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013:20200717 またいつか猫を飼う方法

自分は猫がものすごく好きだ。それはなぜそうなのかはわからないのだけど。でもそうなのだ。猫好き寄生虫説とかもあるけど。そうなのかもしれないけど。

実家では猫を飼っていた。多分だけど小学校に上がるときに一軒家に引っ越して、それで猫が飼えるようになって、それからずっと、何世代か飼ってきたと思う。でも、もちろんずっと生きてくれるわけではない。

人間と猫、どちらも普通に生きることができれば自分より先に猫の方が死んでしまう。何回か見送ってきた。そしてそれは慣れることはなくて、ずっと、徐々に積み重なって行ったように思う。

愛情をかけていた存在が先にいなくなってしまうこと。もちろん辛いことだ。自分の人生もいつ終わるのかわからないし、猫の生もいつ終わるかわからない。それは人間のパートナーであっても一緒だ。そしてそう言われることもある。

確かにそうなのだけど、でもやっぱり、自分や人間のパートナーがいつかいなくなってしまうということと、そもそもの寿命の違いからより高確率で自分より先にいなくなってしまう猫のことは、同じように比較はできない。考えることはできない。

人生は何があるかわからないんだけど、でもやっぱりほぼ確実に見送らないといけなくなる猫。何度もしんどかった思い出が頭をよぎって、そして今でもまだ猫を飼えていない。

もう一つ今まで誰にも言って来なかったことがあって。ある子供の頃、僕は猫が死んでしまったとき、死んでしまった事実にももちろん大きく落ち込んでいたし、死んでしまうということにもうまく向き合えないでいた。それと同時に、それまで生きていて、死んでしまった猫、魂の抜けた塊になってしまったその物質に対して、その前の瞬間のようには愛を感じられず、恐怖感や嫌悪感が先だったのかわからないが、愛情を持って触れることができなかった。触れることができなかったのだ。本当にそれがどういう感情だったのかわからないが。

僕はきっとそういう自分自身のことも嫌悪しているのだ。本当に愛情があったのかわからなくなって、あれからずっと自分を疑っている。

そしてそれからずっと猫とは刹那的な付き合いを続けている・・・という感じがする。なんだか人間相手の話みたいだな。

そんなに好きなら飼えばいいじゃない!って人はすぐに言う。今の家は飼えないけど、飼える家に引っ越す程度の選択の自由もある。でもそうじゃないんだよ。飼えばいいじゃない、ってどうしても思えないんだよ。

この気持ちはなんなんだろうな。飼えている人と何が違うんだろう。どう消化したらまた飼うことができるんだろうか。

ずっと考えているけどわからないことの一つだったりする。多分答えはないってこともわかってるんだけど、、、。そしてもう一度飼うということでしか解決できないことなのかもしれないけど。

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Photo by chuttersnap on Unsplash

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