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【インタビュー】逆転の発想からの復活  ~感動する料理を目指して~ ①

埼玉県所沢市にある日本料理屋「みや」は、創業17年目を迎えた、地元に愛される店だ。
初めて「みや」を訪れた時、友人の家でゆったりとくつろいでいるような居心地のよさを感じた。アットホームで楽しい雰囲気はオーナーシェフ 宮本浩樹さん(46)の人柄がそのまま現れていた。そして、料理を口にした時の驚きと至福感。旬の食材を最大限に生かした丁寧な仕事ぶりが見て取れた。その印象は、何度訪れても変わらない。
オーナーシェフである宮本さんの歩みを、「みや」のファンでもある友人、契約生産者との繋がりの中からひも解いていきたい。

出張料理を通して見えたもの

友人の飯田竹世さん(49)は、茨城県で代々続く建設会社を夫婦で経営している。宮本さんと飯田さんは、人間学について学ぶオンライン講座の受講生として出会った。積極的に講座に取り組んでいた二人は、経営者同士ということもあり、すぐに意気投合した。そんな二人の付き合いが深まったのは、飯田さんが宮本さんに出張料理を依頼したことがきっかけだった。

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本家の跡取りである飯田さんは、母亡き後も、正月やお盆に親戚約30人を自宅に招き、その繋がりを大切にしてきた。親戚が集まった時の料理はいつも飯田さんが用意していたが、宮本さんと「みや」の印象がとても良かったため、出張料理をお願いしようと思いついた。当時、病気で外出ができなかった父に美味しい料理を食べさせたいという思いもあった。
相談を受けた宮本さんは、出張料理は初めてだったが、「竹世さんの頼みなら」と二つ返事で引き受けた。父を励ましたいという飯田さんの思いを汲んで、本格的な料理を出すこと、プラス15人の子どもたちが喜ぶようなものを出すことを決める。

「実践で何かを作ってほしい」という飯田さんのリクエストに応え、お寿司屋さんを開いた。
「へい、いらっしゃい!何を握る?」
「マグロ!」
家が寿司屋に変身して子どもたちが大いに喜んだ。
切ったらアンパンマンの顔が出てくるという海苔巻きを作った。生きた鮎を持ち込み、その場で揚げると、油の中でも泳いでいる鮎に驚きの声が上がった。
楽しいことが好きな飯田さんは、宮本さんも巻き込んで、五・七・五の俳句づくりに皆で挑戦。遊び心のある二人がタッグを組んだことで生まれた幸せな時間だった。

宮本さんは人懐こい子どもたちのことが印象に残っている。
台所で包丁を片手に料理をしていると、子どもたちがじゃれてまとわりついてくるので、「もう、触るなよ~」と会話を楽しんだ。帰る時には、子どもたちが走って手を振って見送りをしてくれた。
「大家族で、あたたかい家庭だなぁと思いました。お正月やお盆にあれだけの親戚が集まるというのはなかなかないと思うので、田舎ってすごい、茨城っていいなと思いました」
と振り返った。

一方、依頼した飯田さんは、
「新鮮な食材を使ってその場で作るので、どれも美味しくて自然と会話も弾みました。父をはじめ、親戚一同とても喜んでいて、『本当に美味しいものを食べた時には温泉に入った気分になる』と言っていました。お店で食べるのもいいですが、自分の家で美味しいものを食べるというのがたぶん脳の印象に残ると思うんです。うちは本家なので、先祖が喜んでいるのを強く感じましたね」
と語った。

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「人に良いと書いて『食』。食べた人を幸せにする『みや』はその食の本物のお店です。食したその日はもちろんのこと、次の日まで、体が喜んでいるのが分かります」
飯田さんは「みや」の料理をそう表現した。

改めて飯田さんにとって宮本さんはどのような存在なのかを尋ねると、
「宮本さんのお店に行くと、毎回新たな発見があります。食事にしても同じものは出しませんから。そういう面白さというのが伝わってきます。本当にお客様のことを考え、お客様を楽しませる、喜ばせる。満たされた状態で帰ってもらう。そういう仕事に対する姿勢は深く共感しますし、いい刺激をいただいています。今後ますます花開く方だと思うので、心から応援しています」
という答えが返ってきた。

宮本さんも、
「今だから思うんですが、竹世さんは僕にとっての応援団だった気がします。親戚の集まりでの出張料理にしても、近くの仕出し弁当を頼むこともできるのに、金額も高いのに、わざわざ呼んでくださって。自分は応援されているなと思いました」
と語った。

食材選びから生まれた職人との縁

食材選びはトライ&エラーを何度も繰り返してここまでやってきた。
「もう直感ですよね。だから当たり外れはあります。例えば、見た目もいい感じの高い金額の松茸を買ってきても、中を割ってみたら虫食っていたというのはよくある話です。いまだに失敗もありますが、だんだん精度は上がってきています。経験を積み重ねているから、若い頃とは違いますね」
食材は、必ず現地に足を運んで探している。業者の方から話を聞いて、食べてから買っている。

土鍋で炊いて提供している、艶のあるふっくらとした「みや」のお米を思い出し、契約している米農家について聞いてみた。
最初は、秋田県で日本一有名な合鴨農法をやっている農家から買っていた。鴨を田んぼに放して虫を食べさせて、無農薬でお米を作っている。何度か現地に足を運んでいるうちに、「もっと美味しいお米があるよ」とその農家が教えてくれた。商売っ気のない誠実な対応に驚きながらも紹介してもらったのが、石川県白山市の米農家「おおた農場」の大田豊さん(71)だった。

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「棚田で無農薬で作っていて、ちょっと変態チックなおじさんなんです。もう職人なんですよね。その方のお話を聞いて、これはすごいと思った」
とユーモアを交えて大田さんの魅力を語る。

おおた農場の田んぼは、標高220メートルの山間地の棚田にある。安全でおいしい米づくりを目指して、20年ほど前から無農薬で米を栽培している。
近くを流れる河川にはゲンジボタル、水田にはヘイケボタルが数多く飛び交う光景が見られ、毎年多くの人が訪れている。大田さんは白山麓渡津蛍の里保存会会長を務め、自然環境のバロメーターである蛍を守る活動をしている。その取り組みが徐々に知られるようになり、一昨年NHKのニュース番組に取材されたことで一躍有名になった。
社会にメッセージを届けたことで、蛍観賞会に訪れる人が増え、想いに共感する仲間ができ、蛍を戻す方法について教えを乞う人も現れた。それでも、まだまだ道半ばだと言う。
「先祖が守ってきたものを次の世代に残していくためにも、自然と共生する大切さをこれからも伝えていきたい」
と力強く語った。

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肝心の味はどうなのか。
「味は全然違いますね。棚田で作っているから甘味があって、何よりも力(リキ)があります。自然ってすごいじゃないですか」
おおた農場とはもう10年くらいの付き合いになる。毎年6月末~7月頭には、数えきれないほどの蛍が乱舞する幻想的な光景を見に行くと言う。二人とも職人気質な部分で惹かれ合うのかもしれない。


逆転の発想からの復活② へつづく


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