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はじめる勇気とやめない勇気

4年前に書いたnoteが時代にあわなくなったので書き直しました。書き直すのは一から書くより難しい。納得できるほど熟成されてないけど何よりもあげることが大事だと思いアップします。スッキリした言葉は書きません。5分や10分で得られるなんてあり得ないからです。それでも何かが分かちあえるなら嬉しいです。そしてあなたの『何かを問いかける』文章を書いてくれたら読みにいきます。このnoteを貼っておいてくれれば通知にでますから。そう。話さなきゃわからないし、書かなければ何かははじまりませんから。


調子が悪いと隣の芝生が青く見えます。ひがみ根性が強くなったり、何かうまくいかないと他人のせいにしたくなります。自分よりいい思いをしていると腹が立ちます。自分にとって都合の良いことは当然の権利と思うけど、少しでも気に入らないと文句を言わずには収まらない。このような人が増えると息が詰まるようになります。寛容とはほど遠い「不寛容社会」が長いこと覆い尽くしてる気がする。

積極的にチャレンジすることは難しく、コスパの良い事が無意識の基準になっています。どの組織でも新しいことをやろうとすると「とはいえ」慎重派と「がしかし」積極派が答えのない会議を繰り返すばかりです。新しいビジネスモデルを生み出すには何かを捨てなければなりませんが、ずるずると沈んでいくことに「しかたがないよね」と慰め合うのが失われた30年になっている。大航海時代のポルトガルのように一時期は世界に冠たる栄光を背負っていたのに凋落した国になってしまう気がするのはワタシだけでしょうか。なんでもネットで買えますが、夢や希望だけは手に入らない国になってしまいました。

チャレンジしようとすれば、膨大なエネルギーが必要だし、失敗したときのリスクも当然あります。競争している場合は摩擦も生じたりもするでしょう。そうなるとチャレンジなど不可能です。とにかく組織や地域では「無難」が大事。職場や地域で批判されることは村八分につながるので一番困るからです。よく考えれば当然なのですが、新しいことの正解は誰にもわからないのにエビデンスはあるか?必ず成果が出るのか?そんな安全牌など無いことは誰もがわかっているのに。

日本人は「転換期」に弱い。黒船来航の明治維新、太平洋戦争・敗戦後の占領。外圧による「仕方ないよね」の共通認識が醸成されないと変革することができませんでした。

情報の民主化は、既存メディアを変え戦争を変えてしまうほど価値観や思考様式を変化させました。無意識のうちに短期的なコスパだけで反応する人が過半数を超えています。SNSはその象徴です。そこから感じるのは戦後に進駐軍が行った3S政策の完了形がGAFAMによるスマホの植民地化ではないかと考えてしまいます。

世間では希少価値は時間だと言いますが、時間より「息苦しい不安と不自由からの脱出」の方が希少だと感じます。自由とは責任が伴うものですが、「息苦しい不安と不自由からの脱出」には犠牲が伴います。その犠牲とは身を削るような何かを捨てることから始まるのでしょうか。それとも妄想の果ての突拍子もないことなのでしょうか。

当たり前ですが、一歩前進するためには新たなチャレンジが必要です。今までと同じやり方では何も変わりません。むしろ後退です。しかしココで「これが正解!」とか「これだけをやればOK!」とは言いたくありません。そんな魔法のような策は無いからです。

新たなことを始めようとするのだから摩擦があるのは当然です。絶対に問題がないと言い切れることなど殆どありません。「何か言われるぐらいのことを覚悟する」とは「いいね」を求めない、「評価を求めない」からはじまるのだと思います。

そもそも「何がマトモか?」論ずることさえ難しい。多様性という名の「責任のない自由」が百花繚乱な時代です。始める勇気を持つことは絶滅種であり希少価値だと思います。もしあなたがそこに機会を見出して、自分を信じて行動するなら明日は必ず明るい未来が訪れるでしょう。自分を信じることができなければヒトを信じることなど出来ないからです。ヒトを信じるから信じてもらえる。そのとき初めて物ごとは廻り始めるのだと思います。いろいろ巡るから分かち合うことができる。コトバにならない言葉を大事にしたいと思います。

(困ったときの)「お互いさま」を分かち合えるのは、傷を舐め合うためにあるのではなく、苦しいときを乗り越えるための融通し合う優しいココロです。そのために強くなくてはなりません。強さとは外側に使うものではなく内向きに使うもの。そこを間違わないように自戒を含めて気をつけようと思います。

ハードでなければ生きていけない、ジェントルでなければ生きていく気にもなれない。:フィリップ・マーロウ

どんな事が起こっても平然と生きていく。「お互いさま」と言える「寛容」な一歩を踏みしたいと思います。「挑戦」は「蛮勇」の為にあるのではありません。「しあわせ」を分かち合うための「一歩」だと思うからです。

重ねて言いますが、スッキリした言葉は書きません。5分や10分で得られるなんてあり得ないからです。それでも何かが分かちあえるなら嬉しいです。

悲観は感情であり、楽観は意志だと言います。「まあ。ええやないの。やってみようやないの」生きるとは、挑戦の連続だし、やめない勇気と、始める勇気がとても大切だと思うのです。

追伸
先日「いまは昔より良いと思いますか?」と聞かれました。「今のほうがいい時代だと思う」と答えました。30年前は多様性もなく、株式会社を作るための株主資本証明書を銀行はなかなか発行してくれず、シェアされない上位下達しかない縦社会で、学歴や職歴が全ての時代でした。今のほうが全然いい時代だと思います。

#はじめる勇気とやめない勇気

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