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#福岡移住 して友達が沢山できたハナシ

意外な事とか失敗談とか、移住者だから書けることがあると思う。福岡が大好きだからこそ「移住のリアル」を書いておきたくなった。これは「東京に疲れた人」に送る手紙みたいなもの。それ以上でも以下でもない。

池松潤(いけまつじゅん)
恋愛小説家 #金曜トワイライト / SNSコーチング サービス/ アウトプットLAB主催 / サイボウズ式第2編集部。慶応義塾大学卒業後、大手広告会社員時代に雑誌コラム連載・ビジネス書を執筆。※登壇・イベント情報は⇒コチラ 

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■友達は1人もいなかった。けれど街の人はみんな優しかった。

ボクは東京に疲れていた。いや人生に疲れていた。入院したり、離婚したり、仕事を辞めたり、正直何をしても楽しく無かった。何も感じないのだ。ボクは「燃え殻」になっていた。

「酒」と「景色」を写メする事だけに救われた。東日本大震災から都会のヒトは自転車に乗るようになった。ボクは友人から自転車を借りて、横須賀まで軍艦を眺めに行った。弱ったカラダにはキツい。距離50Kmくらいの距離をノロノロと漕いで3時間以上かけて辿り着いた。軍港にはダイエーに隣接したスタバがあって、2階から潜水艦を眺めるのが唯一の気休めだった。なかなかカラダもココロも回復しなかった。

福岡へ辿り着く経緯は全部書くと長くなる。だからそのうち書こうと思うけど、福岡に友人は一人も居なかった。仕事も無かった。あるとすれば東京の飲み友達に紹介してもらった「BAR」だけだった。ボクの福岡LIFEはZEROから始まった。マイナスよりましだった。

「よかよか。まぁ。呑んでいきんしゃい」(こんな風に聞こえた)。この街は、受け入れる文化があった。それは「屋台文化」かもしれない。「ラテンな人たち」だなと感じた。だから福岡の友達は「夜深くまで営業するお酒を出す店のヒトたち」から始まった。住み始めた頃は、9割以上がBAR関係とそのお客さんだった。

毎日「それなりに」楽しかった。夕方にジムに行って、サウナと大きな風呂に入る(体重は87Kgあって太っていた)日が沈むころはBARの扉を開くには丁度よい。そうすると誰か「飲み友達」に出会う。何軒かハシゴしてBARに戻ってくる。店じまいすると一緒に〆ごはんを食べにいった。夏だと日が昇る頃に部屋に帰るハメになる。寝るのはイヤで、シャワーを浴びると大濠公園に走りに行った。休日になると近くの山へ登りにいった。


山頂から街並みを眺めてボーっとする。ボクは何をやってるのか?と自問自答が続く。何も感じない生活が続いた。ある日、お寿司屋さんに心配されて「性の出るもん食べてってよ」と言われる始末だった。たぶん青白い顔をしていたのだろう。まぁ。思いつめた顔をしていたのかもしれない。このお寿司屋さんは、自転車ロードバイクに乗るようになって、いまでも時々、寝台列車・ななつつ星から写メをLINEしてくれる。

出会うヒトは誰もが、陽気で気さくで優しかった。だから、この街に住んでもいいかなと思ったんだ。


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※初めて部屋を借りた時。不動産屋さんはずっと一緒のヒト。色々教えてくれる。



■山笠が終わったあと、朝帰りはイヤになった。

BAR関係者95%以上の生活の問題点は「生活のリズム」が違いすぎることだった。ボクの朝は早い。基本的にショートスリーパーなのだ。身体を壊す前は1時間くらいしか寝ない生活をしていた。だから体を壊したともいえる。朝はヒトが少ないし、空気も清々しい。だから朝の散歩やランニングが好きだった。朝の山は一番すきだ。東京で染みついた「独りで考え事」をする癖が抜けなかった。

山笠は朝6時過ぎに終わる。BARに紹介された女性のお守りが面倒になって逃げるように部屋に帰った。ボクはあても無く旅に出ることにした。朝帰りで寝て、午後に起きた時の「絶望感」が堪らなくイヤだったから。

朝帰りになるのは「BAR関係の友達」が多いからだった。ボクは吞みに行く回数を減らすには、どうすれば良いか新幹線から見える流れる車窓を見て考えていた。しかし妙案は一向に浮かばない。酒に溺れている訳でも無いし、寂しい病に罹患しているのでも無い。しかし急に友達は出来ないのだった。

「仕事」より「遊び」の方が難しい。仕事は「受注」か「発注」もしくは上司か部下か同僚だ。感情よりも理屈や経済原則が優先する。儲かる事が優先だ。しかし友情は「感情」である。情けに「理屈」は無い。そしてカネでは買えない。カネでついてくるヒトはまぁまぁいるけど、一時しのぎに過ぎない。そして刹那的だ。それに、その関係は「友人」とは呼ばない。「知人」と呼ぶのだ。

ボクは昼職のヒトと付き合いたくなった。だけど当ては無かった。転機は「消費税アップ」だった。


■自転車ロードバイクが人生を変えた

消費税が8%に上がる時に新車を買おうと思った。それまで3万円くらいの中古をヤフオクで買った。10万円以上の自転車を買うヤツはバカだと思っていた。

しかし買ってしまった

。。。20万円。。。

夢のような軽さだと感じた。翌週には「浮羽まで往復150kmくらいなんですけど、一緒に走りに行きませんか?」と自転車屋さんに誘われた。「東京⇔横須賀」往復で100Kmだった。「福岡⇔唐津」往復も100Kmだ。それくらいは走れた。「最後に500mくらい登りがあるんですけどね。まぁ大丈夫でしょう」と言うので付いてゆくことにした。もちろん自転車ジャージなんて持っていない。登山服を着てバタバタはためかせながら走った。

騙された。「500m登る」とは標高の事で、距離にしたら6kmの坂道だった。目的の山荘まで辿り着くには何時間もかかった気がした。それまで「山」とは「バイパスのかまぼこ状の坂」だと思っていた。本当の坂道に出会った。こりゃヤバいなと感じた。なんとか帰ってくると「まぁなんとかなるもんだな」と思って、すっかり苦しい事は忘れてしまった。それほど「自転車仲間」は性に合った。何も言わなくても「坂道は性格が解かる」のが良かった。


「坂で苦しくても逃げない」のか
「坂で苦しくなると逃げる」のか


どちらかだった。それは一緒に走ればわかる。そして、無心で坂を登りきったあと、飲み干すコーラは格別な味だった。坂を登るのに「職業」や「肩書」は関係ない。「速いか」「遅いか」だけだった。高級な自転車に乗っているから速く走れる訳ではない。そして「所詮遊びなんだから怪我をするような無茶はしてはダメ」というのも気にいった。

翌月には再度「騙された」いや「騙されてもいい」と思った。標高1000m。激坂のそびえる山へ。登りきった所にある自衛隊・レーダー基地の前で、写メに映っている自分は「見た事が無いほど」清々しい表情をしていた。

その年の暮れに東京の飲み友達の忘年会で「おまえ明るくなったなぁ」と言われた。ボクはフーテンの寅さんみたいに「人生、毎日が夏休みでーす」とおどける程度には回復していた。何も感じないほど燃え殻だったのに。この街がボクを明るくしてくれた。感謝してもしきれない理由がある。

翌年には、自転車プロ選手のオフトレ―ニングに帯同して「タイ合宿」に行くことになるとは思っていなかった。そして数年後には、フランスへレースに出るために4週間もフランス語しか話さないお婆ちゃんの家の屋根裏部屋にホームステイするともは予想もできなかった。移住ライフが変わり始めた。


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はじめて標高1000m・背振山・自衛隊道路の激坂に登る直前。いま原型をとどめている男性は1名しかいない。みんな巨大化してしまった。進撃の巨人事件。



■趣味の「数珠つなぎ物語」

自転車ロードバイクの仲間に誘われて、苛酷なRideイベントにも出走した。厳冬期・雪の中の阿蘇周辺を距離120km・累積標高3000m。3割は道が無い。旧国鉄の廃線跡や、大名行列が通った石の階段、雪道の山を自転車ロードバイクで走る、夕陽の先にダイヤモンドダストが見えた時は「なんかアイウエアの鼻にあたるゴムが痛いな」と感じたらウレタンゴムが凍っていた。道路標識の気温がマイナス2度を表示している。ゴールして温泉にある体重計に乗ったら5Kg痩せていた。ワケがわからなかった。変態への仲間入りだった。

自転車・変態関係者(仲間)は「苦しい事が大好物」だ。登山もその範疇に入る。アウトドア派なのでは無い。結果的にアウトドア派ななのだ。自転車仲間は、登山仲間へ、トレラン仲間へ、キャンプ仲間へと「数珠つなぎ」のように広がっていった。

山に登り、キャンプをする。絶景も、温泉も、美味いご飯も、すべて揃っていた。九州は自然の宝庫だ。知らない世界や、はじめて学ぶことばかりだった。夜中に用をたしたくなって、テントから出てトイレへ向かう。途中、空を見上げると、空に吸い込まれた。「天の川」の中にボクはいた。そのまま手を広げれば、宇宙に行けそうだった。視線を下げると、遠くにテントの灯りがチラチラと瞬いている。ボクは頬に流れるものを感じた。しばらく用をたすのを忘れて、草原の中に佇んでいた。時々さぁーっと風が通り過ぎていく。そして草の香りがボクを追い越して向こうの山へ駆け抜けて行った。涙が枯れるまでどのくらいの流れ星を見ただろう。心のシャッターを何度も押した。ボクは言葉を超えた世界にいた。


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※九重・坊ガツル草原へ。初テント泊。標高1200mに法華院温泉があるというお気に入りの場所。



■好きだから「キライ」も見えてくる

新しい店やビルが出来ると最初はヒトが集まるけど、そのうち閑古鳥が鳴くようになる。熱しやすく覚めやすいとも言える。明るく陽気な人達は「自称・快楽至上主義者」と語る人が多い。快楽を優先しますよという意味だ。ラテン的とも言える。ただしコレには慣れが必要だ。だから「この前オレのスケジュールを融通したじゃねーかよ」とか思ってはならない。他愛も無く「だってコッチに行きたいんだよねー」なのだ。子供みたいな可愛さと思えば納得も出来る。

物価の安さは東京から来るとガツンと実感するひとつだ。家賃や鉄道・バス・タクシーの運賃の安さ、飲食費から実感できると思う。それは給料も劇的に安いということだ。飲食店で働く若いホールスタッフの月給は10~12万円くらい。家賃3万だから、光熱費に携帯電話代を払っても、なんとかやっていける。実家が九州圏内なら高速バスで2000~5000円で帰れる。というわけで「福岡のお金の使い方」に馴染まないと「こいつカネ使っとるなー感」が出る。これは地方リアルで福岡に限らない。これは関西の「まけといて・価格交渉の文化」とは違う。気をつけないと人間関係に影響が出ると思う。「あんたセレブやね」の声が聞こえたら要注意だ。

東京にいると「何のシゴト?」って思う職業のヒトなんて沢山いる。パラレルワークや、ダブルワーク等なんでもアリだ。一人が多人格を生きている。作家の平野啓一郎さんが「個人」から「分人」へと提言している「分人主義」が進んでいる。1300万人がうごめく都会では、職業による差別意識はさほど感じられ無い。人に迷惑をかけなければ「何をしているか」聞かないし、気安く他人とは関わらない。多種多様なヒトがいる競争社会なのだ。

しかし地方は違う。基本的に地縁・肩書社会である。有名か無名かは大事な価値観だ。これは福岡に限ったハナシでは無い。移住者に優しい街でもあるけど、「アウトサイダー」よそ者である事を忘れてはならない。ヒトは基本的に「同じ思考様式を重んじる」+「同じ価値観のヒトがスキ」なわけで、「よそ者に優しい」から異なる価値観を家庭に入れるほど「お人よし」なワケでは無い。「よそ者に優しい」のは、大陸に近いからなのか、戦後の引揚者を受けれた港があったからなのかもしれない。「よそ者に優しい」に歴史的な背景がある事を忘れてはならない。

そして、口が出ないから「手が出るヒト」も居る。福岡愛から「福岡ってこうだよねー。あーだ。こーだ」居酒屋の店主と語っていたら、カウンターの端から「キサン!(おまえ)ナニいっとるんじゃい!」と殴り掛かってきたヒトがいた。(因みにこのヒトに話しかけて無い)幸いにもカラダを張って店長とお客さんが間に入ってくれたので事なきを得た。血の気が多いヒトも中にはいる。酒を呑んでて悪気が無くても、印象はヒトによって違うものだ。そして色々な価値観の人がいる。「親しき者にも礼儀あり」的に、「移住者は地元民への礼儀あり」を忘れてはいけない。特に陽気に酒を呑んでる時は。



■移住者が「街に貢献できる方法」と「居場所」の作り方

移住者が、福岡に貢献できる事って何なんだろうなぁとずぅーっと考えていた。地元企業へ就職すれば「職縁」が出来る。これも地縁の一種だろうし、貢献の方法だと思う。ボランティアをするのも手だろう。テンジン大学などNPOに参加する方法もある。何らかの方法で貢献する方法がある。

ボクは「構造を分析する」のが得意な方だと思う。それは前職の経歴かもしれないし、社会人として育った経緯なのかもしれない。だから福岡に関する分析noteも何本か書いていて、いまだにコンスタントに読まれている。「福岡 移住」で検索すると4番目くらいに出てくるくらいだ。

福岡は東京から見ると「福岡のヒトが思う以上に」輝いて見える。つまり福岡のヒトは「自分が思う以上に東京から良く見えている事」とは感じていない。都会と地方には様々なギャップがある。例えば「情報発信スキル」もそのうちの一つだと思う。

スポーツをしたり、遊んだりする事は、どちらかというと「消費モード」だ。だから「生産モード」でも貢献したいと考えていた。「経済面で貢献できてナンボ」という考え方もある。だから昨年から「オフ会」「トークイベント」「ワークショップ」を開催して、オフラインでのアウトプット機会を増やした。

「情報発信スキル」を「そもそも論」から「具体的ノウハウ」までアウトプットしている。そして前世代が生きてきた「工業化社会」の視点と、現代の若者が生きる「SNS時代」の視点の両方から翻訳できるように努めている。

そこで一番大事な事は、「言語化・再現可能なハナシ」をアウトプットする事だと感じている。これは得てして「概念論」に終始しやすいので具体的なケーススタディや、体験を材料にして話すようにしている。熱狂的な要素は無いので話題になる事もないが、自分の演ずる役割の一つかもしれないと感じている。

ボクは、名をあげたり「何者になりたい」と思わない。

このラテンな街の「地方都市ならではのリアル」に役立ちたいと思う。自分の得意な領域を活かせる機会を増やしていきたい。

昨年末・福岡市スタートアップカフェでのワークショップでは50名を超えるヒト達が集まっていただいた。テレビ会議で東京と結んだり、会場の人達も質疑応答で活発に東京のゲスト・スピーカーと話せる珍しいタイプを実施した。

イベントが終わった後に、ゲストスピーカーに感謝のメールを送った来場者もいる。ゲストスピーカーは、その方へ丁寧な長文を返信してくれたと喜びの声も聞いている。こんな新しい取り組みを楽しんでいる。そして有名では無い自分が主催するイベントは、常に新しい取り組みをしていきたいと思う。新サービスも準備中。ホントにこれからが楽しみだ。


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福岡スタートアップカフェ・ワークショップ。テレビ会議直後の大集合写真。



■そしてnoteで「大変化」が起こった

20年前バリバリ仕事をしていた頃は「情報は独占にこそ力がある」時代だった。誰にも手に入らない情報こそ価値があり、意味が生じ、力を持つことが出来た。「情報の時代」とはより高いアンテナが大事で、強いコネクションを築いて、競争優位を保つための手段だった。

そして、「肩書き」が何よりも大事で、「人格」を証明し、「収入」にも大きく影響した。肩書を得るためには、「学歴」に大きく左右されたし、出生地や家柄などの「生まれ」に左右された時代だったと思う。「価値観は統一」されて、多様性などは論じらる事など無かった。「やれ!」と言われれば「選択肢」は少なく「はい!」と言うしかなかった。工業化時代の思考様式にどっぷりだった。

有名じゃなきゃ、意味がないと思っていた。昨年までは。

note以前までは、「ネットで知り合うなんて」と思い込んでいた。非公式noteオフ会、公式noteオフ会で新しいヒト達と出会い、意見や考えを交わす事でビジネスも遊びももの凄く広がった。随分変わったなぁと思う。何よりも嬉しい変化は、「知らない新しい考え方」や「まったく出会う事の無かった世代」まで人間関係が広がったことだ。

それから、地方移住していても、テレビ会議やSlackでフィードバックが受けられるようになった。これはデカい。東京に居なくても「これってどう思う?」が聞けるようになったのは、ビジネスだけでなく、趣味・興味・関心もシェアして、アップデートを頻繁にできるようになった。距離のハンデキャップは減ったと思う。

20年前バリバリ働いていた頃に今の様子が想像できただろうか?人生は何が起こるかわからない。


■人生には「第3の坂」がある

人生は何が起こるかわからない。良い方向に転ぶ時もあれば、悪い方向に転がる場合もある。人生には「上り坂」「下り坂」に加えて「まさか!」という青天の霹靂が生じる「坂」がチョイチョイある。

実はつい先日「滑舌が悪いな」「ん?舌がまわらないな」「お。左手が痺れてるぞ」「目眩もするな」「アレ?地震か?フワフワしてるよ」とヤバめの状況に陥った。このまま気持ちよくお花畑に行ければいいなと思った。半死にだけは勘弁だ。

「タバコを吸っていたら完全にOUTです」

初老のお医者さんに言われた。今回はセーフです。アスリートの人ほど急激な運動不足や、ストレスには気をつけてください。とも言われた。タバコは吸わない。OUTじゃなかった。セーフで良かった。

好事魔多し。油断大敵。人生は糾える縄のごとし。

「生きてるだけで儲けもの」と言うけれど、ボクの場合は「生きてるだけで致命傷」感がある。これからの10年、何があっても驚かないけど、まぁ、何回も死にかけた人生だから、少しはヒトの役にもう少し立ちたいなと思う。


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※MRIは工事現場のような音がする。コレを見た時はツンだと思った。



■明るく、陽気で、能天気な街で

「燃え殻」から「自転車のヒト」を経て「noteオトナ部」へ。福岡に部屋を借りて6年になる。明るく陽気な街は、今日も楽しい風が吹いている。この街と、自転車は、色々な事を教えてくれた。

「他人の為に頑張るには、まず自分が頑張らねばならない」

レースで、エースをアシストするにしても、自分がしっかり走れなければ、アシストさえもできない。自分が楽しくなければ、相手が楽しいわけが無い。この街が「明るく陽気に元気にしてくれた」だから、これから人生を賭けてひと勝負しようという野心とかではなく、自分の「演ずる役割」を果たしたい。少しくらいは恩返しが出来ればと思う。だけど人生は思ったよりも長いし、短い。だからあともう少し。もう少しだけ、走ろう。

東京に疲れたら福岡へ遊びに来てね。週末・週アタマより、火曜日・水曜日のLCC便が比較的・安めでおススメ。

ではまた。

※「東京に疲れた人」へ。移住の前に「ちょい住」とかおススメです。

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