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ずっと夜を駆けていたかった #金曜トワイライト

伝えたい事はかならずしも言葉にはならない。ひび割れた写真は事実を伝えてくれるけど、心の景色は映らない。だからあの日の景色を書き残しておこう。

先週は体調不良でお休みしました。でもなんでですかね。シゴトよりも罪悪感が深い。だからココロをこめて書きます。エモいの書けなくて、演歌調になっても許してね。これが僕の等身大だから。

#金曜トワイライト

「小説を音楽にするユニット」で気になってたYOASOBI。駆けるようなテンポが素敵。恋はいつも駆けている。だから美しいのかもしれない。駆け続けることは難しいから。


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山手のトンネルを抜けて真っ直ぐ走るとそこはアメリカだった。

1982年はまだ本牧に米軍住宅があって、鉄条網には「OFF LIMIT・この先は基地関係者以外は立ち入り禁止」と書かれた標識が目についた。

金網の横には小さな消防署。オートバイを左に傾けると、鉄条網に沿って真っ直ぐに”コンクリートの硬い道”が埠頭まで伸びていた。そこは軍用道路だった。

陽が沈んでいく。風は少し乾いてきて、飛ばすには少し肌寒かった。ハイネケンの看板が見えてくる。店を通りすぎてからエンジンを切った。

その年は年明けから、ホテル・ニュージャパンの火災があったり、日航機が羽田沖で機長がトチ狂って”逆噴射”して墜落したり、何かと世間は忙しそうだった。高校1年生の夏は、バスケ部の合宿と、免許試験と、居候先の逗子の日々であっという間に過ぎた。

アロハカフェが、昔のままの本牧にあった頃。半段下がった所にビリヤード台があって、常連らしき客が賭けの勝負をしていた。カウンターには暇そうなバーテンダーがいた。通り沿いのテラス席はもう肌寒かった。彼女と向かい合わせに座った。

「最近どう?」

「うーん。あんまり変わんないかな。逗子の生活はどう?カナエさん元気?」

「うん元気。相変わらず豪快に剣菱呑んで麻雀勝ちまくってる。。あのね。バスケ部辞めようと思う。っーか学校やめるかも。学校いると稼げないし」

ホールの姉さんはサーファーっぽい髪の毛の色だった。僕はバドワイザーとコーラを注文した。お姉さんは「バドワイザーね」と言って僕にウインクした。何歳なのか見透かされているように感じた。

「あたしは相変わらず帰宅部。逗子また行きたいなぁ。日陰茶屋とか。葉山マリーナとか楽しかったね。作ってくれた焼きそばも美味しかったし」

通りを眺めてる横顔がスキだった。長い髪に白いTシャツと洗いざらしのデニムが似合っていた。いや。全部がスキだった。

「ねえ。あの中に入ったことある?基地のなか」

どっか遠いとこに行けたらいいなぁ。と言われたけど、何て答えていいのかわからない。この先どうなるか真っ暗闇だった。家を出てから半年が過ぎようとしていた。


・・・・

春なのに寒雨がもうすぐ降りそうな日に、目があって声をかけた。セーラー服で学校はわかったし、長い髪はどこから見てもモテそうなタイプだった。彼女はいつも1人だった。ニコリともしない雰囲気。学校で聞きまくっても噂を聞かなかった。「謎多き女子」はホームの端っこで空を見上げていた。

「いつもこの電車に乗るんですか?」

驚いた顔をして、僕の目を真っ直ぐに見ている。失敗しちゃったかなと思ってしばらく黙っていた。

「うん。そう。もうすぐ雨が降るみたい」

彼女は空をまた見上げた。電車の中で、窓から遠くへ流れていく雨雲を見ながら少しずつ話をした。同じ歳で共通の友達がわかって、また会おうねと先に降りた。地下鉄に乗り換える階段を降りる。また会えるといいなと思った。きっと会えると思った。

・・・・


バドワイザーを一口吞んでから、長い睫の眼をしっかり見た。

「バイト始めたんだ。。六本木のステーキハウス。友達のお父さんがやってて、雇ってもらえることになった。少しずつ貯めなきゃね。。あと膝の手術するかもしれない。痛いのが中々治らなくて、別の病院行ったら手術したほうがいいって言われた。でもバスケやめるなら、しなくていいし、お金ないからやらないかもしれない」

ストローをかき混ぜながら彼女はゆっくりと話す。

「なんか。。会わないうちに色んなことあったんだね」

彼女は、歳の離れたお兄ちゃんのボケとかヨット部の合宿に差し入れしに行ったこととか、お父さんが僕の事を聞いて心配そうだったとか。お姉さんはいつまでも結婚できないで既に後家さんみたいだとか話してくれた。

「ねぇ。ビール美味しそうだね」

彼女は少し寂しそうな顔をした。自分もついこの前までは平凡だと思っていた。よくわからなかった。小さい頃からパワーの半分以上が”絶えない親の揉め事”にすり減らされていた事に気がついたのはだいぶ経ってからだ。

「帰る前にイイとこ見つけたんだ。行かない?」

ちょい用を足してくる。そういうのも少し恥ずかしかった。

トイレから席に戻ると、彼女は何かを書いていた。僕の方を見てペロっと舌を出して「見つかっちゃったね」と言って小さなポシェットに手紙をしまった。

金網の向こうに見える広い空はマジックアワーから、すでに三日月🌙がのぼってきている。

「寒くなるからトレーナー着て」

腰に巻いていた白いフード付きのトレーナーを渡すと彼女は髪をポニーテールに結いてから被った。似合っていた。

赤いヘルメットを被せてあげると、「どう?」とエヘンという感じに胸を張った。タンクにつけてあるカーキ色のバックから青いダンガリーのシャツを出して羽織った。オートバイに跨ると彼女は腕を回して「いいよ」と強く僕にしがみついた。

・・・・

”横浜港・税関”の交差点を曲がると、その先は工事中の鉄柵がある。その先通行止め。ヘルメットをバイクのロックに引っ掛けると、鉄柵の端っこの隙間から向こう側にすり抜けた。

廃線になった線路が轢いてある橋を渡ると、旧い赤レンガ倉庫が見えてきた。微かに船の音が聞こえてくる。夜の倉庫にすでにひとの気配はない。進駐軍が補給庫として接収してたから、ここにもオフリミットの看板がまだ残っている。

倉庫の横に伸びる貨物線の上を歩く。倉庫の影になった暗闇を抜けるとキラキラと輝く横浜港が見えた。旧い大桟橋に客船はいなかった。港に浮かぶ貨物船が小さく光っていた。

岸壁に並んで座ると風はもう完全なる秋で寒かった。肩がそっと触れてドキドキする。トレーナー越しに感じる柔らかな感触をいつまでも感じていたかった。

先なんか何も見えなかった。夢も希望もなかった。また会えるのはいつだろう。もう2度と会えないことになるのかもしれない。

汽笛が長く響いた。

「ねぇ。私たちどうなるんだろうね。ジュン君はこのままどっか行っちゃいそうで怖いよ」

何て答えていいのかわからなかった。バスケ部やめて、学校もやめたら、どうなるんだろう。付き合う友達も変わるのだろうか。2人とも見えない明日に怯えていたのかもしれない。漫然とした不安が影を落としている。汽笛に寂しさが高まってくる。

「なるようになるよ。また逗子に遊びにおいで。焼きそば作るから」

「お腹空いてきちゃった。。。今日はご飯外で食べてくるって言ってきたから遅くなっても大丈夫」

彼女はニコッと笑うと僕の目を真っ直ぐ見つめた。

「ねぇ。スキ?」

静かに頷くと、長い髪が近づいてきた。おでこをくっつけると、ゆっくりと鼻が近づいてくる。そして柔らかな唇に重ねた。埠頭に伸びるオレンジ色の光が、瞳に映り込んでいる。長い睫毛が光っていた。

ずっとだきしめていたかった。
ずっとこのままでいたかった。
だけど前に進まないと2人とも消えてしまいそうだった。

「オレは大好きだよ」

彼女の手が背中に回ってギュッとカラダが引き寄せられると、胸元に顔を押しつけてきた。

「このままでいて」

シャツの第二ボタンのあたりが濡れてきた。
僕はただ突っ立っていた。

彼女は黙っていた。
それでもいい。
それでもいいと思える恋だった。
きっと彼女も同じ気持ちだったと思う。
2人とも同じ時間を生きていたから。


・・・

第二京浜に抜けて彼女を送った。
もうすぐ10時になる
アクセルを捻ると彼女は回した腕に力を入れた。夜の風がどんどん後ろに流れていく。

「寒かったでしょ。ごめんね」

彼女から手渡されたトレーナーを被るとほのかな匂いがした。少しレモンの香りがする。

小さなポシェットから手紙を出すと「帰ったら読んでね。夏休みのお土産もいれといたから」と少し首をすくめて走っていってしまった。路地の角を曲がるときに振り返って小さく手を振ってくれた。そして見えなくなった。

バイクのエンジンをかけると思いっきりスロットルを捻った。月が目の端に流れた。

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Special Thanks 猫野サラ

・・・・
日吉の丘の上にある男子校は学年に18 クラスあって、毎日なにか事件が起きていた。タバコがトイレで見つかって停学になるやつ、雀荘で見つかって3度目で退学になるやつ。留年して高2年なのにすでに18歳で改造したフェアレディZで通学してくる先輩。ギターが上手くてレコード会社に呼ばれたやつ。クスリがスキで下剤を飲んで気持ちよくなってるやつ。漢文の教師の袖をひっぱたら千切れて抜けた。なぜか廊下にう○こがあって飛び越えて笑っていた。毎日が刺激的でカオスだった。そこは世界の縮図で社会そのもの。試験はカンニングばかりしてたのに、だいたいビリから2番目だった。

同じバスケ部の友達は小学校からの内部進学だったけど、そこの家は父親は内縁の妻のとこへ行って、たまにしか帰ってこないし、友達のお兄さんは優しくて、周りの友達は人間力高めのメンタルがリアルにツヨツヨで、いつも5~6人が寝泊りしてる風変わりな家の子だった。

僕は友達の母親というよりも、剛気な家主さんのような”カナエさん”に、日本酒・剣菱を風呂敷に包んで、挨拶をして逗子の家に居候になる事となった。

・・・・

逗子に帰ると、麻雀大会が最高潮だった。台所で鍋を覗く。カレーだった。奇跡的に炊飯器にはお米が残っていた。ダイニングテーブルで食べてると家主のカナエさんがご機嫌で向かい側に座った。大勝ちしたのがわかる。僕は剣菱をグラスに注いでお疲れ様ですと言った。

「青年よ。調子はどうだい?」

「アロハ行きました。本牧はよかったです」

カナエさんはうんうんと頷いていた。全てを見透かされているようで、それ以上は話さなかった。たぶん”何か”伝わっていたんだと思う。家に帰らない僕のことも。彼女のことも。

逗子湾を見下ろす庭に出て、デッキチェアに座るとポケットから手紙を出した。小さ目の封筒は少しヨレている。明かりにかざすと交通安全のお守りが入っていた。手紙には「会えて良かったよ。いつも会いたいよ。お守り大事にしてね」と書いてあった。空の月が滲んだ。

・・・

「よお!恋をしてるかい!」
酔った先輩が肩に手を回してきた。慌ててポケットにしまう。

「今度470に乗せてやるから彼女連れてこい。オレの彼女と4人で乗ろうな」

あてにならない口約束。でも少し嬉しかった。
カナエさんが何か言ってくれたのかもしれない。ボクは家よりも家族に恵まれた。そしてこの家族の輪に彼女がいたら幸せだろうなと思った。

「もぉ~。酔っ払いすぎですよぉ~」

「よし!飲もう!明日は休め!そしてジャンジャン飲もう!」

先輩と肩を組みながら部屋に戻ると、麻雀大会がまた始まっていた。ボクは剣菱をグラスに注いで先輩と乾杯した。麻雀卓からカナエさんがウインクしたのが見えた。酒を一気に煽る。今を生きようと思った。彼女に会いたくなった。彼女に手紙を書こう。

逗子の遅れた夏の夜は、秋冬へと駆けていく。

#金曜トワイライト

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若い世代の方には、信じられないかもしれないけど、1982年頃の渋谷のセンター街は20時を超えるとヒトなど歩いていなかった。センター街の終わり(マクドナルドの角)には「やるき茶屋」が踏切の音を出していて、一層寂しさがつのった。深夜まで人が溢れるようになったのは1986年から。

人の動きも、価値観も、あっと言う間に変わる。だから今の状況なんて当てにならない。先なんて見えない。振り返ったらあるだけ。だから恋も夢も元気も大事にしてほしい。だって一度かぎりの人生だから。

金曜日に乾杯!


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・アロハカフェ※⇒ https://www.kanaloco.jp/article/entry-227842.html

・横浜は「小さなアメリカ」だった。「フェンスの向こう側」※⇒ http://www.yokohama-album.jp/special/post_104.php

・本牧って昔はどんな感じだった?(前編)⇒ https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=2381


そのうち、「金曜トワイライト・バックヤード」でも書いてみたい。元気があればいい。元気でいれば何とかなる。元気になる想い出の曲を最後においておきます。また金曜日にお会いしましょう。



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