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【帰国日記】レトロに魅了される年頃③ 〜多度津の重伝建〜

私、建築家が好きなんです。



もし理数に強く想像力が豊かだったならば

建築家になりたかったほど興味ある仕事です。

久しぶりの帰国で、かつてラジオでお世話になった

地元で長く活動している建築家に会いに行きました。

彼はプロジェクトを長期で眺めては采配を振るという行為を

いくつも同時進行で行うから、頭の中の脳みそが

どうなっているのか覗いてみたいといつも思います。

とにかく歩き観察し人との会話を何度も繰り返す。

そこに、多角的からの発想力であらゆる想定をし

その中から一番の選択肢を絞り込む。


絵画を見るときも同じ。作者がどんな想いで

創ったのかを探ることに興奮を覚えます。


新しい事務所で、五重塔の修復や町おこしのその後、

次のプロジェクトなど、建物を建てるだけではない

街づくりを担う官公庁と市民を繋ぎ、

水面下で舵取りをする役目もあり俯瞰して

物事を判断する姿にいつも感銘を受けます。

彼が今注視しているのが、重伝建という

重要伝統的建造物群保存地区」の認定。

香川では本島以外になく、今後、多度津という

小さな町で行うことを目標に活動しています。


さっそく多度津街へ。

香川県の西に位置し、かつて港町として栄えました。

1989年(明治22年)には、多度津から丸亀や琴平に向け

線路をいち早く這わせ、これがなんと、

四国で初めての鉄道となったんです。


ほかに、少林寺拳法始まりの町でもあります。

Webio 辞書によると、

日本の武道家宗道臣(そうどうしん)が昭和22年(1947)に創始した拳法。日本古来の武道と中国各地で学んだ武術を再編したもの。香川県多度津町に開基した金剛禅総本山少林寺を本拠とし、拳法の修練を通じて自己の確立と自他共楽の実践を目指す。中国の少林拳とは異なる。
[補説] 名称は、創始者が少林拳の発祥地とされる中国の嵩山(すうざん)少林寺の壁画に修練のヒントを得たことに由来する。
Webio辞書より

賑わった町は、今では地方の町という具合で、

香川の中でもわざわざくる人はあまりいないほど、

ほかの町の特徴に負けて静まり返ってしまいました。


しかし、かつての繁盛ぶりは、今でも垣間見ることができます。

駅からしばらくすると、商店街があった通りに着きます。

趣ある建物が並び、どの家にも蔵が控えていて、

商売が盛んに行われていたことが窺えます。

しかし、現在はシャッターを閉め、廃墟となり、

手入れされていない建物など、血の通っていない様子が

とても虚しく感じてしまいます。

ですが、町の見どころとなる、立派なお屋敷が多数あります。

それを修善・保存して、次の観光誘致を行おうと

町と共に建築家の知人は活動を行なっています。

合田邸

かつての町の重鎮だったお宅を公開しています。

柱のないガラス戸張の設計は圧巻です。

今でもきれいに現存しているから、これをさらに

長く保存されるために町役場の人も観察を続けています。

広間には、町の歴史を写真からや文章などで紹介。

隣の洋館も興味深い。
筒の長い手水所

通りの気になる建物たち

路地を歩いていて、あっち側も見たいと思わせる。

家々を眺めていると、どのお宅も合田邸のように、

窓の部分が大きいように感じる。

光を取り込むことを重視しているのでしょうか。

これが当時の流行だったのか。



ある一軒の前でおじいさんが声をかけています。

「お見せしますよ〜」

ガラガラッと玄関を開けてました。

なんとそこには、骨董や貴重な品々が並ぶとお宅だったんです。

かつて商売をされていたんでしょう。

帳場には歴史を物語る品物ばかり。

分厚く茶色に変色した帳簿もありました。

通りには、古い屋敷を喫茶店や雑貨店にしているところも。

若者が入ってきて、町の活性化に貢献しています。

新しく再生された場所にホッとします。


通りを抜けると港に出てきます。

その昔は、ここから荷物の上げ下げを行っていました。

その名残が、川幅や海面の近くまで降りられる地形に見られます。

今では使われていないですが設計は残されたままのようです。

実は2022年から、瀬戸内国際芸術祭の会場にもなり、

先ほどの合田邸やほかの建物でアートを展示していました。


これからさらに、町の人々や町役場が力を入れて

修善や保全活動を行い、かつての栄光を記録し続けるためにも

重伝建に向けて進んでもらいたいです。


しかし、まだ多くの人がその価値に気づいていない様子。

先人が気づいた歴史を二代目三代目が消そうとしている。

かつての賑わいとまではいかなくても、

その歴史は後世に伝えていくべきだと思います。

住民の一人一人がその子孫であることに

もっと誇りを持ってもらいたい。さらには、

自分たち自身も町の貴重な財産であることに

気づいてほしい。

そこに、ヨソからの手助けが必要になるはず。

建築家をはじめ、マスコミや有名人からのアプローチもあれば、

見直してくれるのではないだろうか。



そうそう、通りを歩いていると目の前から

見たことある顔が…。咄嗟に名前を呼びました。

かつて働いていた時にお世話になった、

現在のテレビ報道部長だったんです。

地元なのでご両親を連れて散策しに来たんだとか。

さらにまた進むと、今度はその上司の報道局長が。

なんと局長まで地元だから見にきたんだと言っていました。

建築家さんと知り合いなのでしばし立ち話。

しかし、報道では「重伝建」の話題は取り上げにくいらしい。

地元を贔屓していると見られるのではないか、

地元の人はそこまで求めていないと思うなど、

言い訳ばかりを並べているように聞こえる。

どいつもこいつも。(失礼)


多度津の人はどこまで蔑むのか。

しばらく時間がかかりそうな案件です。

町のおじいさんも、高齢者の語り手も、

いなくなる前に、町の歴史を再確認してほしい。

これは多度津町だけの問題だけではなく、

香川県にとっても失いたくない歴史遺産。

さぁ、これからどうなっていくのか。

そもそも登録される日は来るのか⁉︎

イタリアにいながらにして、何かできないかともどかしく思う。

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