、私と一緒にいたいと私のクラスで過ごしていた記憶がある。私好かれてるなぁ
お泊まり保育に行きたくなくて、集合場所で号泣(後も弟も同じ事をして、毎年泣く子1人はいるんですよぉと先生に言われ両親は姉の事だとなってたらしい)
・小学1年生
登校初日、父親と一緒に登校w
体育の授業を休む子がかっこよくみえて、体育の授業を立て続けに休んだら、担任から親に連絡が行く
先生がクラス内オリンピックと称して他のクラスとはちょっと変わったレクリエーションがあった
・小4
荒れる
イジメにあってたのもこの辺だったはず
髪を伸ばし始める(母親が家に髪の毛が落ちるのが嫌だからとずっとショートにさせられていた)

この間くらいでちゃおを読み始めて、矢神先生の作品にハマる。
後に赤西仁と出会う事になるが、大人になり矢神先生の単行本を集め始め、その中で先生がジャニーズの子達を参考にしていると語る。私の好きなモノの一貫性がこの頃から発動している

・小5
転校してきた子と仲良くなる。私のオタク人生が始まる
転校してきた子が家に置く場所ないからこれ家に置いていってもいい?と置いていったのが銀魂。良かったら読んでいいよと言われ読みすぐに友達の家に2巻読みたいと電話する
合唱団に所属する。海外旅行に行くので休みますと言ったらそういう事は人が多いとこで大声で言うもんじゃないと言われる。今なら何となく理由はわかるけど、子どもからしたら楽しみにしてる事を報告したかっただけなんだけどなぁと。何かこの時の事が強く残って海外旅行に遊びに行った事は言っちゃいけないんだと思ってしまう
小5・6と所属していたが、クリスマス会と旅行の予定が被って、クリスマス会に出たいと主張したらじゃあ、1人で留守番する!?と謎に怒られる

・小6
前日に口の中のほっぺを興味本位で吸って遊んでいたら、次の日とんでもなく腫れる。それが何か恥ずかしくて学校を休んだら、なんか行けなくなってしまって、1ヶ月くらい休む。今思えば親が今日ちゃんと行ってくれるかなというプレッシャーに押しつぶされてただけだと思う

・中1
転校してきた子がまた転校してしまい、クラスに仲の良い子ができなくなて、不登校。保健室登校してたかな
それと私が廊下を遊びで爆走して遊んだ時にぶつかった人がいるらしく(私は全然気づかなかったし私は何で廊下を爆走してたのか理由は今となっては全く覚えてない)当然謝りもしてない私は、めっちゃ痛かったのに謝ってもらえなかったと言われ、部活内で無視が始まってそれが耐えられなかったのもでかい(ぶつかった子は影響力のある子だったけど私が不登校になった時にあの子のせいとなって転校していったと後から聞いた)
・中2
とりあえず行ってみたらめっちゃ仲の良い子ができる
あと、空前のジャンプブームでこの時2年生でマジでオタクかギャルの2択だった
あとここから後にSKEに入る人いたけど、ウチの友達いじめてたから最悪
休日のジャンプショップに行けば、中学のオタク全員に会うレベルだった
骸推しだった子がめっちゃランダム買ってた。今思うとどこにそんなお金があったのだ
・中3
中2の時に仲良かった子とクラスが離れてしまって、また別室登校。
学級委員長やってた子と椎名林檎が好きとちょっと大人びた子と中2の時から同じグループにはいて、同じクラスになったけど結局行けなくなる
卒業式は校長室で卒業証書をもらい、爆速で帰宅した記憶があるのに、後にバイト先で同級生に会い、卒業式の日一緒に写真撮ったよね~と言われる。薄らとしか覚えて無くて普通に失礼だった。
赤西仁に出会う
・高1
初日。最初に話した子と今でも仲良し。変える前に住所か何かを記入する紙があって、みんなが書いてから最後に書くか~と同じ思考だったその子がそれ
けど、1週間学校行けなくなるけど、最初に話した子が付き添ってくれて登校でした
それと、精神科に連れて行かれ入院になると言われ入院が嫌で行った
通信に変えたいと言われ親に拒否られる
バイトも始める
・高2/高3
いつ人に嫌われるんだろうとビクビクしながら登校してた(多分これ母親のヒスが影響。今思うと人は急に機嫌が悪くなって人に当たってくるものだと無意識に思ってたんだと思う)
毎日息が上手く吸えない感じだった
座ってるとお腹が張って、変な音が出るのが常に悩みで授業所じゃなかった
けど、オタ活は順調で2.5次元を広めるだけ広めて、周りの方が詳しくなる現象が起きる

不登校だった時期に母親に学校に行かないなら髪を切れ!!とハサミを持って暴れ出す(すんげー根に持ってたんだなと思うと同時にハサミ振り回す血が自分にも入ってるんだと自覚して、私は将来子どもが出来たら同じように傷つけてしまう可能性があると独り身で生きる事を決める。そもそも推し活と独り身が充実しすぎて、恋愛は縁があれば程度しか考えてない。このご時世お金払えば好みの人に好きだと言ってもらえる時代なのだから性欲なんかどうにでもなる。あと金銭が発生してるからこの人は私によくしてくれるという安心感が好き)

・専門学生(歯科衛生士)
本当に実習以外、学校に行ったり行かなかったり
辞めたいというが父親に泣かれ、この人を泣かすなんて私はひどい人間なんだととりあえず行く事を決める(後に父親が母親のヒスがヤバいからと朝は起きてリビングに来るなだとか母親を育児に参加させないようにしていたと聞いて驚愕した。大好きだった父親なのに大人になってからそういう面があったんだと今は半信半疑)
・バイトも卒業
送迎会の時にゆきが来る日は早く帰れる!ってみんな助かってたし喜んでたんだよと教えてもらう。初めて世間に認めてもらえた経験
・就職(研修の時点で辞める)
とにかく業務内容が自分に合わなすぎて無理だった
・繋ぎで友達が働くカラオケ店で働き出す
1年後1人暮らしを始める
準備期間中に熱中症で家で倒れる。倒れてるのに笑う家族。(ほんと何て家族だ)
繋ぎなのに約9年も働くことになった
・新規開業するという歯医者で資格だけ貸して欲しいと助手の名目で開業に携わる。患者さんが来なさすぎて、給料払えないと言われクビになるww
辞めようかと悩んでたから、向こうから言われてラッキーくらいの気持ちだった
・喫茶店2店舗、クリーニングのバイトも経験する
フリーターになってから人生薔薇色だった
ようやく自分で好きに人生歩み始めた感がやばかった
現在、派遣に移って1週間経過

#自己紹介

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