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見る・流れる情報の9割はいらない

この言葉を聞いて昨日は意識して流れる情報を眺めてみた。まとめだけ読んでも意味はあると思います。

確かにそうである

 これを突き詰めるともはや情報は見なくても生きていけるのは言うまでもない。がIT革命が起こり情報が武器となるなら情報に触れて備える方が情報狩りに行くには強いだろう。しかし流れる情報を意識してみてみると大半、およそ9割はいらない情報なのです。

 これは場所を選びます。WSJやBloombergのような”使えるであろう情報”を売る商売をしているところは基本的にどれもあてにはなるだろう。これが有料のいいところだ。しかし無料で読めるグーグルニュースやtwitterで流れるニュースは基本的に読んでも自分に影響があるか?と問われれば全くない。

エンタメニュース・芸能人の不倫騒動・暴力事件・くだらない政治の討論など基本世の中にある無料ニュースはジャンクなものばかりです。ただその中でもいい情報はあるし選別して扱う人はいる!!とか言うと思うけど、それは河原でダイヤモンドを見つけるようなものでそれが得意な人はほとんどいないと言うことです。もちろんそのようなことを習得するために練習、訓練をしなきゃいけないけど順序立ててやっていかないと効率が悪い。

河原でダイヤモンド探し

 IT革命のアップデートで情報が入り次第河原に一定数の確率でダイヤモンドが混じる仕組みになったと考えればいい。ジャンクな情報は石ころでいい情報はダイヤモンド。認知度で大きさが決まる。情報が出れば出てくるほと河原は大きくなるのでダイヤモンドを見つけるのは時間がたてばたつほど難しくなる。

 しかしそんな中でも見つけやすくする方法はある。上記に書いた通り有料の記事を探ることだ。このような有料の記事には基本的にジャンクなものは存在しない。情報を発信する側も読んでもらって評価されないと自分の職を失うし市場での自分の価値が上がらないからそれなりにしっかりしたデータ(材料)でしっかりした情報を組み合わせる(材料を基にした料理)。

 僕はよく情報を狩りに行くようなものだと友人の発言を聞いて確信したのだが、狩りが苦手ならまずは調理された食事を取ることをオススメする。

 調理された食事をとることのようにお金を払い、どんな食材をどんな風に調理しているのか研究し、自分で狩りに行って調理をする。この過程を踏まなくちゃいけないのに多くの人は最終段階の部分だけを行うことを意識している。ジャンクなものは見掛け倒しの調理でなんとかなるが本質的にうまくできているかどうかと問われればそんなことはない。それは感情の調理であってあてにならない。

情報の調理器具

 ダイヤモンドの話はどこに行った?と問われるかもしれないがここにきて調理の方がたとえ安いとなった。ダイヤモンドの話はそれはそれでうまく置き換えられたと思う(しかしそこの評価は他人が決めることは言うまでもない)。

 さて、本題に入ろう。情報の調理器具には2つあると思う。それは

感情・論理 

の2つだ。感情の調理器具は主にジャンクを担当し、論理の調理器具は主にジャンク以外の情報を扱うと今の所考えている。ではそれぞれがどのような調理をするのか考察していこう。

⒈感情

 これは誰にでも備わっている。よくニュースアプリやサイトにエンタメとかタイトルだけ読んでかわいそう・すごい!と思うようなニュースがこれに当てはまる。これらは結局個人個人の解釈でしか解決できないし何が正解なのかも理解できない上自分にも影響はないしそれで国全体が大きく動くこともほとんどの場合ない。このようなジャンク情報にいちいち構っていたりしていては体力と決断力の無駄になってしまう。当事者にしかわからない影響がないものは基本的には避けるべきだ。支援等のニュースは別である。そこには助けを求める声があるからだ。しかしそれでも僕ら一般人にとっては必要ないでしょう。支援をすることは無理だから。

⒉論理

 基本的に情報に触れるなら論理的に考えて自分なりの解釈をえれるかどうか?か鍵になるし、生活を豊かにしてくれそうな情報もまたジャンク以外の部類になるだろう。この中でも言及しているマスクについてもそうである。マスクは予防のためではなく感染を広げないためであると言う認識は大きい違いを生む。

マスクに予防の効果がないとわかっていないとただの見せかけの保険に過ぎないのである。予防の効果がないなら他に感染しない方法を探す、と言う考えがそもそも生まれないのでいくらマスクをしているからって風邪菌まみれのところに行くと風邪になってしまう。それなら人混みを避けよう、とか家で待機しようとかにならない限りずっと風邪をひいてしまう。

 論理の調理器具は使い方が難しそうに見えるがこれは日々練習するしかない。僕も練習中だ。一朝一夕で身につくものではない。

 僕の中では情報に触れるために一個基準があって、それは

理解できないものには深追いしない

と言うものです。原理を理解することは好きです。たとえば電話の原理とか直火式エスプレッソの仕組みとかそう行った答えのあるものの原理を知るのは好きですが、〇〇さんがなんでこのような思考になったのか?等その人にしかわからない原理を知ることは理解するのが非常に困難なので深追いしません。その人に話を聞いても本当の答えなのかどうかあてになりません。感情で答えが変わる可能性は大いにあり得るので。

感情で答えが変わる

これは基本的に誰でも経験あると思います。その時は楽しかったりうざかったりするのに少し時間がたてば捉え方が変わるなんてことは山ほどあります。たとえば以下のようなこと

二日酔いになって二度と酒なんか飲まないと言っているのに1週間後にはまた飲んでるし二日酔いにもなる

このような人はたくさん見てきました。二日酔いの状態はさぞ気持ち悪いのでしょう。その時の感情では”飲まない!”が答えなのに1週間後には”飲むの楽しい!!やめらんねー!!”と言うのが答えになるのです。

他にも本を紹介した時に紹介された人は以下のようなこと言います。

俺も本読もう。その本買うわ

これで買った人・読んだ人は驚くことに0人。ここでも他人は変えられないと学習した。しかも面白いことにこれらの発言をしているのは往々にして夕方。人間の脳は起きて時間がたつほど決断力が弱くなるし発言にも嘘が多くなりやすくなる。約束事や契約には論理と起きてからの時間経過が必要になる。

 ちょっと話がずれたかな。結局感情で決断する・物事について話すには答えがないと言うこと。くだらない話ならそれでいい。しかし決断や約束事には感情で決めてはいけないのです。僕も経験しました。友達と焼肉を食べている時に気分が良くて旅行の話が出た時に”いいじゃん、行こうぜ!”となったがそれ以降旅行の話なんか出てこない。それだけ感情に酔っていたと言う証拠だ。

 特にこれから仕事をする人・起業をする人は論理が土台にないと失敗する可能性が非常に高いかもしれない。気分がいいから契約した、となると気分が悪い時に手がつかなくなるとなることは想像に難くない。論理で仕事をすればそのようなことは少なくなるでしょう。人間なんで調子の良し悪しはあるのが当然ですが振り回されることなく自分の実力の範囲内で請け負うことができるので遂行できるはずです。

まとめ

ここだけ読んでいただくだけでいいです。

⒈論理で読む情報を決める

 自分が読む情報の基準を決めておく。

⒉感情で物事を判断しない

 感情で出す答えはあてにならない。1週間後いや、次の日ですらその判断に後悔することは往々にしてあること。振り返ればその連続の人は多いはず。

以上

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