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【イタリア】選択的夫婦別姓 どうかしてる!

日本で、長らく話題になっては進展しない選択的夫婦別姓制度について。
実体験から意見を綴った。覚悟を。


女子の憧れ

子どもの頃は、女子たちは名前で遊んでいた。
好きな男子の苗字を自分の名前と組み合わせて、
しっくりくるだの、演歌歌手みたいだの、
ただ書いて並べるだけでドキドキワクワクしたものだ。

そう、子どもの頃から女子たちの苗字が変わることは、
当然だと思って育ってきた。

もちろん、結婚すればの話…


イタリアに夫婦別姓制度はない!

いい大人になった私は、
イタリア人と出会い結婚することにした。

イタリアで婚姻が成立して半年以内に、
自分の苗字を変えるか否かを決断しなければいけなかった。

イタリアに長く住む日本人の友だちに聞いたら、
みんな、「旧姓のままで変更しないものよ。」と。

イタリアでは、結婚したとしても、
苗字が変わることはない。
そもそも、夫婦別姓という考え方がない!
人は、個人個人違うという認識。

結婚したことは、市に提出した婚姻届により、
自分の住民票に記載されている。
ただそれだけのこと。

イタリアでは、自分の生まれた時の名前を一生通す
基本的には、自分の名前は変わらない。
だから、銀行も、クレジットカードも、免許証も、身分証明するものは、
結婚をした後でも、全て自分の名前を使う。


イタリアの法律では、

妻は、自分の名前を放棄することはなく、結婚をして、
夫の姓を名乗ることができる。使用する権利が与えられる。

「できる」のがポイント。名乗っても名乗らなくてもいい。



義理の母に尋ねてみた。
「夫の苗字をいつ使うの?」すると彼女は、

「うーん… 使ったことない」と一言放った。

おそらく、夫が子どもの時に学校で使用したはず。
だが、自分を示すのに、使う必要はなかったと。


当然ながら、名乗ってもいい。

私も、自分が外国人であることを、伝えるのが面倒な場面では、
夫の名前を出すこともある。それがスムーズだから。
例えば、お店で予約をする時。
日本人の名前に慣れていないので、伝えるのにも時間がかかる。
だから使わない。これは、スペルがややこしい苗字の女性なら、
夫のものを使う。それと、同じこと。


IDは変えられない

アイデンティティとは、日本語で「同一性」という意味。
つまり、変わることのない、自分を証明するもの
だから、変えることができない。


これは、
誕生日、出生地、血液型と同じように、
身分証明の一つになる。

実際、イタリアではこんな使われ方をする。

窓口で名前を言うと、必ず
「生年月日はいつ?」と聴かれる。
目の前のコンピューターに表示された、私の情報が
本物かどうかを照らし合わすために、
本人の口から誕生日を聴いて確かめる。

「名前」はIDなのだ。


子どもの名前

イタリアでは、子どもの苗字は、
父親と言える人が存在する場合、その姓を受け継ぐことが一般的。
しかし、母親の姓をつけることもできる。
また、混合することもできるとか。

しかし、離婚したとしても、
子どもの姓は、変えないし、簡単には変えられない。

離婚した場合、夫婦のあり方も日本とは違う。
親は、子どもに会う権利がある。
もし、親権がある母親が父親に会わせなければ、
誘拐や拉致扱いになってしまう。

子どもの立場から考えても、
離婚したとしても、両親に会いたいと考えるからだろう。
だから、一緒に住んでいなくても、
名前の中に、親子であることを感じているのかもしれない。

逆に、それを悲しく思う子どもがいるのも事実。
名乗りたくない親の姓を一生背負うことになる。
そこは慎重にならなければいけない。



では、話を日本軸に移そう。



外国人と結婚すると「選択的別姓」

苗字を変えたくない女性は、
外国人と結婚するのが良いかもしれない。

なぜなら、苗字を3つのパターンで選べるから。
① 旧姓のまま
② 夫の姓に変更
③ 混合型を作る

海外で生活するにあたり、地域にあった、家族に合った
苗字を選択することができる。

なんて進んでいるんだ!!と感じる。


だから、私はイタリアの文化に倣って、
「旧姓」のまま変更をしないことに決めた。


戸籍制度に感情を抱くな!


結婚する前、日本に帰国した際に、
戸籍謄本などの書類をもらいに行った窓口で、
苗字が変わるとどうなるかと質問をした。
すると、

窓口の女性は、

「結婚すると、全ての人が親の戸籍から抜け、妻は夫の戸籍に入ります。
相手が外国人で日本国籍を持っていない場合、日本国籍のあなたが、戸籍の筆頭者になります。名前を旦那さんの苗字に変更するなら、カタカナ表記にした戸籍です。変更しなければそのまま。いずれにしても、旦那さんの名前や生年月日などの情報は、あなたの下に記載されます。」


さらにこの担当者は、

「もし、あなたは変更せずに、お子さんが日本国籍を取得し旦那さんの苗字にする場合、出生届にその旨を記入し、旦那さんの苗字でできたカタカナの戸籍が作られます。ですので、あなたの戸籍からも抜け、お子さんが筆頭者となります。子どもだけ一人の戸籍です。」
「親と子どもの戸籍がバラバラになります。」


「は、はい…。」

一瞬納得したようで、大きな違和感というか、
疑問というか、胸騒ぎがした。

どことなく、戸籍が一人でかわいそう?寂しそう?
子どもなのに筆頭者?責任重大?
なんだか、ひとりぼっちになてしまうような
悲しい感情を抱かせられている。

・・・・・・・・・・・・!?


だが、書類上の状態であって、
現実社会はそんなことはない。
戸籍に感情を入れてはいけない!!と私は思う。
特に、親世代以上になるとそこに感情を入れがち。
幸い、私の両親は理解がある。だから私はこのように育った。

日本では、外国人と日本人の親元に生まれた子どもは、
22歳になるまでは国籍決定を留保することができる。
決断できる大人になった時に、
子ども自身が「どの国籍を選ぶか」が重要。
自分の生きていく国、活動の場、アイデンティティはどこなのか。

だから、親が決めることでもなければ、
その両親(祖父母)が助言することでもない。
ましてや、窓口の ”あんた” が、とやかく言うことでも毛頭ない。

再度言うが、
紙の上のことで合って、
戸籍に感情は入れ込むな。


夫の戸籍に入ったからといって、離婚しないワケはない。
結婚しないカップルが、うまくいかないワケもない。
そこに変わりはない!

いかに戸籍上のことが重要でないかが分かる。
ただのカタチに過ぎない。
もちろん、ケジメがつくこともある。
だが、そのケジメに締め付けられ、
苦しい想いをしている人もいる。


夫は全員、妻の姓に変える義務

ちょっと、質問を投げかけよう。

「来年度から、結婚をすると、
男性が、女性の姓に変更する義務に法律を変えた。」

こうなった場合、男性陣や男性側の家族は、
どのような感情を抱くのだろうか…



猛反対するだろう。


女性側の家族に、低姿勢で挨拶しに行き、
妻の家族側に、「僕も仲間に入れててください。」
また妻は「彼を私にください」と頭を下げるのか。


どうしても、対等な立場にならない。


何十年もの間、女性たち家族は、このようなことを行ってきた。
「こういうもんだ」と受け入れるしかなかった。法律だから。
また、婿入りした男性の場合も同様。
夫は、妻の家族の中、肩身が狭い想いを抱いているイメージが強い。
それを「マスオさん」と言うのも、時代遅れ。

家族で、戸籍や姓やを統一することは、
誰かがどこかで、寂しさや悲しさ、居心地の悪さを感じてしまう。


反対者の意見 「戸籍が崩れる」

選択的夫婦別姓制度を反対する人は、まだまだ多い。

その理由の一つに、
「戸籍制度が崩れる。家族制度が壊れる。」

外国人と結婚した者、
何らかの理由で、親と違う苗字の子どもは、
同じ戸籍に入れられない。

これを、戸籍が壊れていると言うのであれば、
私たちは、非国民で壊れているのか?
私たちが、壊していると言うことか?

?????

何なら、壊しにかかっても良いほど。
いや、むしろ、

戸籍制度が日本社会を壊している。
と、私は言いたい。

この制度を崩壊した方が、
未来の子どもたちのためになる。

戦前のマニュアルに沿った、
固執した考えの大人たちが、
子どもや孫の世代の首を締めている。

世界から取り残されるのも時間の問題。


妄想するに、
もし、アメリカの大統領や世界を動かす有名人が、
「日本は時代遅れで、戸籍制度を使用している」とでも発言すば、
日本政府はすぐさま憲法を改正するだろう。
何より世間体を気にして行動する傾向にあるから。


誰もが幸せになる方法


イタリアや諸外国が採用しているように、
役所では、「個人」を登録するようにすればいい。

アイデンティティは、生まれた時の名前を使うため、
結婚しても、自分の名前が変わることはない。
愛着を持ったまま、一生名乗ることができる。


このnoteでは、夫の苗字を利用している。
これは日本に向けて、外国人と結婚し活動していることを
一目で分かりやすくするためだ。いわゆる芸名のようなもの。


日本も、仕事で旧姓を貫きたい人はそれを通せばいいと思う。
私が勤めていたマスコミ関係は、ほぼこのような形で仕事をしている。


もっと、社会的に地位のある学者や肩書きのある人の名前には、
特別対応する柔軟さを日本政府には持ってもらいた。
才能や功績を蔑ろにしてはいけない。

あらゆるタイプを受け入れる、ダイバーシティな国を目指すなら、
結婚のカタチも、一つにこだわるのは もう止めにしよう。


これからの時代は、
21世紀の若者の手によって、変えていかなければならない。
今、その分岐点に私たちは生きている。

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