見出し画像

全てを呑み込んでいく巨大な渦

桑の木はクワ科クワ属の落葉高木で、五月下旬から六月にかけて甘い実を実らせます。春の恵みです。日本と言う豊穣の地に住んで、食糧危機とか言うこと自体頭がおかしい。

この世は物質世界だから物質文明を築こうとします。でもその物質文明に高い精神性が伴ってないので、賽の河原の石積みの如く、積み上げては壊されて行きます。レムリア、アトランティス、古代エジプトに古代ギリシア、創っては壊れていく物質文明に一体何が足りないのでしょうか?

この地上で「精神文明」を築こうとしないからです。例えば宗教が、神から高い精神性を与えられたとします。そうしたら人間たちは、モーゼの十戒を刻んだ石板を、我先に奪い合います。もし「三種の神器」があったら、これをお宝探しゲームにしてしまい、その精神性は後回しです。

人類の精神性の低さとは正にこのレベルを指しています。

神道と仏教を人間に与えたら、これが争いの種となり「平和の種」には成りません。争わせ闘わせる為に、神道を与えた訳じゃ無い。でも結局人間は、争う口実が欲しいのです。戦争する理由を無理やり見つけ出そうと必死になります。

地上でも戦争し、そのうち今度は宇宙でも戦争を始めます。精神が病んでいるから、戦争が止められません。だから病気なんです。「侵略したい病患者」や「支配したい病患者」だらけだから、地上の平穏は稀で貴重です。

自分が仮に神道の味方をした場合、仏教を批判したくなります。これを乗り越える為に日本人は、「神仏習合」を発明しました。その汗と涙の努力を明治政府は、「神仏分離令」でブチ壊し、結局原爆を投下されます。

「自分はイスラム教徒だから、神道の神社を破壊してもいいんだ。」宗教がそこに懐の狭さを発揮します。

イスラム教徒はキリスト教徒と仲良く出来ないばかりか、同じイスラム教徒同士スンニ派とシーア派に別れて争います。かたやイデオロギーは宗教を敵と見なし愛せません。

こうして宗教は宗教同士殺し合い、イデオロギーは宗教を攻撃して悦に入ります。

「剣かコーランか。」二者択一マインドだから、殺し合いになるのです。神道もいいし、仏教もオーケー。もしもそうした度量の大きさを持てたなら、戦争には成りません。無神論者も無宗教も、唯物論も宗教も科学も、全て呑み込んでいくのが大宇宙の懐の深さなのです。

ガンと闘う人がいます。ウィルスを目の敵にする人がいます。「汝のコロナを愛せ。」と言う人が居ません。自分の親が危篤なのに、親の死に目に会えません。人類に愛は必要無いのかなあ。

「進化とは同化です。」それはどういう事でしょうか?全てを呑み込んでいくのが、宇宙の愛だからです。大宇宙は、何一つ排除しないのです。だから神社を爆破した政府を許してあげましょう。宗教を弾圧したがった政府を許してあげて下さい。ただ了見が狭いだけなのです。

人類は神を棄てて、おカネを選びました。そして仕舞いには、神を呪い、無神論を選びます。その行き着く先は消滅です。

神の約束の地は「今ここに有ります。」全てを許し全てを巻き込みながら、全てを呑み込んでいく巨大な渦、それが宇宙の無条件の愛なのです。ユダヤ教だキリスト教だ仏教だとみみっちい事言ってないで、もっと大きな自分に脱皮して見ませんか?






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?