日本の年金は何故かくも不可思議なのか(下) 国会会議録に学ぶ《仕組みの起源》
Kindle電子書籍『日本の年金は何故かくも不可思議なのか(上・下)』より一部を抜粋して公開します。
後から後から湧き出る疑問
ところで、「現状そうなっているから、そうだ」と、ひとまずは受け入れるしかないものの、現在のこの日本の公的年金の仕組みと言うのは、考えれば考えるほど、どうしてこうなっているの? と疑問が湧いてくるシステムなのである。
思いつくままに挙げてみよう。
なぜ社会保険方式を採用しているのか。税財源方式ではダメなのか?
社会保険なのに、なぜ公費負担があるのか?
公費負担はなぜ2分の1なのか、3分の2ではダメなのか、いっそ全額ではダメなのか?
公費が入っているなら、もはや社会保険とは呼べないのではないのか?
なぜ賦課方式を採用しているのか。積立方式の方が良かったのではないか?
基礎年金とは何なのか。その額の根拠は?
なぜ国民年金の保険料は定額で、厚生年金の保険料は定率なのか?
国民年金の保険料も所得比例にした方が良いのではないか?
所得比例にしないまでも、所得に応じた段階的定額保険料にした方が良いのではないか?
国民年金の定額保険料の額はどのようにして決めたのか?
厚生年金の保険料は定率なのに、なぜ基礎年金は国民年金と共通の定額なのか?
年金を支給する際に所得制限を設けなくてよいのか?
財政が苦しいと言うのに、現役時代に所得が多かった人ほど多くの年金を受け取る仕組みの厚生年金を公的に運営する必要があるのか?
財政が苦しいのだから、保険料は定率、年金は定額という組み合わせにした方が良いのではないか?
国民年金および厚生年金から基礎年金への拠出額は、なぜ現在の被保険者数での頭割り負担なのか? 受給者の加入履歴に応じて各制度が負担すべき額を算出して割り当てるべきではないのか?
第三号被保険者だけはなぜ保険料を支払わなくてよいのか?
厚生年金の保険料はなぜ労使折半なのか。例えば企業7対労働者3ではダメなのか?
何故これほど、後から後から疑問が湧き出てくる仕組みになっているのだろうか。
それは、すでに触れたとおり、現在の仕組みは、最初から意図された仕組みではないからである。
ならば、その謎を解くには現在の姿へと改変されて行った経緯をたどるほかない。
そこで、今挙げた疑問のすべてをカバーすることはできないかもしれないが、少なくともそのいくつかを解くカギを、過去の国会会議録に探ってみることにしたい。
現在に至る年金の仕組みを創ったあの時、仕組みを変えたあの時、私たちの代表(国会議員)は、何をどのように考えていたのだろうか?
(中略)
四つの転機
さて、もう一度年表に戻ろう。
私は日本の公的年金の歴史には、大きな転機が四回あったと考える。
次の年である。
一度目は1959年の国民年金法の成立である(年表では施行年の1961年で表示されている)。文字どおり、国民年金という自営業者等向けの新たな年金制度を創ったからである。
二度目は1985年の基礎年金の導入である。基礎年金なる概念を導入して、それまでパラレルに存在していた国民年金と厚生年金をドッキングさせたからである。
三度目は2004年の制度改正である。その後も手直しはされているが、現在の年金の仕組みの骨格は、このときの改正によるものだからである。
四度目は2012年である。ただし、この年を取り上げる理由は、制度が改正されたからではない。当時の政権与党であった民主党の「税財源による新たな年金制度を創設する」という公約が放棄されたからである。(年表ではこの年の改正内容が列挙されているが、これらは2004年にできた骨格をメンテナンスするものでしかない。)
制度を変えるには法律を書き換える必要がある。
ここから先は、以上の四つの転換点において、私たちの代表である国会議員や、政府案を説明する大臣や官僚たちが、どのような発言をしていたかを確認することによって、現在の年金の仕組みにまつわる疑問の数々を解きほぐしていくこととしたい。
(続きはKindleでお楽しみください。)
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