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【連載小説】朝陽のむこうには ~サバトラ猫のノア~ 5〈全8話〉

それから僕は何日も何日も歩き続けた。方向は間違っていないはずだ。

ある朝、見覚えのある街にたどり着いた。
ここ、覚えている。見覚えのある公園、見覚えのある家並み。
どんどん足早になっていく。
僕の家は、そう、この角を曲がったところ。

あった!僕が住んでいた家!
僕の家に向かって駆け出した。たどり着きドアを見上げる。
かつてのように自分でドアを開けて入っていくことはできない。
しかたなく僕はドアの前で長い時間待ち続けた。

突然、カチャリと音がしてドアが開いた。誰かが出てくる。
「じゃあ、行ってくるよ」
出てきたのは、知らないおじさんだった。
「パパ、行ってらっしゃい」
そのおじさんの後ろで声がして、ドアの隙間から小さな女の子が顔を出した。知らない女の子。

僕は混乱した。僕の家に知らない家族が住んでいる。どういうこと?
ひょっとしたら、僕が人間だった時からもう何年も何十年も経ってしまったのかもしれない。
おかあさんたちに会えないのかな。――もう二度と。
僕はよろよろと近くにあった路地に入り、隅っこでしゃがみ込んだ。どういうこと?どういうこと?

 僕は途方にくれたまま、数日の間ぼんやりと家の周辺で過ごした。食べる気力もない。ずっと縮こまっていた。

「あんた、このあたりでは見ない顔だね。どこから来たの?」
ある日、一匹の猫が声を掛けてきた。自分の縄張りをパトロールしていた茶トラのオス猫だ。僕を威嚇する様子はない。
「僕はずっと遠い場所から、以前住んでいたこの家を目指してきたんだ。でも家族が違っていて」
「ああ、この家の家族は春ごろに引っ越してきたんだよ。以前住んでいたのって、夫婦と男の子の三人家族?」
僕が含まれていない家族――。
しかたない。「そうだよ」と僕は答えた。

その猫は僕がその家族に飼われていたと勘違いしているみたい。でもそのままにしておいた。
「その家族は一年くらい前に引っ越していったよ」
何十年も経ってはいなかった。少しほっとした。
「どこに行ったか分かる?」
「詳しくは分からない。でも、街のはずれの環境のいいところに引っ越したってうちの飼い主が話していたかな」
「同じ街?」
「たしか、そう言っていた」
「どうしてもその家族に会いたいんだ。その場所を知る方法はあるかな」
「そうだなぁ」
その猫はしばらく考えていた。
「そういえば、スーパーマーケットでそこの奥さんとたまに会うって言っていたかな」
「そのスーパーマーケットはどこにあるの?」
僕はすかさず訊いた。
「隣町だよ。この道をまっすぐ行くと大きなショッピングモールがあるらしい。その中のスーパーマーケットさ」 
「ありがとう。行ってみるよ」
礼を言ってすぐ出発しようとした。するとその猫は「ちょっと待って」と僕を呼び留めた。
「キミは前に飼われていたんだろ? 今さら行っても迷惑がられるんじゃないかな。猫に飽きてもう新しい犬なんか飼っていたりするものだよ」
ちょっと理由は違うけど、たしかに迷惑かもしれない。
今さら僕が、しかも猫になって会いにいったって困っちゃうよね。会話だってできないし。少し心配になった。
「うちの飼い主はいい人たちだよ。オレと一緒に行けば、ごはんもくれるし、そのまま飼ってくれるかもしれない。オレも仲間ができてうれしいし。どう、うちに来ない?」
その猫はそう誘ってくれた。
僕が黙っているとその猫は「まあ、今日はとりあえず一緒に来な」と僕の前を歩き始めた。
僕はついて行くことにした。

その猫は名前をガーフィといった。
ガーフィが言った通り、飼い主の人たちは優しく僕を迎えてくれた。
最初は庭先でごはんや水を用意してくれて、徐々に家の中に安心して入って来られるようにと心遣いをしてくれた。そうして僕はガーフィの家で過ごすようになった。
しばらくして、僕はガーフィに本当のことを話すことにした。
「ガーフィ、僕は以前あの家で小学生の男の子として生活していたんだ」
「それは驚いた。みんな人間だった時と違う国の猫になるんだと思っていたよ。そうか、行こうと思えば行けるくらいの場所でノアは猫になったんだね」
あの家に住んでいた家族に会いたいと言った僕の気持ちをガーフィは分かってくれた。
「でも本当に会いに行っていいのか、悩んできたんだ」
僕は今の気持ちもガーフィに打ち明けた。
「僕がいた時は動物なんて飼ってなかった。冷たくされたら落ち込んじゃいそう」
もうすぐ会えるかもしれないというところまできて、僕はどんどん不安になっていた。
「そうだな、ノアが不安になるのも分かる。でも、話を聞いてオレは会いに行くべきだと思ったよ。やらない後悔よりやって後悔したほうがいいよ」
ガーフィは僕にそう言った。会わなければ何も変わらない。悲しい思いもしない。でも、「やっぱり会っておくんだった」とずっと思い続けると思う。
会ってみて自分の思い通りでなかったら。その時に考えればいいかもしれない。まずは行動してみる。そうやってここまで来たんだった。
「僕、やっぱり行くよ」

「どうやって新しい家を見つけよう」
まずは計画だ。行動する前の準備はちゃんとしなくちゃ。
「ガーフィの飼い主さんが、スーパーマーケットで会うって言っていたよね。そこで待つというのはどうかな」 
結局、それしか方法が浮かばない。
「でも、そのスーパーマーケットはここから随分遠いよ。これからどんどん寒くなって外で過ごすのは大変なんじゃないかな。ノア、暖かくなるまでここにいたらどう?」
そうだ、寒さには用心しないといけないんだった。僕はガーフィの提案を受け入れることにした。

それから僕はガーフィと毎日一緒に過ごした。外に出かけて遊んだり、獲物を捕獲したり。ガーフィの縄張りのパトロールについていったりもした。
僕たちはなんでも話せる友だちになった。
寒い日が続き、僕たちは一日中家の中にいることも多くなった。そんな時はガーフィとずっとおしゃべりをして過ごした。
徐々に暖かくなってからは、また外を頻繁に出歩くようになった。
そうやって過ごしているうちに、僕が牧場を出た時と同じような季節になってきた。

そろそろ出発する頃かもしれない。ガーフィと一緒にいるのは本当に楽しい。でも、僕は行きたい。
ある晴れた朝、開いている窓から僕は外に飛び出した。家の中からガーフィが見送ってくれた。
ガーフィ、君とは会えなくなるけど、君はずっと僕の大切な友だちだよ。

スーパーマーケットが入っているショッピングモールまでは、いったいどのくらい歩けばいいんだろう。また長旅になりそうだ。 
その日から何日も歩き続けた。
途中、休息をしたり、食べ物を得るために獲物の捕獲もした。おなかはいつもすいたままだった。
疲れてくじけそうになる気持ちを、一生懸命勇気づけて歩いた。
そうして、ようやくショッピングモールの駐車場にたどり着いた。

駐車場はすごく広かった。駐車場を歩き回っていてもおかあさんと遭遇するのは難しそうだ。建物の出入口はいくつもあって、おかあさんがどこを使うかも分からない。
どうしよう。また不安な気持ちがむくむくと心の中で大きくなってきた。
僕はあまり人目につかないように植え込みをうろうろと伝い歩いた。

ふと話し声が聞こえてそちらを見ると、洋服を抱えた人が建物の角にあるドアから出てきた。クリーニング店だ。
もしおかあさんがこの店を使っていたら。ここにいれば会えるかもしれない。僕はここで待つことに決めた。
僕はクリーニング店のそばの草むらを待機場所にした。いつ来るか分からない。おかあさんがこの店を使っていなかったらずっと来ない。
でも、やっとここまで来たんだ。待つしかない。
 
何日も過ぎたある日、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
おかあさんだ。絶対そうだ。
その女の人は大きなマイバッグを持ってクリーニング店に入っていった。僕は数歩近づいて立ち止まった。どうしようか。僕の事情は分かってもらえないよね。遠くに見えるクリーニング店を見つめているとドアが開いて女の人が出てきた。
やっぱりおかあさんだ。少し痩せたように見える。
僕はおかあさんの歩く方へと近寄っていく。引き取った荷物を持って車に戻るようだ。おかあさんの姿を見失わないように並行して歩く。早くしないと行っちゃう。

おかあさんは車の後部座席のドアを開けて荷物を車に乗せた。そして、何も入っていない別のマイバッグを持って、スーパーマーケットの方に歩き出した。今から買い物をするんだ。僕はおかあさんの車に近づいた。ここで待っていればおかあさんが戻ってくる。僕を見つけ、僕を抱きかかえて、家に連れ帰ってもらう。それが僕の希望。

僕があれこれ考えていると、おかあさんが向こうから歩いてきた。僕は運転席のドアの脇に座った。おかあさんは反対側の後部座席のドアを開けて荷物を入れている。ばんとドアを閉める音がした。僕は緊張した。
もうすぐおかあさんとの遭遇だ。車の後ろ側から回り込んでおかあさんが近づいてくる。
「あら、猫さん。こんにちは」
ああ、おかあさんだ。
「こんなところにいたら危ないよ」
そう言いながらしゃがんで僕を見つめた。そして、僕の背中をそっとなでた。僕はじっとしていた。どうすればいいか分からない。おかあさんに連れ帰ってもらうには、どうすればいいんだろう。
「駐車場はね、車がいっぱいだから危ないのよ。安心できるところにいないとね」
そう言って、おかあさんは僕を両手で抱えた。ぎこちない。僕の後ろ足はぶらんとして変な恰好だ。でも僕はじっとしていた。そしておかあさんは道路とは逆の、畑の広がる小路に僕を連れて行き、そこで僕を下ろした。
「気をつけないといけないよ、猫さん」
おかあさんは僕の頭をちょんちょんと軽く指でなでた。

行かないでおかあさん。

僕は「にゃあ」と鳴いて訴えたけど、振り返ったおかあさんは軽く手を振り「じゃあね」と言って去っていってしまった。
チャレンジは失敗に終わった。どうしよう。ああ、もうダメだ。
いや、いや、いや、大丈夫。
これで顔見知りになったよね。次はきっと成功するよ。かえでさんのようにポジティブシンキングでいかなくちゃ。

僕はそれから駐車場の周辺で毎日を過ごした。生活はなかなかハードだ。食べ物を自分で探さなくちゃいけないし、その日の寝る場所を確保するのも本当に大変。
縄張りにうるさい猫がいて何度も威嚇された。でも僕は場所を変えながら居続けた。必ずまたおかあさんに会えるんだから。

そしてまたチャンスがやってきた。駐車場の植え込みをいつものように歩いていた時、見覚えのある車を発見した。おかあさんの車だ。僕はその場所でおかあさんを待った。たくさんの人が行き来をするけど、おかあさんは現れない。しばらくして、その車に知らない人が乗って、発車して行ってしまった。そうか、同じ車だけどおかあさんの車じゃなかったんだ。

それから何日も過ぎた。また同じ車が止まっているのを見つける。今度も違う車かもしれない。でもそこで僕は待った。すると向こうからおかあさんが荷物を持ってこちらに歩いてくるのが見えた。今度は男の子と一緒だ。弟だ。わあ、大きくなった。
さあ、再チェレンジだ。
僕は前回と同じように、運転席のドアの脇で待つことにした。そして、おかあさんの顔が見えた時すかさず見上げて「にゃあ」と鳴いた。
おかあさんは僕に気づいた。
「先日の猫さん、会いに来てくれたの?」
僕は「そうだよ、そうだよ」という気持ちで「にゃあにゃあ」と繰り返した。
おかあさんはしゃがみ込み、僕の背中をなでた。
「猫さん、おうちはないの?」
僕はじっとしている。弟が近寄ってきて、しゃがんで僕を見つめた。
「この猫ちゃん、おかあさんになついているの?」
「ううん、そうじゃないけど、先日もこの駐車場で会ったの」
おかあさんはそう言って僕をじっと観察した。
「首輪がついているからどこかで飼われていたのね。おうちが分からなくなっちゃったのかな」
「迷子なんだね。車がいっぱい通るし、このままここにいたら危ないよね。おかあさん、おうちに連れていこうよ」
弟がおかあさんに訴える。するとおかあさんはちょっと考えていたけど、
「おうちが分かるまで家に来る?」と僕に言った。
やったー、成功だ。
弟もほぼ同時に「やったー」と叫んでいた。
「これで包んであげて」
おかあさんは車の中にあったタオルを弟に手渡した。
弟はそのタオルで僕をそっと包みこみ、そのまま抱きかかえて後部座席に乗り込んだ。


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