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時には、めあてを示さずに授業をしてみる

この頃の授業は、とにかく「めあて」を示す。確かに、どこがゴールでどこがストライクゾーンなのかを知っていれば、学習はしやすいし、授業も作りやすい。

しかし、同時に失うものがあることを理解しなければならない。
それは、「めあて」以外に学びたいものが見つかっても、無視されるということなのだ。もう少し言えば、「目当て」以外を学ぶことは、すべて不正解になってしまうということなのだ。

効率的に学習を進める際には、めあてがあるのはわかりやすい。他の要素を排除するからだ。しかし、それ以外のものが一緒にあった時、思考は立ち止まることをし、考え直すことをし、深まって行くきっかけを得る。それがなくなるというのは、本当にいいことなのだろうかと思う。

分かることが目標の学習を否定するつもりはない。
しかし、考えることを目標とする学習では、めあてはひょっとすると邪魔かもしれないという問いは立たないのであろうか?

時には、めあてを示さずに授業をしてみる。そして、あなたはこの授業から何を学びましたか?とか、この授業のめあてはなんだったと思いますか?のような構成の授業があってもいいと思うのだ。

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