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メッセージでは救われない

母校の先生が「休校中の生徒に向けて」というテーマで、メッセージを配信したらしい。卒業生の中でちょっと話題になって、友人から動画が送られてきた。

送られてきたけれど、3日くらい放置して見なかった。正直、その先生のこと、私は好きじゃない。

でも、見てみた。相変わらず元気そうだった。前向きなメッセージで、よかったんじゃないでしょうか。私の感想はそれくらいである。

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その先生は、部活の顧問だった。私は可愛くない生徒で、それに加えて、才能も実力も無かった。だから、先生に認められることも無く、むしろもういないものとしてカウントされていたと思う。たぶん、先生から見た私は「透明人間」だった。

そんな「透明人間」は、心を持たないと思ったのか、先生はオーディションで、一曲歌い切った私より、歌えなかった子を選んでコンクールメンバーにした挙句、「これはオーディションのみで評価した結果です」そう言い放った。

このとき、私が傷ついたのは、きっとコンクールメンバーになれなかったからではない。あの一言で傷つく生徒がいると想像もしてくれなかったことだ。心まで、透明人間だと思ったのだろうか。それとも、透明人間なら、傷ついても構わないと思って言ったのか。どちらにしても自分が惨めすぎて、このことは友人にも、家族にも今だに話せていない。まあ、noteでネタにはできるけど。

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でも、透明人間の私に色を与えてくれた先生もいた。

U先生は、現代文の先生だった。私のクラスの担任をしていて、その当時の私は、感情表現を忘れたみたいに抜け殻になっていた。友人とどんなふうに笑っていて、ふざけていたか、急にわからなくなってしまったのである。みんなみたいにふざけたり、おちゃらけたり、変顔したり。そんなことが、なんで私には難しいんだろう。恥ずかしがっていると、友人から「根暗」とか「プライドが高い」とか散々言われて、もう空気みたいに透明になる方が楽だった。

そんな私を、U先生も最初の方は「何を考えているのかよくわかんない子」に分類していたと思う。

U先生はとにかく、文章を書かせる人だった。昔から、決して上手ではないけれど、文章を書くことにそれほど苦労しなかった私は、先生から出された課題に、自分なりの考えをもって文章を書いた。そうすると、先生は必ず花丸をくれて、「ここの部分がとても良いですね」と線を引いて褒めてくれた。

そんなU先生と面談した時だった。先生は私に「あなた、本当はちゃんと考えてるじゃない」そう言った。そして、それをもっと表に出していったら?とも。それでも、当時の私は、自分から表に出ようなんて到底できなかった。

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そんなとき、U先生は授業で、高村光太郎の詩「レモン哀歌」を取り上げた。

「レモン哀歌」とは、作者である高村光太郎の妻・智恵子に関する詩集「智恵子抄」の中の作品で、智恵子の死が描かれている。当時の私は、少なからずこの詩に感動したんだと思う。感想文も筆が進んで、いいものが書けた気がしていた。U先生は「良い感想があったから、みんなにも紹介するわね」と言って、私のものとは言わず、みんなの前で私の感想文を読み上げてくれた。

その時、何を書いたか内容なんて覚えていない。U先生の落ち着いた朗読に私の言葉が淡々と刻まれている。それが、ただ嬉しかった。


私たちを担任して最後、U先生は、うちの学校を辞めることになった。

みんな悲しくて泣いていた。私も、泣いた。U先生は私の肩にポンと手を置き、ニコリと微笑んで「頑張ってね」と言って、行ってしまった。私は、それまで学校で泣いたことなんてなかった。それでもあのとき素直に涙を流せたのは、U先生が私に色を与えてくれたからだ。先生だけは、私が透明人間じゃなくて、感情がある人間だとわかっていてくれたから、素直に涙が流せたんだと思う。

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反対に、前者の先生の前で、どんなに悔しくても惨めでも涙が出なかったのは、その先生の前では、私は「透明人間」だったからだ。私みたいな「透明人間」が急に泣きだしたら怖いし、何傷ついてんだよってなるだろう。

先生が送ったメッセージは、確かに素晴らしい。言うなれば100点満点だ。でも、私がかつての学生だったら、このメッセージで救われないだろうなと思う。

私を本当に救った言葉たちは、その人が発した何気ない一言の方だ。それは逆もしかり。人を傷つけるのも、満を持して放たれた一言ではない。その人の、何気ない一言だ。

私は、この何気ない一言に、その人となりが現れるような気がしている。だから、あの先生のメッセージは、どこか笑顔が張り付いているように見えてしまった。

U先生のことを思い出して、レモン哀歌を探して、久しぶりに読んだ。

初めて出会ったあの時よりも、胸に迫るものがあった。

「レモン哀歌」  高村光太郎 
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白いあかるい死の床で
私の手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

一度はサポートされてみたい人生