中国の中華思想と日本の東華思想、そして世襲(しつこいw)

まだしつこく世襲について調べておりますw。さくっと書くつもりでひも解いてみたのはいいけどおもったより複雑怪奇で迷走しまくっておりますw。いろんなことをいっぺんに言おうとすると破綻するということに気づいた本日。これで最後にしたいものですw。

長くなるのでそもそも私が何を突き止めたいかについて書いておきますね:

私の疑問1:政治において、秩序と血筋正当性は必要?貴族性は?なぜ現代日本政治においてこんなにも世襲が許容されている?

私の疑問2:血族第一主義前提の間接民主制(あるいは現行の選挙制度)において、民主政治は可能?見かけだけの民主に陥るのでは?

私の疑問3:血族第一主義で、排他的一極集中が加速される?(東華思想)

私の疑問4:そのように確定した世界(儒教的秩序(ヒエラルキー)の確定)における選挙では、民の無関心を誘発し、結果、血族第一主義システムがはからずも増長するという悪循環にならないか?

です。


昨日かきかけてるのが行き詰ったので、中国さんの古代思想を調べておりました。

中国には古代より中華思想があり、やや後に儒教が加わったコンボのようですw。

①中華思想とは

中国=花の中心で、中国から遠ざかれば遠ざかるほど夷(えびす)。つまり野蛮とされる。そうです。

一方で中国皇帝は天が遣わす存在だそうな。何をしろ、どうしろ、というルールはないので、一回天から遣わされた皇帝は地上でやりたい放題できるそうなw。

②儒学が加わる

上記より、やりたい放題で混沌として下克上や裏切り闘争が絶えなかったので孔子さんが儒教を作って、武力による覇道を批判して徳地政治思想を乱立政権に売り込んだけど、売り込んだ時点では受け入れられなかったそうな。儒教はいくつかのカテゴリーにわかれているけど中でも、年上=えらいとかそういった政治・統治の上での秩序作ったということで、当時の武勇たちには、そんな秩序作られたら自分が覇者になるためには大変都合が悪いので、採用されなかったそうです。じゃあいつから儒学が政治哲学として中国でと入れられたかというと、のちに、乱立政権が統一された際に、秩序つまりヒエラルキーが必要になり、儒教が好都合になったため取り入れられ、今に至るとのこと。つまり皇帝=TOPという秩序。年長=えらい・下克上はタブーという秩序。

つまり闘争のあと1回確定した世界をそのまま安定させるために勝者により儒教が取り入れられたという背景があります。もっと簡単に言うと”勝者がその地位を安定化させるために、儒教を取り入れた”ということになります。逆に言えば、何かレボリューションを起こしたい人にとっては大変都合が悪い政治思想ということになります。

(※あとで詳細書きますが、これってそっくりそのまま”儒教”の単語を”世襲”に置き換えても成り立つのが面白いねw)

③中国の価値観に日本が寄せてった時期

日本で聖徳太子さんが隋に使者を送った1回目、「おらっちの国は、夜に政治をして、太陽が昇ったらみんな家に帰ってくつろぎます」、といったところ、隋の文帝は、「日本ってそんな道理にかなわねーことやってんだ、夷~」ということで憤慨されたそうです。それで日本は中国の”道理”を研究して政治等儒教に合わせていったそうな。※ていうか聖徳太子の時代までは夜に政治をしていたってとっても神秘的ですね。呪術的なこと含めての政治だったのかな?

ということでだいたいこのころに、日本に儒学的な価値観は入ってきたのかなと想像。

①”儒教と世襲”の関連性はどうか?日本の血筋第一主義はどこから来たんだ?

まず老子さんの後継者はあくまで子弟なので、世襲ではありませんね。また中国皇帝は世襲にしたかったけどやはり騒乱具合がすごくて、なかなか実現してきていない。とくに古代は群雄割拠のキッタハッタな国であることは儒教導入以降も変わらなかった。実力主義(官僚登用試験あり)の中国と、血筋主義の日本。

(また迷走の予感がしてきてますw)。

おかしいね。中国の価値観を入れたけど、完全にマッチしていないということは、この日本の世襲重視の価値観は、どこから来たのかという新たな謎が出てきます。

日本神話や日本書紀においては「出自の良さ」「血筋の正当性」というのはすでに明記。もっとさかのぼると卑弥呼の乱世は群雄割拠だった。となるとちょうどヤマト政権が誕生したあたりから、血筋的な正当性というのが重視されだしたと考えるべきか。ということは朝鮮(朝鮮は血族第一主義)から流れを引き継いだのか。ということは大和政権を作ったのは地場にいた”日本人”ではなくて朝鮮系からやってきた人だったのか?やはり?

とにもかくにも、ヤマト政権発足のタイミングで、権力・統治の正当性として”血筋”が利用されだしたのはこのころが起源と仮定してみます。朝鮮由来と仮定。

で中国の儒学的価値観の取入れが聖徳太子(600年前半)

この2つは親和性高い。

中国の例に倣うと、ある4Cごろのタイミングで闘争に決着がつき、ヤマト朝廷がフィックスしたため、その安定性を確定・保証するため、勝者により血筋の正当性を主張しだし、それが中国の儒学にもフィットして脈々と日本に受け継がれていった。(こんだけ長いこと書いて、こんなオチですみません。とにかく迷走しておりますw)

②現代における日本人の世襲志向はどうか?

大和朝廷発足時由来の血縁第一主義はなぜ現代まで重視されているか。

現代日本人が大好きな”伝統”にも世襲は多くみられることが興味深い↓

この記事によると古典芸能の世襲の仕組みについて考察しておられ、結論としては、文化と政治の世襲は同じものなのかという論点については、

「伝統文化は、自分の持っているバトンを渡すのが最大の使命です。政治家は個人のポリシーでなる職業。また、伝統文化は長期戦で、政治の成果主義とはなじまないと思うんです」。

芸能の世襲について「教育や経験があれば続けられる分野に多い」といい、逆に親子での成功例が少ない分野として歌手を挙げる。「声は持って生まれた資質。教育や経験ではどうにもならないからではないか」

たしかに歌手の子供は歌手で成功してないよね。でも政治家の子供は政治家として”大成”するという不思議。実力主義・成果主義のはずの政治で。

ではなぜ現代日本人はその矛盾を許容するか

「(日本人は)完全に自由な社会が不安定なことに、危険を察する感覚が敏感なんですね。かつての身分制の持つ安定性を心理的に求めるのでしょうか」

なるほどねー。わかったようなわからないような。。。

で血族第一主義は別名”安定志向の慣れの果て”なわけですね。一種の”確定現象”であることは間違いない。

最近どこかでどこかの政治家が発言しているのを聞いたのですが、地方の政治家・行政のなかで能力のあるエリートが中央(東京)の国政に参加すると、落胆して帰ってくる人が多い、ということを耳に挟みました。意気込んで行っても、あまりに複雑で閉鎖的な官僚・政治構造にうんざりするんだそうな。

確定した世界ではすべてが予定調和で進んでいくため、外様には大変居心地が悪く、それどころかその確定した世界で立身出世なんで至難の業であることは間違いない。

世襲=秩序=予定調和


【まとめ(ようとしている、無理やり)】

私の疑問1:政治に秩序と予定調和と血筋の正当性は必要?

どうやら現代日本においても、皇族は血族による正当性というのはエクストリームに重要視されているようです。で、古代では皇族が政を行っていたため、政にも血族の正当性は適用されていたことになります。現代は、皇族と政は分離されておりますが、この、かつての皇族(血)が執政していたところからひっぱられて、現代政治においても血族の正当性が重要視されているということでしょうか?この現代日本政治の血族第一主義がどうにも解せないわけで、つじつまを合わせようとすると、上記のようなことになるわけです。

次に

私の疑問2:






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