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わかりあえなさと、絶望とロマン #44

(今日は、個人的な、一人ごとのようなnoteかもしれません)

1月の中旬、(占い好きの私は)とある(当たるらしい)占星術者に(懲りずに)観てもらい、その時に言われました。
2020年は何かを終わりにする年でありそれは強制的な終わりを告げるだろうと。変化は3月下旬から7月まで続く、と。

その時は、なんのことだろうと思っていましたが。

2-3月頭頃、突然、私が住んでいたミュンヘンが外出制限がかかり、そして年封鎖へ。4月の末にはまた子供も幼稚園に通えるから少しの間の我慢と思っていたら3月末のある日突然「2日後に荷物をまとめて日本に帰るように。いつ戻れるかもわからない。」という話をされ、現実感もないまま、穏やかな日常が、終わりました。荷造りしながら涙が出たのは初めてのこと。
そして息つく間もないないまま空港から隔離へ。3歳児を連れて、外に出れない、15泊の隔離生活の最中。日に日にコロナの深刻さが拡大しているため、隔離後の生活プランも全て変更となり、まさに「先が見えない」という渦中にいます。
ああ、占い師の言っていたのはこれかな(すごいなあの占い師)、なんてことを考える夜。

というのが近況です。が、タイトルにある、絶望、というのはそういう話では今回なくて。

ここ数年の個人的なテーマは「他者とのわかりあえなさ」なのですが
(メンタリングそのものが、他者同士の「わかりあえなさ」に橋をかけて理解しあうという行為だと思っています)、
その「わかりあえなさ」は、時に絶望にもロマンにもなるなと最近思うのです。

基本的に人と人は分かり合えないと思っているので、だからこそ理解しようという「はしご」をかける。そのはしごは、それを恋と呼ぶかもしれないし、男女問わない愛、あるいは信頼なんだなとも思う。ロマンの部分。

一方で、仕事柄いろいろ感じるのは、
立場の違いによる分かり合えなさやズレは、時に絶望を呼ぶというここと。

部下と上司とはその立場による見え方の違いを完全にわかりあうことはむつかしいし、妻と夫、経営者と従業員、親と子、嫁と姑。。etc  きりがない。
立場が違うと、その間にはしごすら掛けることを忘れてしまうこともあれば、はしごをかけた気でいることもある。そうして相手を自分の見え方で規定して、勝手に憧れたり勝手に非難したりする。
また、友人や仕事仲間同士であっても、相手の状況や立場、痛みに気づかず、あるいは無頓着になり、はしごがかかってないこともある。

それが絶望でもあり、孤独でもある。そう思うのです。
(あるいは、他者への期待の裏返しなのかもしれません)

でも、その孤独や絶望を、悲しむべきことでもなく
淡々と「そういうものだ」と握りしめて、粛々と受け入れ、自覚し
やるべきことを地道にやっていける人
そういう人が、強い人なんだろうなと思う。

し、皆どこかで、その孤独と絶望を心の中に内包しているんだなーとか思うと
それがちょっとロマンに感じたりもします。


そんな、徒然日記でした。




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女性のエンパワメントに特化したメンターを育成&派遣する「Mentor For」を運営。株式会社MANABICIA(https://www.manabicia.com)代表。臨月からパートナーと2年半別居でワンオペ育児を経て、ドイツで暮らし日本で働く。

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