大人の正論がなくても子は育つ

週末、泊まりがけで遊びに来ている
小学生の姪が、朝ごはんにと
スクランブルエッグを作ってくれました。

美味しいおいしいと一緒に食べながら
冗談まじりに「コーヒー飲む?」と、
すすめると

「未成年はコーヒーを飲んでもいいの?」

予想外のところから答えが返って来ます。

未成年という言葉をつかえるようになった
成長ぶりと、わからないことを一つずつ
確かめようとする姿がほほえましくて、
今日は朝からちょっと感動させられました。




私は子どもとのおしゃべりが大好きです。
ただ、一部の人からは
「子どもがいると質問だらけで疲れる」
との声も聞かれます。

確かに、私達の日常をうめつくす謎に
子どもの質問はとどまるところを知りません。

今朝も姪からは、
「どうして私を叩かない人が犬をたたくの?」
と、聞かれたばかり。

こんなとき、何か言わなければと
いくら正論を探しても難しいですよね。

その人が犬を叩く理由を私は知らない...
この先、彼女がその人に叩かれない保証もない。

ムリに答えようとすれば、
それは憶測やある種のごまかし、
"嘘"になってしまうからです。

では、子ども達の質問ぜめにできることが
ないのかといえば、もちろんあります。
しかも、誰でもかんたんに口にできる言葉が。



私がおすすめするのは
わからないことを聞かれたときに

「どうしてだろうね?」


こう答えることです。
それだけ?と、思われますか?

ハイ、それだけ。
その子の疑問を否定しないで、
一緒に考えてみることです。

私も含めて、ほとんどの大人は教えたがります。
知らないことにまで知っているふりをする、
もっともらしく語りたがる"クセ"があるみたい。

でも、大人の大切な役目は
子ども達の素直な質問に"それらしい答え"を
返し続けることではなく、

わからないことはわからない、
知らないことを知らないと堂々と伝えて
考える姿、学ぶ姿を見せること
なんじゃないかと
思ったりします。


フランスの数学者にして哲学者、パスカルさんも
言っています。

「無知を恐れるな、偽りの知を恐れよ」


私達が子どもに伝えてあげられるのは、
自分で起こした"行動"の分だけなんじゃ
ないかな。

そんなことを考えた一日でした。



「どこかで聞いた正論を語るより、
 胸を張ってわからないと言える
 大人になろう」


今日の空でした。



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