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そのとき、それなりの。

努力という努力を、避けて生きてきた。

たまにそんな自分にがっかりすることがある。だって、世の中には、私にできないことを簡単に、ごくごく自然に嫌味なくこなす、すごい人が沢山いる。そんな人を目の当たりにすると、途端に自分が小さく萎んでいくように感じる。


それを実感して、初めて後悔したのは、大学生のときだった。


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大学生のとき、楽譜が読めないのに弦楽器のサークルに入った。かつてピアノを習っていたけれど、全然楽しくなくて辞めた。そりゃ練習してないんだから、弾けないし楽しくもないでしょうよ。そう今なら思えるのだけれど、辞めるときは「解放される」くらいにしか思ってなかった。

すぐ下の後輩には、ピアノが上手くて絶対音感のある子がいた。当然ながら、その子と自分とでは、音取りのスピードが違う。今までの人生、積み上げてきた努力量がモノを言うことを、その時初めて思い知った。ただ別に初心者でも、努力すれば経験者並みに上手くはなれる。でも私はどっちつかずだった。それなりの努力で、それなりの奏者だった。


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大学3年の時は、パートリーダーの先輩に練習の度怒られていた。その人は私と同じように初心者から楽器を始めたにも関わらず、すごく綺麗な音を出す人だった。実力があってこその厳しさだから仕方なかったけれど、その先輩は私たち上級生よりも下級生の子を褒めた。その中には、あの絶対音感の子もいて、私たち3年生は「下級生を見習え」とか、けちょんけちょんに言われる毎日だった。

周りの同期が次々とやる気を失い、ドロップアウトする中で、私はというと、なぜか頑張った。毎日それなりに練習していたら、最終的には「ハブ席にしたから」とトップの方から言われた。ハブ席というのは、演奏会の席順の中でも、最も周りの音が聴こえづらい席、要はちょっと演奏するのが難しいので、それなりの人を置かないといけない席なのだ。ちゃんと言葉で褒められはしなかったけれど、この経験は、私にとって数少ない成功体験になった。


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まぁいいか。と思えた。

私はつい最近、職場の後輩くんにイライラしていた。それは、彼が要領ばかり良くて、大した努力もしていないように見えたから。でもかといって私も大した努力はしていないし、努力といっても、ほんと微々たるものだ。仕事を選ばず、なるべく色んなことをやるとか。でも、そんな微々たるものが、それなりの結果を連れてくることも知ってる。

それを知っているだけ、まぁいいか。そう思った。大した結果がついてこなくても、頑張ったなぁ、あの時。そんな風に振り返れる過去があるって、ちょっと誇らしい。ピアニストになれるような努力はしなかったけれど、その時の、やれるだけの、それなりの努力はしたんだ。

というわけで、私は今改めてピアノを習い直している。それなりに努力した経験のある今であれば、ちょっとでも練習して弾けるようになるんでは?という一筋の希望を持ちながら。久しぶりに鍵盤に指を落とす。生まれたての子鹿みたいに震える指に、なんだよ、やっぱり全然弾けないじゃんか。そんな風に愚痴をこぼしつつ。

一度はサポートされてみたい人生