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【連載小説】朝陽のむこうには ~サバトラ猫のノア~ 2〈全8話〉

きょうだい猫の三匹が新しい家に行ってしまった。
六匹だった僕たち猫家族は、ママ猫のミイときょうだい猫のトム、そして僕だけになった。

「場所を移るよ」
ある日、小屋に戻るとミイが待っていた。
「どこに行くの?」
「ハウスの中にお引っ越しだよ」

僕たちが暮らす牧場内には「センターハウス」と呼ばれる家があって、今日からそこが僕たちの拠点になるそうだ。

「そろそろ寒くなってきたからね」
ミイは僕たちが生まれる前はそのハウスで暮らしていたらしい。
そこは二階建てで、丸太を積み重ねた壁でできているんだって。

太陽が一番高く昇った頃、いつも世話をしてくれる女の人がやってきた。
かえでさんという名前だとミイから聞いている。
かえでさんは何か言葉を発しながら僕とトムを抱きかかえて歩き出した。

ミイはかえでさんの後ろをついてきている。

ハウスの中に入ると、かえでさんは僕とトムをゆっくりと床に下ろした。
そしてしゃがみ込み僕たちに顔を近づける。
そして、また何か言った。

ミイは連れてきてもらわないのかな。
そう思っていると、人が使うドアのそばの小さな穴がぱたりと開きミイが入ってきた。

「ここから自由に出入りできるんだよ」
ミイが言った。

「こっちの少し大きい方は犬用だからね。塞いである板はワタシたちには重くて動かないよ」
ミイが入ってきた穴の横にある大きな穴。
そちらがブッチさんとブラウンさん用ってことか。

僕たち用は小さい方の出入口。
そこを使っていつでも中と外を自由に行き来ができるらしい。

僕はハウスの中を見渡した。
壁だけじゃなく床も天井もすべて木でできている。
ミイが言っていたとおり壁は丸太を積み重ねたものだ。

ふわっと暖かい空気が流れてきた。

あ、ストーブ。

部屋の真ん中にあるそのストーブの中には、ゆらゆらと炎が揺れているのが見える。

暖かそう。

ストーブに近づいていく。床が段々暖かくなるのが足の肉球から伝わる。
僕の体も暖かくなってきた。
僕はストーブのそばに座り毛づくろいを始めた。

なんて気持ちいいんだ。
小屋よりもここがいい。断然いい。

それから数日が経った。

ハウスでの生活にも慣れてきて、好きな居場所をいくつも見つけた。
出窓の上、階段の踊り場、ソファの上のクッションの隙間。

ミイやトムは外によく出掛けている。
僕も出掛けることはある。
だけど、僕はハウスの中で過ごすことが多い。
だって外は寒いから。

暖かいストーブのそばがやっぱり気持ちいい。

              ・・・・・・

このハウスには人が三人住んでいる。
パパさんとママさん、そしてかえでさんだ。
かえでさんは高校生だってミイから訊いた。

三人とも優しくていい人だ。
僕たち猫家族、犬たち、他の動物たちを愛しているのが分かる。

何を言っているのかわからないけど、いつも声をかけてくれる。
牧場にいる動物たちの世話も熱心だ。

僕たち猫家族のごはんを、ママさんはいつも同じ時間にきちんと用意してくれる。
ママさんお手製のごはんはとっても美味しい。

パパさんは仕事中でも僕が足元にすり寄ると必ずなでてくれるんだ。
パパさんの手は大きくてちょっと力が強くてなでられて痛い時もある。
でも、全然嫌じゃない。

ハウスの中はどこにいても快適に過ごせる。
ストーブのそばは当然だけど、ソファの上も悪くない。

でも、僕が一番好きな場所はかえでさんのひざの上だ。
丸くなった僕の頭や背中を、かえでさんはマッサージをするようになでてくれる。
ちょっとくすぐったい時もあるけどすごく安心するんだ。

かえでさんの部屋は二階にある。
かえでさんは時々僕を抱きかかえて自分の部屋に連れていく。
デスクの椅子に座り僕をひざの上に乗せ、そして勉強を始める。

僕がうとうとし始めた頃、かえでさんは動き出す。
何か言って僕を床に下ろし、ベッドで仰向けになって何やら歌いだしたり。
そういえば、この前はベッドの上で運動を始めてたっけ。
すぐに勉強は終了しちゃうんだよね。

そうやってパパさん、ママさん、かえでさんと接する時間が増えていくうちに、僕の頭の中でまた変化がおこった。

人の話す言葉が理解できるようになっていたんだ。

ストーブの前でトムと一緒に暖まっていた時だった。
「ノアったら、ストーブに近づきすぎだよ」
かえでさんが僕を抱き上げる。
「きゃあ、ノア、大変。ひげがくるんって丸くなってる」
半笑いしながらかえでさんが言った。

その時、初めて気づいた。
「僕、今のかえでさんの言ったことが理解できた。トムは分かった?」
トムにそっと訊く。
「あれ、本当だ。人間の言葉が理解できるようになっている」
トムは顔を上げて目を見開いた。

それまでだって、名前の呼びかけくらいは理解できていた。
だけど、話す内容は分かっていなかった。

かえでさんが去った後、ひょっとしたらと思いブッチさんとブラウンさんのそばに向かった。そして顔を見上げて「にゃあ」と鳴いた。
ブッチさんもブラウンさんも優しく僕を見つめるだけだ。

残念ながら犬たちの言葉は伝わってこなかった。

人の話す内容が理解できる。
ママ猫のミイにも黒猫にも、このことは聞いていなかった。

その日、外から帰ってきたミイにさっそく話をした。
「僕もトムも人間の言葉が理解できるようになったんだ。これは猫がみんなできることなの?」
ミイは何事もなかったようにのっそりと丸くなる。
「そうか、言ってなかったね。猫はみんな、人間の言葉が分かるようになるんだよ」
それからミイは目を閉じた。
「ワタシは、犬たちも人の話す言葉が分かっているんじゃないかって、思うことがあるよ」
「そうなの?」

確かにブッチさんもブラウンさんも、パパさんたちの言葉を理解して毎日仕事をしているように見える。
ミイの言う通り、僕たちと同じように人間の言葉が分かるのかも。

でも猫と犬は話せないからそのことを確かめられない。
だけど、きっとそうなんだ。
犬たちとは直接話せないけど、人間の言葉を介して反応しあえる。
いつか対話ができるかもしれない。
もっと仲良くなれるかもしれない。

そうなったらうれしい。

              ・・・・・・

僕たち猫家族はいつも自由気ままに過ごしている。
広い牧場の敷地内のどこにでも行くことができるんだ。

牧場内はどこも清潔できちんと整理されている。
何気なく置かれた物の配置や柵の形、動物たちが歩きやすいよう整えられた通路、ちょっと休憩するのに使えるベンチや、季節ごとに楽しむよう植えられた花々。
牧場の隅々まで愛情が行き渡っている気がする。

牧場の仕事は朝早くから始まって、やることがいっぱいみたい。
たまに手伝いにやってくる人もいるけど、普段はパパさんとママさんが二人で手分けしてやっている。

かえでさんも学校に行く前に、動物たちの世話を手伝っている。
「父さん、明日は朝のホームルームの前に課外授業があるから、七時には家を出るんだ」
かえでさんは二階から降りてきて、パパさんに声をかけた。
パパさんはリビングのソファに座って夕食後のコーヒーを飲みながら、パラパラと雑誌をめくっていた。
「馬たちの朝の飼い付けはできるけど、外に出してあげる時間がないと思う」
「おう、分かった。父さんが馬たちを外に出して、馬舎の掃除をするから大丈夫だよ」
パパさんは雑誌から顔を上げて言った。

そんないつものと同じ穏やかな時間。
僕はパパさんの隣で寝転がっていた。
ブッチさんとブラウンさんはパパさんの足元で寝ている。
ミイとトムはストーブの近くでくつろいでいる。
これが夕方の定位置になってきた。

「かえで、早くから悪いな。明日の朝の飼い付けは頼むわ」
「大丈夫、任せておいて」
かえでさんは明るい声で親指を立てたサムズアップポーズをした。

「かえで、本当にいつも助かるわ」
キッチンからママさんが出てきて声をかける。

「今ね、グループごとに発表するレポートをみんなで作成中でさ、もうバッタバタ」
かえでさんは大げさに両手をパタパタさせた。
「でも牧場の仕事、大好きだからやりたいんだよね。レポートの発表会が今週金曜日だから、それが終わったらもっと手伝えるよ」

かえでさんは高校二年生で、自転車で三十分かけて高校に通っていると訊いている。
「ねえ、父さん、馬に乗って通学するって格好良くない? なんかさ、颯爽と登場、って感じ」
かえでさんは冗談っぽく、だがあわよくば本当にそうしたいといった口ぶりだ。
「そうだなー、もし父さんが馬だったら、行き帰りは気持ちいいなと思う。でも、学校でも道路でもフンをするけど、かえではちゃんと片付けてくれるかなとかも思う。かえでの荷物が増えるってことだ」
すかさずパパさんが応じる。
「ああ、そうでした。止めておきます」
かえでさんもすぐさま返す。

僕は、かえでさんたち親子が大好きだ。

かえでさんたちはいつも明るくて仲のいい親子だ。
でも時々言い争いもする。
だいたいはパパさんとかえでさんだ。

「だから、大学には行かなくてもいいんだって。どうせ牧場を継ぐんだし。前にもそう話したでしょ」
かえでさんはちょっとうんざりした感じ。

「かえでにはいつも手伝ってもらって感謝している。今は手伝いだから分からないと思うけど、牧場経営は大変な仕事なんだよ」
パパさんは根気よく話している。
「かえでには、牧場以外の仕事に就いて自由に生きてほしいんだ」

「私は、牧場の仕事が好きなの。高校を卒業したら父さんや母さんと一緒にこの牧場で働きたいと思ってる。今はまだ動物たちの世話の手伝いしかできていないけど、きっと父さんたちの役に立つようになるよ」

こんな話を時折繰り返していた。

ある日のお昼ごはんの前。
今日は学校がお休みの日らしく、かえでさんは朝早くからパパさんとママさんのお手伝いをしている。

ママさんがハウスに帰って来てから暫くしてパパさんが戻ってきた。
「母さん、かえでに今日はちゃんと話そう」
「――そうね」
ママさんは頷き、リビングのソファに座った。
そして、パパさんもママさんの横に腰を下ろした。

ちょっと真剣な顔。

どうしたんだろう。

「かえでは分かってくれるかな」
ママさんが心配そうにパパさんに話しかける。
「延ばし延ばしにしていたけど、そろそろ話さないとな」
パパさんもいつもの元気がない。

僕は朝の散歩を終えてリビングの出窓で寝ていたけど、ふたりの様子が気になって聞き耳を立てていた。

パパさんの顔、ママさんの顔。

僕は不安な気持ちでいっぱいになった。


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