広告クリエイティブ職は聖書も分かりやすく語れるのか? その19。

広告クリエイティブ職をしながら教会で子供達に聖書の話をするお役をいただいて話をしています。その原稿をここで晒す試みです。
今日はクリスマスの次の週。クリスマスであれだけ盛り上がって次の週はキリスト教臭、ゼロの週。今日の箇所はキリスト教の本質バリバリなので僕は好きです。

ルカによる福音書2章22節から35節 Copyright: 日本聖書協会

<ゴールとは?>

ゴールという言葉を知っていますか?サッカーのゴールありますね。マラソンのゴール。いろんなゴールがあります。ゴールとは目的という意味もあります。サッカーとはどういうスポーツか、ドリブルするスポーツ?ヘディングするスポーツ?なんのためにドリブルすんの?なんのためにヘディングするの?それはゴールするためですよね。
マラソンも、100メートル走も、ゴールするために走っているんですよね。マリオはあの旗をつかむのがゴールですよね。では、人生のゴールはなんでしょうか?本屋さんにいくと、あるコーナーには人生のゴールは何だ!というテーマでいろんな本が置いてあります。まあ、みなさんはまだ興味ないと思いますが。今日のお話は人生のゴールのお話。

22:さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 23:それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 24:また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

<クリスマスの次の話>

先週はクリスマスでしたね。イエス様はユダヤ教の家庭に生まれましたから、あかちゃんの頃にエルサレムの神殿にいくことが決まっていました。
その神殿にシメオンというおじいさんがいました。シメオンさんはイスラエルに救い主が現れるのを待っていました。それがどんな形で現れるかはわかっていませんでしたが、それをずっと待っていたのです。なんで待っていたかというと


25:そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26:そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27:シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。

<シメオンというおじいさんの人生>

神様に「主が遣わすメシアに会うまで決して死なない」と言われていたから。すごいこと言われてますよね。つまり逆に言うと会ったら死ぬということなんですね。もし、このシメオンさんの人生のゴールが長生きすることだったらどうでしょうか?別に来なくていいから長生きしたいと思うんでしょうね。人生のゴールはなんですか?と問われて、長生き、と考える人も実際いますから。

ある日、神殿の境内に入っていくとイエスさまをだっこしたマリアさんとヨセフさんがいました。それを見たシメオンさんはビビビビビとなったんでしょね。目をたぶん大きくして、おおおとなったでしょうね。わかったんでしょうね。ずっと待ってきたわけですから。ついにシメオンさんはイエス様を抱っこすることができました。そして、聖書のなかでも特に有名な讃える言葉が生まれました。

29:「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。 30:わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31:これは万民のために整えてくださった救いで、 02:32異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」 33:父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34:シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35:――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

<シメオンの讃歌>

「主よ、いまこそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。」と。神様に対して、これで死ぬことができますと言っているんですね。なぜかというと、30節 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。と。"あなたの救い"とは、赤ちゃんのイエス様そのもの、存在そのもののことを言っています。救いって何?となると思います。ここからの言葉はキリスト教のとっても大切なことをとっても短い言葉でまとめられていますので見ていきましょう。

<外国人まで広がる救い>

31節 "万民のために整えてくださった救い"で 救いとはエス様が十字架にかかって亡くなって復活する その罪からの救いは"万民"これはすべての人のためですと言っているんですね。イエス様の救いというのは誰か限られた人のためじゃなくて、みんなのためなんだ、と。別の言い方をすると救いが必要じゃない人はひとりもいない。みんな救いが必要だということも言ってるんですね。これ、イエスさまと関係のない人は本当はひとりもいないということなんですね。そこまで断言しちゃってる。イエス様が、まだ赤ちゃんなのにそこまで見えているのがすごいんですね。

そして32節 "異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉です。"と。異邦人とは外国人のこと。さっき言っていた、万民と同じ意味、しかもユダヤ人だけの救い主じゃないとはっきり言っているんですね。これがまたすごいですね。イエスさまが天に昇られた後にペンテコステという出来事が起こるんですがその時に初めて外国人にイエス様のことがつたわることになります。それをこの時にわかっている。そしていま私たちにまでこのイエスさまのお話が届いているということを見てもほんとうだ、となりますね。

こんな言葉をいきなりかけられてヨセフさんとマリアさんは驚いていました。ポカーンとしたのかもしれませんね。おじいさんにいきなり抱っこされて、重たいこと言われたんですもんね。そしてそのあとに、さらにシメオンさんはマリアさんに言います。34節35節 ここはさっきより意味がわかりづらいんですね。

これはばっくりと言うと「この子はいろいろあるで」ということです。ある人はこの子に倒されたりするし、ある人はこの子に立ち上がらせてもっらったりもするし、そしてめちゃ反対されることもあるし、あなたも大変な目にあうかもしれないんですと。

<露わになる罪>

それはなぜか。最後のところですね"多くの人のこころにある思いがあらわにされるためです。"と。あらわにされる、という言葉。あらわ、というのは見えるようになるというこうことです。露出の露ですね。こころの中にある隠れた気持ちが見えるようになるということ。人間がイエス様に出会うと、心のなかの隠れた気持ちがみえるようになっちゃう、あらわれてきちゃう、ということなんです。神様を愛して生きるか、神様を無視して生きるか、その気持ちが外にでてきちゃうんですね。そこは普段、別に隠しても生きていけるかもしれないけど、いちどイエス様に出会っちゃうとどっちかに決めなければならなくなっちゃうということなんですね。

その隠れた気持ちが罪と呼ばれます。イエス様という罪のない方を目の前にすると人間の罪を感じるんですね。そのときに、その罪をイエス様に許してもらおうとするか、見て見ぬ振りをするか、それぐらいイエス様ということが人生にとって、事件かということなんですね。そしてそれが人生の目的だと人生を通して教えてくれたのがシメオンさんなんです。

シメオンさんの人生のゴール、それはイエス様の救いを目撃することでした。「このわたしはこの目であなたの救いを見た」という言葉は教会のお墓に彫られています。教会のお墓に入る方は、クリスチャンです。クリスチャンが死ぬっということは、イエス様の救いをみたので、わたしは神様の言葉通りこの世を去りますと。いうことなんですね。
みなさんも、なんのために生きているんだろうか?と悩むこともあると思いますがそのときはこのシメオンさんのことを思い出してください。

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