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なぜ、中国が世界を席巻しなかったのか

昨日の記事では、
「ヨーロッパが世界を席巻できた理由」を
書きました。

ユーラシア大陸が東西に広い大陸で、
農畜産物が広めやすく、
発展しやすかったからでしたよね。

これは『銃・病原菌・鉄』に書いてあったことです。

しかし、この本を読みながら、
ずっと引っかかっていたことがありました。

それは、
「ユーラシア大陸って、中国も含まれるよなぁ。
なぜ、中国が世界の覇権を握らなかったんだろう」
ということです。

しかも、中国文明は、
世界四大文明に数えられるほど、
歴史が古いですから、
他国に比べて有利だったはずですよね。

中国は権力者の決定権が強すぎた

『銃・病原菌・鉄』の中では、
「エピローグ」で今後の課題として、
この話題に触れられています。

「今後の課題」ということは、
この本を書いた段階では、
著者も決定的な結論が導き出せていない、
ということです。

なぜ、中国が世界を席巻しなかったのか、
本書では中国とヨーロッパ諸国との
大きな違いが挙げられています。

一番大きいのは、
「権力者の権力が大きすぎた」ことです。

「ヨーロッパ」と一口に言いますが、
そこにはさまざまな国があり、
未だかつて、
それらの国々が一人の権力者によって、
統一されたことはありませんでした。

そこでは、複数の小国が乱立し、
お互いに切磋琢磨しながら、
技術を競ってきたため、
自然と技術の発展がしやすかった、
という背景があります。

一方、中国の方はといえば、
あれだけの広大な土地を
代々、一人の権力者が支配してきました。

すると、どういうことが起こるかというと、
その権力者の方針によって、
国内で進められていた技術開発が
あっさり中止されてしまうこともあるのです。

15世紀以降に後退した中国

ヨーロッパが航海技術を高める一方で、
中国は15世紀に船団の派遣を中止しています。

本書によれば、中国は1405年から
1433年にかけて、
7回にわたり船団を派遣をしたそうですが、
国内の権力闘争の影響で、
中止されてしまったそうです。

当時の中国では、宦官かんがん派と
敵対派が抗争中で、
船団の派遣を推進していたのは、
宦官派でした。

※宦官:宮廷や貴族の家に仕える者

その後、敵対派が権力争いに勝ち、
実権を握ったため、
船団の派遣が中止されてしまったわけです。

国内の造船所は解体され、
中国では外洋航海が禁止されました。

権力者の決定権が大きすぎて、
国内の技術が衰退することは、
中国に限らず、
歴史の中ではよく見られることだそうです。

しかし、中国が他の国とは異なるのは、
やはり、一人の権力者が
影響を及ぼす範囲が広すぎることなんですね。

権力者の決定によって、
中国全土で一斉に、
船団の派遣が中止されてしまいました。

そうなると、中国から、
「造船」という技術は永久に
途絶えてしまいます。

これは何も造船の技術に
限った話でもありません。

15世紀末には中国は、
あらゆる技術開発から身を引き、
14世紀にはじまりかけた
産業革命を後退させてしまいました。

つまり、中国は統一されすぎていたのです。

一方で、ヨーロッパはバラバラでした。

だからこそ、ヨーロッパでは、
あらゆる技術が途絶えることなく、
発展し続けることができたんですね。

本書に書いてあったのは、
こんなところでした。

船団の中止は「情報」を独占するため

しかし、これでも私には、
ピンとこないところがありました。

なぜ、中国は船団の派遣を中止し、
外洋の航海まで禁止したのか、
という疑問です。

その後のヨーロッパの繁栄を
知っているからこそ、
不思議に思うのかもしれませんが、
この時代の中国の動きは、
理解できないところがありました。

他の国よりも先に発展しているのだから、
さらに自分の国を発展させるために、
外の世界に出ていくのは、
自然なことだと思うんです。

どうして、中国は外洋の航海を
禁止したのでしょう。

このことに関して、
中国の歴史に詳しい方に、
話を聴いたことがあります。

その方に聴いたところでは、
その理由はズバリ「情報」だと
おっしゃっていました。

一部の権力者が情報を
独占することによって、
国内の統制をとりやすくなります。

船団を派遣したり、
外洋の航海をさせると、
外国に行った人たちは、
他国からいろんな情報を
仕入れていまいますよね。

一人の権力者が国を支配し、
それを長きにわたって
繁栄させようと思ったなら、
そういった他所の情報が入ってくるのは、
許しがたいことです。

権力者が情報を独占し続ければ、
国民は権力者の言いなりだからです。

しかし、こんな考え方が、
長い目で見ると、
衰退の道へと国を導いてしまったのだから、
皮肉なものですね。

つまり、中国がヨーロッパのように、
他国の領土に進出しなかったのは、
「自国」と「他国」に線引きをし、
国内における一部の権力者の繁栄を
重視したからです。

その間にヨーロッパでは小国が乱立し、
お互いに切磋琢磨し、
技術を向上させつつ、
他の地域にも進出していったわけです。

ここからは、完全なる個人的な見解ですが、
この場合、ヨーロッパに複数の国が
あったことも大きいような気がします。

複数の国があるということは、
それぞれの国の国土は
それほど広大になりえません。

ヨーロッパの国々は、
国土が小さいからこそ、
貪欲に他の土地を求めて、
航海の技術も発展したのではないか、
というのが私なりの見解です。

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