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【連載小説】朝陽のむこうには ~サバトラ猫のノア~ 1〈全8話〉

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

あらすじ
牧場で猫として生まれた僕には、人間だった記憶がある。確か小学生だった。今はサバトラのオス猫。ママ猫ときょうだい猫と一緒にのんびり気ままに牧場で暮らしていたある日、人間の言葉が理解できるようになっていることに気づいた。
牧場の人たちや、牧場にいつもやってくる野良の黒猫の話を訊いているうちに、かつて人間だった時に過ごしていた街に行ってみようと決心する。
幾多の困難に遭遇しながらも、僕は歩き続けた。そして、家族と再会。でも、おとうさんもおかあさんも弟も僕に気づかない――。



いつの間にか、僕は猫になっていた。

ちょっと前まで人間だったはずなのに。
歳はたしか十歳。
算数とサッカーが好きな小学生だった。

今は、サバトラのオス猫だ。
毛色は明るめのシルバーグレーで、全体的にブラックのしま模様が入っている。この色柄の猫をサバトラ猫と言うんだって。
僕のしっぽはすらりと長くて、体と同じくしま模様、足先はソックスを履いた様な白い毛だ。

なんで猫になっちゃったんだっけ。
考えてみるけど、記憶が繋がっていなくて分からない。
 
僕は猫になってからのことをできるだけ思い出してみる。

まぶたがまだ開けられない頃、そばにはいつもママ猫がいた。
僕はもそもそと体を動かして、甘くていい匂いのする方へ顔を押しつける。きょうだい猫たちと競うようにして乳を飲み、お腹がいっぱいになったら、また眠る。その繰り返しだった。

ママ猫は前足で僕を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめてくれたりもした。
柔らかくて温かいママ猫に包まれていると、怖いものなんて何もなかった。ママ猫は僕たちをざらざらした温かい舌でなめて毛繕いもしてくれた。
優しいママ猫のもとで僕たちきょうだいはいつも一緒だった。
 
僕たちが生まれたのは牧場の物置小屋だ。
小屋の一角はママ猫が安心して子育てできるようにと、ワラが敷かれた上に毛布も置かれていた。

その物置小屋の裏手には飼料小屋があった。
飼料というは馬や牛たちのごはんのことなんだって。
ママ猫は子育て中でも、ネズミから飼料を守るパトロールを怠らなかった。ママ猫のお仕事なのだ。

小さな僕たちを置いてママ猫は時々出かけて行った。

成長してママ猫から離れて過ごす時間が徐々に増えてきた頃は、初めての経験の連続だった。
見るもの、聞くもの、触るもの、嗅ぐもの、とにかく初めてだらけ。

 ママ猫から離れると危険がいっぱいだ。
木に昇ったら木の上から降りられなくて、ママ猫に首をくわえて下ろしてもらったこともある。
馬を驚かせてしまって蹴飛ばされそうになったり、牛に気づかれずに踏まれそうになったり、ヤギたちに興味津々で追っかけられたりもした。
水の張った水飲み場に僕だけが落っこちたこともあった。
必死にもがいてどうにか脱出したけど、僕は水が嫌いになった。
 
そんな子猫としての時間を過ごしていたある日、不思議なことが起こり始めたんだ。
頭の中に液体がゆっくりと沁みわたっていくように、かつて人間だったという意識がじわりと現れ、その意識が日ごとに鮮明になっていく。

そして、ママ猫やきょだい猫たちとは、鳴いてコミュニケーションをとることもなくなった。

猫同士であれば頭の中で会話ができるようになったから。

猫同士の頭の中での会話はどこかの国の言語というわけではないんだ。
シグナルのように言葉が頭の中に送られてくる感じ。
すごく便利だと思わない?
 
ママ猫は何年も前からかつて人間だったという意識を持ち、猫同士の会話も頭の中でしていたんだって。

僕たちは同じ時期にその意識が芽生え、徐々に頭の中の会話も理解し始めた。お互い最初は恐る恐るといった感じだった。
程なくして、ママ猫やきょうだい猫たちとは頭の中で自由に会話ができるようになった。

              ・・・・・・
 
僕は今、牧場の牛舎の中にいる。
牛舎の中は牛たちがいなくて空っぽだ。
太陽が出ている時間は、牛たちが牧草地で放牧されているから。

牛たちが自由に歩いたり座ったりできる牛舎。
牛たちがいないととても広く感じる。

朝や夕方は涼しく感じる時間が増えてきたけど、やっぱり今日も暑い。
でもここは大きな窓が全て開け放たれていて、時々気持ちいい風が吹き抜けていく。

その牛舎に僕たち猫の家族がほぼ全員集まっていた。
誰かが集合をかけたわけじゃない。
いつもどこかで、なんとなく集まっている。

「ワタシの住んでいた街は素晴らしかった。トラステヴェレというイタリアローマの下町さ」
ママ猫は人間だった頃に住んでいた街の話をよくする。

「毎朝、広場の青空市場に新鮮な野菜を買いに行っていたよ。オステリアのシェフだったからね。伝統的なローマ料理の店でね、店は毎晩お客さんでいっぱいだった」
ママ猫はかつての生活を懐かしみ、目を細める。
「ワタシの作るトリッパ・アッラ・ロマーナは、店の自慢料理だったよ。みんなおいしそうに食べていたな」
そして、前足を丁寧に毛繕いしながら続けた。
「こういう映像的な記憶はあるのに、会話の記憶は一切ないし、料理の作り方も思い出せない。まあ、覚えていたとしても、猫のままじゃ料理はできないけどね」

そのママ猫のすぐ横に茶トラ猫がいる。
前足と後足を自分のおなかの下にしまって座っている。
「自分は生まれも育ちもクロアチアだよ。海がきれいな島に住んでいたんだ。すごく小さな島。そこで漁師をしていたよ。朝早く漁に出て、港に帰ってくると猫たちが何匹も待っていたな。魚のおこぼれをもらいにね。いつも同じ顔触れの猫たちだった。まさか、自分が猫になるとはね」

きょうだいは五匹。
このクロアチアの漁師だった茶トラ猫の他に、ハンガリーの大学生だった白い毛の猫、オーストラリアのホテルマンだった黒白の猫、ハワイのサーファーだったグレーの猫、そしてサバトラの僕。

きょうだいでも、毛色や模様はさまざまなんだ。
ママ猫は茶色の毛なのに。

そして、かつて人間だった時と猫になった今とで性別が同じとは限らない。クロアチアの漁師だった茶トラ猫はかつて男性だったけど今はメス猫だし、ハワイのサーファーだったグレーの猫はかつて女性だったけど今はオス猫。あと、白い毛の猫と黒白の猫はかつて男性で、今もオス猫だ。

ママ猫はおしゃべり好きのおじさんだったみたい。
メス猫になった今でも、おしゃべり好きは変わらないけどね。
先日も、住んでいた街の祭りの話を延々としていたっけ。

人間だった時は、国も人種も性別も環境もみんな違っていた。
そんな僕たちは猫になっても多様なんだ。
 
猫として成長していくにつれて、僕らの行動範囲も広がってきた。
家族以外の猫と出会うこともある。

そんな彼らと会話をするうちに、すべての猫がかつて人間だった記憶を持っていることを知った。
そして僕たちと同じように、猫に生まれて数か月後、人間であった時の記憶が少しずつ蘇ってきたということだった。

僕はもっといろんな話が聞きたい。
話を聞くたびに自分の世界がどんどん広がっていく気がする。

僕は牛舎を出て牧草地の方に向かって歩き出した。
牛たちのいる牧草地を抜けて、木製の柵を超えた先に小さな林がある。
林といってもうっそうとしたものではなくて、今日のような晴れた日には木漏れ日が降り注ぐ明るい林だ。

この林には時々黒猫がいる。牧場の外からやってくるんだ。
頭が大きくて、体もずんぐりとしているオス猫。黒猫といっても真っ黒ではなく、茶色い毛が混じったまだら模様をしている。

「ほんの数年前までは、真っ黒な毛並みだったんだがね」
黒猫はいつも同じ話をする。
「朝陽に照らされると、黒い毛がなんとも美しく輝いてな。神々しいくらいだって言われていたよ」
「近頃ではツヤもなくなったし、鳥やネズミを追いかけることも減って、寝てばかりの毎日さ」
そう言って、歳をとったことをちょっと嘆いてみせる。

その黒猫は僕の知りたいことも教えてくれる。
「いいかい、オレたち猫の頭ん中には『人間の思考と記憶』ってのと、『猫の本能と習性』ってのがどちらも組み込まれているんだよ。そして、それらは別次元に存在している」

僕はフムフムと聞く。
そう言われてみればそうかもしれない。

ママ猫は人間であった時は男性だったけど、メス猫である今、子猫を産んで育てあげた。
「猫の本能と習性」の行動だ。
そのママ猫は「人間の思考と記憶」を使って会話をする。
ローマ育ちでおしゃべり好きなシェフだった男の人だ。

もちろん僕にも「猫の本能と習性」が備わっている。
昆虫など動くものに反応して追いかけちゃうし、高いところにはつい登ってしまう。全身をなめて毛繕いもするし、時々爪とぎもする。
そして気づいたら狭いところに入り込んでいる。
陽だまりを探すのも得意だ。
それから、よく眠る。

「僕は、その二つが同時に頭の中に出てきて混乱しちゃうことがあるよ。アナタはそんなことはないの?」
黒猫に訊いた。

「どちらの感覚を優先すればいいか、なんて考えているんだろう。でも、じきに慣れてくるよ。無理して考えようとしなくていいんだ。気ままにしていればいいのさ」

黒猫は少し間をおいてから話を続けた。

「気ままに生きるということは、自分を大切にするということにもなる。自分の気持ちに素直に従う、他の何者にも支配されない生き方だ」

「人間の悩みやトラブルの大半は、対人関係からのものなんだ。人と人との繋がりはありがたい時もある。でも、しがらみに囚われたりするから厄介なんだ」

「厄介なものさ」
黒猫は同じ言葉を繰り返した。
かつての人生において後悔することがあるのかもしれない。

黒猫はひとつ大きなあくびをした。
気持ちを切り替えたみたい。

「猫同士の関係には、さあ、どんなものがある?」
黒猫のその問いに僕は答える。
「えっと、親と子、きょうだい同士。あと、血が繋がっている親戚とか。それから、まったく関係のない猫同士。僕とアナタみたいな」

「どの関係であっても、猫同士には上下関係はないだろう」

確かにそうだ。

ママ猫であってもこの黒猫であっても、僕より長く猫生活をしているので教えてもらうことも多い。
ママ猫は「猫の本能と習性」で我が子として世話をしてくれた。

しかし今はほとんど対等だ。

「でも気をつけろよ。地域によってはボス猫ってのがいる。そいつは別格だ。もし一番を取りたいのなら、戦いを挑むしかない」

けんかなんてとんでもない。僕は人間だった時も平和主義だ。

「そこだけ注意すれば、あとはだいたい猫同士はうまくやっていける。猫は人間と違ってすぐに自立するから、行動は自分次第、他の猫の些細なことは気にしないものさ」

僕ももう子猫じゃないから、自分の体は自分で手入れをする。
大きくなれば親猫は何もしてくれない。
行動は自分次第だし自由だ。

でも僕は牧場の中に住み、安心して寝る場所があってごはんもいつも用意されている。
自由だけど守られている。

「アナタはどこかの家で飼われたいとは思わないの?」
僕が訊くと、黒猫はゆっくりと体の向きを変えた。
「そうだな、今はもう、このままでいいと思っているよ」

「縄張りは自分で守ったし、天敵に襲われた時もどうにかやり過ごしたさ。怪我をすれば自分でなめて治したよ」

「エサの捕獲は大変だったな。特に冬はエサになる生き物が少ないからね。今は牧場の人がオレのごはんも置いてくれるから、食べ物には困らなくなったのはありがたい」

馬たちが暮らす馬舎の横で、この黒猫が用意されたごはんを食べているのをたまに見かける。

「だが、冬の寒さをしのぐ場所を探すのは今でもひと苦労だ。猫は寒がりだからね。夏の暑い日や雨の日もどこかで耐えなくちゃいけない。それに、牧場を出れば悪い人間に乱暴に扱われる危険だってある。道路を行き交う車にも注意しなくてはいけない」

「だから野良猫はそう長くは生きられないんだよ。知っているかい? 最初から野良猫じゃない猫は多いんだ。人に捨てられたり、迷って家に帰れなくなった猫が外で暮らすようになる。そして野良猫になるのさ」

黒猫は僕が思っているほど長老ではないのかな。
野良猫の生活は長生きができないほど苦難が多くて過酷なんだ。

だからといって、この黒猫は人間に飼われたいと思ってはいないみたい。
黒猫自身が捨てられた過去があって、人間に失望しているのかもしれない。

黒猫は過酷だけどひとりで気ままに暮らすことを選んだ。
今まで通り、たまに牧場や近くの民家に立ち寄って、用意されたごはんを食べて生きていくことにしたんだ。

「オレの耳を見てごらん。先が切られているだろう」
黒猫の耳は先の方が少しだけカットされている。
「オレのような野良猫を増やさないために、去勢という処置をした証さ」

猫のことが嫌いだったり、野良猫を迷惑に思っている人間がいるのは聞いたことがある。
だから野良猫が増えないようにする。

過酷な生活をする野良猫を少しでも減らしてあげたいという気持ちでもあるんだと思う。
僕は生まれてからずっと苦労をしないで猫生活を送っている。
感謝しないとね。

           ・・・・・・
 
僕たちが住んでいる牧場にはいろんな動物が暮らしている。
三十頭の牛、六頭の馬、七頭のヤギ、二匹の犬などがいるんだ。

その動物たちの中で、僕たち猫家族が一番親しいのは二匹の犬たち。
どちらも体が大きくて毛はふさふさ、やさしい瞳の持ち主だ。

僕は頭の中で、白と黒の毛色の犬をブッチさん、茶色の毛色の犬をブラウンさんと呼んでいる。
本当は違う名前なんだけどね。

彼らには牧場の犬としての仕事がある。
放牧されている牛たちを誘導して、牛舎や搾乳室っていうお乳をしぼって牛乳を集める部屋に連れていったり、牛がはぐれてどこかに行かないように見守ったりしている。

いつも牧草地を走り回っている働き者だ。
僕たち猫とは全然違う。
でも嫌がっている様子はない。
いつも楽しそうに飛び回っている。

ブッチさんもブラウンさんも仕事中はきりっとしている。
でも仕事を終えてハウスにいる時はなごやかな表情に戻り、甘えん坊の食いしん坊さんに変わる。
そんなギャップを見せてくれるのも楽しいんだ。

犬たちは僕たちが生まれたての子猫の時からいつも優しく接してくれた。

僕たちが小さかった頃は、危なっかしいことばかりしていたと思う。
段差のあるところから転げ落ちたり道に迷ったり、危ない動物に自分から近寄ったりしていた。
そんな僕たちを心配して見守り、時には鼻先や前足で助けてくれたりした。

ある日の夕方、きょうだいの五匹のうち三匹が他の家にもらわれていくことになったと聞いた。
僕と元ハワイ人の猫はママ猫と一緒に牧場に残るらしい。

「みんながずっとここに居続けることはないよ」
ママ猫は以前からそう言っていた。
だから旅立ちや別れは覚悟できていた。

でも、ずっと一緒だったきょうだいがバラバラになるのはやっぱり寂しい。

もらわれていく三匹は、新しい環境への不安はあるけどわくわくもしているみたい。
これからの新しい出会いや経験について、お別れの日までみんなでよく話をした。
 
この牧場に暮らす猫は、ママ猫と僕と元ハワイ人サーファーの三匹になった。

ママ猫は残った僕たち二匹を見て、
「おっちょこちょいと、風格のあるヤツが残ったね」
と言った。
分かっているよ、僕がおっちょこちょいのほうだよね。

ハワイの女性サーファーだったグレーのきょうだい猫は、バランス感覚が抜群なんだ。
僕が登れないところにも難なく登っちゃうし、どんな不安定なところもすいすい歩いていける。
元サーファーの感覚が残っているのかな。
ママ猫と違っておしゃべりじゃなくて寡黙な感じ。
いつも堂々としていて、頼りになる姉御って感じだ。
オス猫だけどね。

この頃から僕はノアと呼ばれるようになった。

元ハワイ人の猫はトムと名付けられた。
トムは体全体がグレーの毛色で、前後の足の先、そして口の周りとお腹が白い毛だ。
アニメのトムとジェリーのトムと一緒だからということで名付けられたんだって。
トムとジェリーのトムって、おっちょこちょいじゃなかったっけ。
「トムね、まっ、いいんじゃない」
トムと名付けられたことに、別段不服でもないみたい。

「どちらも人間っぽい名前だね。ワタシはいかにも猫の名前なのに」
そうそう、ママ猫の名前はミイというんだった。

ノアかあ、やさしい響きだなあ。すごく気に入った。

きょうだいの中で一番小さかった僕は、牧場の人たちに「チビすけ」とか「おチビちゃん」と呼ばれていた。

人間だった頃も体が小さくて、みんなができることが僕だけできないことがあった。
それで悔しい思いをした記憶がある。
どのくらいそう思っていたかは覚えていないけど、悔しいと思っていた気持ちは猫になっても残っている。

だからチビと言われるのは不満だった。

これから僕はノア。うれしいな。
素敵な名前を付けてくれてありがとう。

いつも優しくしてくれるブッチさんとブラウンさんに、改めて自己紹介したいくらいだ。
残念ながら犬たちとは会話ができない。
だからいつも犬たちの顔を見上げて、できる限りかわいい声で「みゃあ」と鳴く。
感謝と愛情はちゃんと伝えないとね。


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