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僕がフリーランスを辞めたわけ

僕は29歳から31歳までの約2年間、フリーの独立マーケティングコンサルタントとして仕事をしていました。

理由は、20代の目標が「独立すること」と「年収1,000万円稼ぐこと」だったから。「起業」なんて大それたことはまったく考えておらず、士業の人に多い「独立開業」を目指していた。

当時の僕は、「自分以外の社員を雇うなんてとんでもない…!人の人生に責任を持つなんて、こんな小兵の俺ができるはずがないし、なによりも怖い!正社員じゃなく、たとえアルバイトでも、自分以外の人の給与を安定的に支払っていくなんて無理!自信ない!だから一人でやる」と心の底から思っていました。

先に(中小企業診断士/ITコンサルタントとして)独立していた先輩は、調査やレポーティングなどを手伝ってもらう2人のアルバイトを雇っていたけど、オフィスに遊びに行ったとき「スゲー!人雇ってるんスねー!」と尊敬の眼差しを向けたことをよく覚えています。

29歳でコンサルティング会社を退職して個人事業主登録をしたので、一応、20代で独立開業する目標は達成し、20代最後の年を含めた初年度の「年商」で1,000万円を超えることができた。

年商は年収とは違います。仮に売上が1,000万円でも、資料購入費や交通費などの諸経費が150万円かかれば、利益は850万円となります。そこに所得税や住民税などがかかるのはサラリーマンと同じ。社会保険は国民健康保険になり、厚生年金(最近は401kプラン)は国民年金となって、たいていは自分で現金を振り込むことになるので、給与天引きだったサラリーマン時代には感じなかった「(多額の現金を支払う)痛み」を実感することになります(笑)

若気の至りで、こんな本まで出しちゃって(恥)

前まで1円だったんだけど、玉数少なすぎて謎の金額になってますが、機械的なものなので気にしないでください。

初年度の年商は1,000万円、2年目は1,400万円と、着実に年商は上がったのに、なぜ僕はたった2年で念願だった「独立事業主」、今風にいうと「フリーランス」を辞めたのか。

それには3つの理由があった。

1. むしろライスワークが増えた

開業する前は、「独立したら好きな仕事だけして生きて行けるんだ…。嫌な仕事はぜんぶ断るぞー!♫」と考えていたけど、独立してみたらそんな贅沢は言っていられないことに気づく。

フリーランスの収入は、とにかく安定しない。複数の固定企業から固定金額で仕事を受けていれば収入は安定するけど、仕事はマンネリ化するし、それじゃあ独立していると言えない(と考えていた)

必然的に、仕事はプロジェクト単位になる。プロジェクトが重なっているときは忙しいし売上も上がるけど、プロジェクトが一段落する谷間が重なると、月の売上がゼロなんてことになる。これはもう不安で不安で仕方がなかった。

あと、取引先によって支払いサイトが違う。独立するまで実感がなかったけど、売上=キャッシュではないのだ。

今月30万円の仕事をして、無事納品、月末に請求書を出しても、そのお金が相手から振り込まれるのは早くて翌月末、遅いと60日後、90日後なんてところもある。仮に6/1~6/30に仕事をしたとして、支払いサイトが60日の場合、お金が振り込まれるのは8月31日。仕事を開始した日から3か月も後なのだ。

消費者金融、リボ払い、ボーナス一括払い、ツケ払いなど、世の中の少額借入やローンのニーズは、ほとんどが「少額キャッシュの前借り」もしくは「少額キャッシュの後払い」だ。

世には黒字倒産という言葉がある。売上は立っている、決算も黒字である、でも、手元に現金がなくて、倒産するのだ。このことを強烈に痛感させられた。

この銀行残高(経営的にいうとキャッシュフロー)が減っていく(もしくは谷間の月が先読みできると)とにかく仕事という仕事でスケジュールを埋め尽くしたくなった。当時結婚したばかりだったこともあり、生活資金が枯渇すること恐怖から逃れたかったのだ。

そうなるともう仕事を選ぶ余裕なんてない。やったことがなくても、不得意分野でも「池田くん、これやってみる?」なんて言われたら「やります!」と即答する。

かくして、「独立したらやりたいことだけやって、人生のライフワークを見つけるんだ☆」という当初の想いは、「喰うためのライスワーク」に完全に変わってしまったのでした。

2. 枯れていく恐怖

上記の通り、生活が困窮する恐怖から逃れるために、とにかく仕事を入れまくる。時間は24時間365日しかない。

フリーのコンサルタントだから、仕事は、書く、しゃべる、やる(調査やコンサルティングやプランニングやプロジェクト進行など)の3種類。当時は駆け出しで、書く、しゃべる仕事なんてなかった(誰からも依頼されない)から、仕事は「やること」だ。

となると、収入は年間の(クライアントに課金できる)チャージャブルな稼働時間✕単価で決まる。

単価は上げるにも限度があるから、とにかく稼働時間を増やすしかない。逆にいうと、稼働時間が増えれば増えるほど売上は上がるし、安心感が増す。だから、取り憑かれたようにチャージャブルな稼働時間を増やすことに傾倒していった。

となると、チャージャブルじゃない時間がとても無駄に思えてくる。本を読んでいるだけ、ネットを見ているだけ、人に会って情報交換をしている時間は、ぜんぶ「非稼働時間」だ。

サラリーマンの頃は、朝出社して、夜帰れば、仕事をしていてもしていなくても、稼働時間でも非稼働時間でも給料は定額だ。でも、フリーランスになったら、「仕事をしている気持ちになれる時間」がどれだけあっても、稼働していなければ売上はゼロなのだ。これは強烈だった。

自分がいかに大量の「仕事をしている気持ちになれる非稼働時間」を過ごしていたのか痛感させられた。

このように、1に稼働、2に稼働、3・4も稼働、5に稼働を徹底した結果、すべてが以前の知識と経験の切り売りとなり、僕は急速に枯れていった。

22歳から29歳までの実務経験なんてたかがしれている。それを29歳から2年間、インプット無しで換金していくわけだから、枯れて当たり前だ。

3. めちゃくちゃ寂しかった

3つの要因の中で、実はこれが一番大きい。

いまみたいに、TwitterやFacebookが普及していれば、自宅兼事務所でパソコンを眺めていても、常にみんなと繋がっている気分になれる。

プロジェクトにアサインされて、チャットワークやslackなどでつながれば、常にパソコンやスマホで「誰か」とやり取りをすることにもなる。

でも、僕が独立していた2002年(平成14年)~2003年(平成15年)は、ヤフーBBが駅前でADSLのモデムをばら撒いていた頃だ。mixiは誕生前だし、ブログも普及前。あるのはメールと電話だけ。巷では「FAXで新規開拓しよう!」なんてことが力いっぱい語られてた頃である。

だから、顧客やパートナーとのやり取りは、ほぼ100%がメールとなる。メールは、必要なときにしか送らないし、送られない。しかもそこは業務連絡が中心で、日常の「誰とどこで何食った」とか「今度こんなイベントやるけど興味ある人ー?♫」なんてものはない。

一日にくるメールの数なんて、せいぜい数通だ。それ以外は、社会と断絶されるのである。

だから、僕は井上さんのこの気持が死ぬほどわかる。

僕がフリーランスを辞めようと思った瞬間は、ある日の夕方、自宅兼事務所のバルコニーで空を飛ぶカラスを眺めながらボーッと一服していたとき「そういえば、今日俺、誰とも話してないな…」と強烈な孤独感を感じたときだった。

いま俺がここで倒れて死んじゃっても(家族や友だち以外)社会の誰も困らないし、寂しがってくれないんだな…と泣きそうになった。

そのとき、「あ、俺、一人で自由に動くフリーランス、向いてないわ」という不都合な真実に気づいたのでした。

若かったから、「サラリーマンは嫌だ!独立するんだ!」と、深いことを考えず、大いに手段を目的化して独立開業したものの、自分のやりたいことや得意なこと、気持ちよく、やりがいを持って働くという一番大切なはずの目的に対して、サラリーマンなのか、フリーランスなのかという就業形態は、実は些細なことだってことに、2年経ってようやく気づいたのだった。

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フリーランスを辞めて、2社ほどで働いた後にいまのトライバルを創業した。

30代は、息継ぎなしの無酸素状態でとにかく相当な量の仕事をした。でも、どんなに忙しくても、どんなに朝から晩まで会議でも、どんなに切羽詰まっている状態で「池田さん、一瞬いいですか?」と話しかけられても、「アァ!いま俺、誰かから必要とされてる!」と幸せ一杯の日々だった。

自分のスキルで社会をどう良くするか。自分は本当は何がやりたいのか。将来自分はどうなりたいのか。考えることは山ほどあったけど、僕はこの経験を通して「たくさんの人に囲まれて仕事をしていたい」という強烈な軸ができた。たぶん、これは一生変わらない。

いまはTwitterもFacebookもある。そしてあなたは当時の僕よりも優秀で、仲間も多いかもしれない。でもみんな。起業やフリーランスが流行っているし、もてはやされる世の中だけど、就業形態やキャリアだけじゃなく、自分の心地よい働き方についても考えてみて欲しいのだ。

どんな仕事を、誰と、どのようにしているときに、幸せを感じるか。それが長く働く上で、一番大切なことだから。

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