2019年映画ベスト10

たいして映画を観ているわけではないけれど、Twitterの「○○年映画ベスト10」というハッシュタグで色んな人のランキングを見たり自分で考えたりするのは好き。なので今回も自分なりに考えてみた。(観た順)

ミスターガラス

シャマランの監督作品は5本くらいしか観ていないのだが、この人の作る映画の魅力はよく言われるどんでん返しや仕掛けではなく、ひっくり返された後のなんとも言えない虚脱感や、虚実の底が抜けている感じ、そして物語の根底にある優しさではないかと思う。
この『ミスターガラス』という作品は、物語を読むことについての物語であり、物語を信じることについての物語だ。
父がヒーローだと信じること、超人的な人格の出現を信じること、自分がヴィランだと信じること。
彼らは死んだが、記録映像という媒体で生きつづけ、世界に広がる。かもしれない。世界は変わらないかも知れない。だがこれもまたひとつの物語なのだ。
「これは限定版の話じゃないんだよ。これは誕生の話だったんだ。最初から」
「ヒーローになることを互いに許そう」

スパイダーマン:スパイダーバース

アニメ映画が豊作な今年でも頭一つ抜けた傑作。動く絵という表現の極限を見せられた。フリーパスで7回くらい観た。

バーニング劇場版

「村上春樹の『納屋を焼く』の映画化」というよりも「イ・チャンドンの『バーニング劇場版』」。ラストの展開も含め後半はオリジナルと言っていいほど作り手の解釈が強く出ている。同時存在といった村上春樹的なキーワードを散りばめつつ、韓国の現代劇として再構築している。
ラストシーンの炎に包まれるベンと寒空の下全裸のジョンスの対比が非常に印象的だった。父親が出て行った母親の衣服を燃やしたことがジョンスのトラウマになっている。また彼は、おそらくヘミが姿を消した(殺された)と同時刻、燃えるビニールハウスの夢を見ている(その時の主人公は少年の姿をしている。おそらく母親の衣服を焼かされた時と同じ年齢である。燃えるビニールハウスに惹かれているような表情をしている)。そしてベンを燃やしている。この映画では焔の存在感がとても強い。

ファースト・マン

『天気の子』しかり『きみと、波にのれたら』しかり、今年は好きじゃなかった監督の作品に手のひらを反してばかりの1年だった。アポロ11号の月面着陸についての映画ではあるが、描かれるのは専らニール・アームストロングの内面(あるいは内面をうかがい知ることのできない外面)である。死の静けさに満ちた月面は内宇宙と外宇宙が溶け合う異界だ。また、ロケットの描写は特撮映画としても素晴らしい。ノーランの『ダンケルク』をどことなく連想させるが、ニセモノを本物として立ち上げる特撮の醍醐味を味わえた。

メランコリック

何ジャンルと言えばいいのかわからないけど謎の幸福感がある。
「勤め先の銭湯がヤクザの処刑場だった」という設定を除けば(もちろんそれが重要なんだけど)、話はつまり高学歴無職の遅れてきた青春で、奇妙な立場に追い込まれながらも仕事とは?幸せとは?という普遍的な悩みに向き合っていく。けっこうな数の人間が殺されているのに後味は爽やかだ。
殺し屋のアクションシーンが意外とクオリティ高くて驚いた(派手さのない「プロっぽい」動きに見せていたのも好感)。
好きなキャラは同僚の松本(ポスターに写ってる金髪の若者)。おそらくこの映画を観た人のほとんどがそう答えるだろうけど。

ジョーカー

冷静に考えるとベスト10に残らない気もしたけど、外すのも何か違うと思ったので入れた。狂気ではなく憐憫。多分に社会派。それでも、夢かもしれなくても、嘘かもしれなくても、世界を壊して見せてくれたことに喝采。

ゴーストランドの惨劇

もう二度と映画館でホラー映画は観るまいと決意させられた作品。ジャンプスケアのあらゆる手口が詰め込まれている。ここで驚かされたら嫌だと思うと必ずやられる。何でいちいち狭い穴を覗くんだ。それでもこの作品を推したいのは、傷や痛みに対して誠実であり、理不尽な現実の悪との戦いを描いているから。

象は静かに座っている

もっと短くできた作品かもしれないが、それはこの際かまわない。世界のクソさとひたすら向き合わされる4時間。『天気の子』や『ジョーカー』のように世界を壊すことはできない。だからこの映画の主人公たちは”ここではないどこか”へ行こうとする。満州里の動物園の座る象。どうして彼らはそんなものが見たいのか、作中で理由は語られない。神の隠喩だとしたら、終盤の動物園へ向かう夜行バスは巡礼の旅か。いやむしろ、どこかに行けば何かが変わるというような当てさえ無く、ただただこのどうしようもない”今、ここ”から消えてしまいたいという絶望した願いに思える。
この映画は撮り方がとても独特だ。被写界深度が非常に浅い。場面の主人公の顔だけがアップでくっきりと映されて、その向こう側はぼやけている。何かをしているシーンでもカメラは顔に固定されて手元は映さない。隣にいて喋っている相手の姿すらぼんやりしている。固定された対象の周辺で、ぼやけたまま(時には重大な)出来事が同時に進行している。俯瞰の描写が全くと言っていいほど無い。肩越しの不透明な世界から解放されたラストシーンは何かの救いを表しているのか。

マリッジ・ストーリー

始まった瞬間からただ事ではないくらい面白かった。離婚の話なんだけど、笑えるところも沢山あって、単なる争いには終始していなくて、救われる終わり方だった。すれ違い(ともちょっと異なるズレのようなもの)がリアルだし、気遣いがリアルだ。可笑しさも不穏さも細やかに拾っている。
アダム・ドライバーは言うまでもなく、スカヨハの役者としての凄さを初めて認識した。

バジュランギおじさんと、小さな迷子

ポスターの髭面のイメージが強かったので、スターのオーラを隠そうともしないサルマン・カーンの登場シーンには面食らった。「貧乏」な「若者」だよな・・・?しかしそれが気にならないくらい映画が良い。ベタをベタとして描き切る力業と丁寧さ。音楽も素晴らしい。パキスタンに入国してからは彼らの旅する姿だけで泣ける。
Twitterで見かけた、バガヴァット・ギーターを下敷きにしているという解釈が面白かった。

(番外)ゴジラ・キング・オブ・モンスターズ

必ずしも趣味は合わないけれど、ハリウッド大作というフォーマットでありながら作り手がこれほど「好き」を通してきたのはすごいことだと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?