見出し画像

言語化が難しい「音楽」を言葉で伝える理由

ここ最近、音楽レビューを
割と頻繁に書いている気がします。

私は音楽レビューを書くにあたって、
その音源を長い期間をかけて
充分に聴き込んでから
書いているんですよね。

例えば、先日紹介した
ジョシュ・ジョンソンのアルバムは、
春くらいから何度も聴いていたもので、
もっと早く投稿したかったのですが、

それよりも前に聴いていたものが
渋滞しており、

先にそれらのレビューを
書かなければいかなかったので、
なかなかたどり着けなかったのです。

何度書いても思うんですが、
レビュー系の記事の中では
音楽が一番書くのが難しいですね。

私はその手の記事を
note で多く投稿しているので、

音楽のことを書くのが
得意な人と思われている
かもしれませんが、

実際のところはそうでもありません。

「この音楽がいい!」
と思っても、
それを言語化するのは
非常に困難なことで、

いつも迷走状態なんです。

というのも、音楽って
蓄積が大事な分野だと
思うんですよね。

音楽の話をするのでも、
同じ音楽体験をしている人に
話すのと、

まったくそういうものを
共有していない人に話すのでは、
かなり勝手が違います。

例えば、前述した
ジョシュ・ジョンソンの音源の
レビューでは、

説明のために、

マイルス・デイヴィスや
ソフト・マシーンといった
古いアーティストの名を
挙げましたが、

それらを知らない人には、
まったくピンとこない説明です。

だからと言って、
それらを封じてこの音楽を
説明することが私にはできないですし、

ジョシュ・ジョンソンは、
若いアーティストなので、
知らない人に手っ取り早く伝えられて、
なおかつ興味を持ってもらえそうなのは、

過去にある作品と
似ている部分を強調すること
だと思うんですね。

ジョシュ・ジョンソンは知らなくても、
マイルスやソフト・マシーンを
知っている人は興味を
持つかもしれないですし、

逆にこの音源を聴いて、
マイルスやソフト・マシーンを
聴いてみようと思う人も
いるかもしれません。

「音楽」の解説に留まりませんが、
「解説」とはこういうこと
なのかもしれません。

その作品がどういう系譜のもので、
具体的にどのような特徴があるのか、
それを伝えるのが
すごく大事だと思うんです。

はっきり言って、
作品のレビューは、
実際に作品に触れてもらうのが
一番手っ取り早いですね。

音楽の紹介は、
特にそう思います。

いくら私が言葉を並べても、
聴いてもらわないと
なんにもならないですし、

一生懸命読んでもらっても、
実際の音楽の魅力がわかる場合もあれば、
まったくわからない場合も
あると思います。

ある意味、
音源をピックアップした段階で、
私の仕事は終わりで、

それ以外に付随している言葉は、
あくまでも添え物でしかないんですね。

そう考えれば考えるほど、
音楽のことを言語化するのが
むなしく感じることも
なくはないです。

それではなんのために、
敢えて「音楽」のレビューを
書いているのかというと、

一番の読者は「私自身」
だと思っています。

自分でこの音楽のどこが良かったのか、
再確認したいがために、

わざわざ言語化するのが難しい
音楽のレビューを
書いているところがあります。

こんな機会でもなければ、
音楽の魅力を言語化しようとは
思わないですもんね。

なんとなく、カッコ悪い気もするんです。

自分では作曲はおろか、
演奏すらできないくせに、
人様が作った音楽をああだこうだ
論評するのは。

しかし、私が取り上げるような
聴いている人が少ない音楽は、
こうして積極的に言葉にしていかないと、
消えてしまう気がするんですね。

いや、別に私がレビューを書かなくても、
その音源はサブスクに転がっていて、
いつでも誰でも聴けるわけですが、

実際に「聴く人」がいないと、
その音源は「存在しない」のと
一緒だと思うんです。

だからこそ、私は、
自分が気に入った人様の作った音楽を
一人でも多くの人に聴いてもらうべく
こうして言語化しているんですね。

自分への覚え書きとも言える
レビューですが、一人でも多くの
届くべき人に届いてほしいです。

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。