重さと固さ

よく言われることかもしれませんが、他の言語を学ぶ面白さというのは、それを通して自分が当たり前に使っている日本語の特異性、しいては日本という文化のもつ特異性に気がつけるということにあると思います。特異性というのが少し言い過ぎなら、知らず知らずに従っている思考の型とか癖みたいなものを発見できると言い換えてもいい。

高校の英作文のときに

「私は家に傘を忘れた」

を英訳するときに

「I forgot my umbrella in my house」

としてはいけないと言われました。forgetというのは、例えば「あなたの名前を忘れた」とか「メールの返事を出すのを忘れた」のように記憶に関して使うもので、家に置いてきたという文脈で使うのであれば

「I left my umbrella in my house」

とするのが正しいと。なるほど確かにそうだな、と思うとともに、逆に「忘れた」を「記憶を失う」とは全く別の「置いてきた(だから今持っていない)」という意味で使うことがある日本語の特異性に気づくわけですね。「あなたの名前を忘れた」と「パスポートを忘れた」はよく考えれば全く別の意味なのに、そのことを僕らはあまり自覚することがない。英語にして初めてその2つが違うということに気づかされます。

ちなみにこの「忘れた」の感覚って日本語特有のものなのかなと思っていたら、最近ドイツ語を学んでいるときにドイツ語で忘れるを意味する「vergessen」も実は日本語と同じように「置いてくる」の意味と区別なく使うことを知りました。

「難しい」は英語でhardですが、hardは同時に「固い」という意味でもあります。英語圏の人には「難しい」と「固い」は同じフォルダーに入れられているのです。ところが、これがドイツ語になると「難しい」を意味するschwerは「重い」なんですね。英語では「難しさ= 固さ」、ドイツ語では「難しさ= 重さ」。こういう対比ってとても面白い。

ちなみに日本語で「重い」は深刻の意味で使われますが、この感覚は英語に近いですかね。映画バックトゥーザフューチャーでマーティーが「That's heavy (それはヘビーだね)」と言ったのに対してドクが「ここでは重さは関係ない」と突っ込むやりとりをちょっと思い出しました。






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