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ただの素人がはじめてカメラを誰かのために向けることになった話


「写真を撮ってくれる人を探してるんだけどやらない?」


唐突に決まった写真を撮る仕事

ただ昔ながらの雰囲気で残る写真が好きだという理由で撮り続けていたフィルムカメラ

趣味で始めた写真を撮るということが、今回はじめて仕事に結びついたのでこの機会にと思ってその時のことを綴ります


フィルムカメラに魅せられて


カメラは好きだ

カメラを撮るときは
「あっ、この瞬間を撮りたいな」という今を残したいなあと、
「この雰囲気、画になるな」という作品としての写真が良さそう、
という気持ちでシャッターを切る

基本的にここでいうカメラはぼくの相棒であるフィルムカメラのMINOLTAだ

ゴツッとした一眼カメラらしい重厚感のあるフォルム。
機能性に伴って付いている一つ一つの機能はアクセサリーのようにおしゃれだ。
正面のMINOLTAからは昔懐かしさと少女のような可愛らしさを感じてしまう。


そんな相棒を保管している定位置から取り出して、一緒に出掛ける時はいつも「今日は何が撮れるかな」と、鏡の前で写真を撮るそぶりを2,3回繰り返す(いつもは言い過ぎたか)


旅行に行くときや遊びに行くときに取り出してMINOLTAを使っていたぼくだが

今までの写真というものは自分の中で完結させられる作品をひたすらに撮り続けていただけだった


自分が満足したら十分ではあったが、それが人から喜ばれる作品であったらもっと嬉しかった

写真としての価値が認められたのと同時に、その人にも自分の良いと思った感覚が伝わったと思うと、尚嬉しくて何回もその写真を見直したこともあった



仕事のために撮る


「私がモデルになって写真を撮ってくれる人を探してるんだけどやらない?」

明日の遊ぶ予定の話かなと思って、とった電話に急に仕事のお誘いが来た。
あまりにも軽いお誘いだったから、仕事なのかどうかわからなかった。


「衣類関係の仕事で、その服を着たものを写真で撮ってインスタとかカタログに使うらしい」

話を聞くとモデルとしてその同期が選ばれ、その彼女から、カメラマンとして指名をしてくれたらしい


ぼく自身は特にフォトコンテストや写真展にも出展はしたことはないし、もちろんカメラマンとして活動したことも一切ない。インスタグラムでもカメラ用アカウントは持っていないし、ぼくの個人アカウントのフォロワー数は600人ぐらいである。

そんな感じでただ趣味でカメラを触っていただけだったぼくに、はじめてカメラを使って仕事をする機会が訪れた

カメラでその彼女の写真を撮ることもあったし、よく遊んだりしてカメラを向けることもあった

その時のフィルムを現像してみせると
「いい味だなあ」「この雰囲気いいなあ」「カメラうまいなあ」
なんて言ってくれていたが

彼女からカメラを撮れる人としてイメージされていることがうれしかった。彼女に特別な感情があるとかではなく、彼女によく見られていたいとかでもなく

写真を撮れる人”としてのイメージがついていることに、ゾクゾクと鳥肌が立った

「全然良いけど…ほかに写真とか撮ってる人いるよね?」

謙遜した。
自分よりもほかにいるはず。もっとカメラうまい人はほかにもいる。

なんて一瞬思ったが、

ぼくは欲張った。なぜ自分なのか、求めていた。



「SNSにアップしたり、今風なカタログに使う写真だから、おしゃれな雰囲気で撮りたいと思っt」

「やる。やりたい。やらせてほしい。」


食い気味に答えた。
ありがちで別にぼくじゃなくても当てはまるような(カメラマンの)選定理由だった。それでもぼくには効果抜群だった。

うまく撮れるかわからないと思った。
アパレルっぽく撮ったことないと思った。
おしゃれにってあまり意識して撮ったことないと思った。

でもやろうと思った。


フィルムには感情が写る


きれいに撮れて何枚も撮り直しがきくミラーレスの一眼カメラでもなく、思い出として残す昔ながらの雰囲気を漂わせているフィルムカメラに取りつかれたのは大学4年生の時だった

元々「写ルンです」を買って旅行に行くことはよくしていた。日常的に写ルンですを持ち歩いている時期もあったし、バックパックでベトナムに行った時も写ルンですが相棒だった

はじめて海外に一人で行った。それが蒸し暑いベトナムへのバックパックの旅だった

ベタベタと汗でへばりつくTシャツとは裏腹に、どこにいても心許ない寂しさが常に心を震わせた

学生のうちにやれることをやっておきたい。という無謀なまでにまっすぐな大学生らしいもっともな理由で出た一人での海外は、思ったよりも孤独だった

朝起きても知らない人しかいない。ツアーに参加してもほかに一人の人は韓国人しかいない。夜ごはんもいつの間にか決まった店に行くようになって、気づいたら1日だれとも話さない日もあった

そんな中で写ルンですは孤独の心を残してくれた、あの時の寂しさや虚しさは持って行った写ルンですの中に確かに残っていた


現像から戻ってきた写真には人は映っておらず、大抵どこかに一人で行った景色や食べ物などが写真になって帰ってきた。
それが言わずともすべてを表していた。


思い出を蘇らせる現象


そこで現像の楽しみを知った、現像がどういうことか知った

長い間持ち歩いていると過去に撮った写真はずっとカメラの中に眠ったままで、iPhoneのカメラロールにもないからすぐに見返すこともできない。カメラのキタムラに持っていったときに初めて写真として蘇るのだった

記憶がよみがえる
思い出がよみがえる
あの時の風景、音、におい、すべてがよみがえる

記憶を鮮明に思い出させてくれるそんな写真を撮りたいと思った。
もっとその時の記憶を生々しく残してくれるそんなカメラで撮りたいと思った。

そこで出会ったのが一眼フィルムカメラであり、MINOLTAだった

そのMINOLTAでぼくは撮り続けた

夏の甘酸っぱい浴衣姿と花火大会
秋の金木犀の香りが漂う中ゴンドラから見下ろした紅葉
時には鍋をつつきあう何気ない日常
冬の寒さで息が白めきながら見たイルミネーション
春のどこかせわしなく別れが募る桜並木

現像した写真は当時の思い出を蘇らせる

「カメラのぞいている時いつも楽しそうだよね」
ファインダー越しに当時付き合っていた彼女から言われたことも。


全て思い出を鮮明に思い出させるのである


“カメラマン”として


思い出を撮り続けてきて、やっと人に認められた。
写真を撮っている人っていう認識がされていることに、なんとも言い表しがたいうれしさがこぼれた

武者震いというのだろうか、撮り続けてきたことが実を結んだという事実に心が震えた

別にこのために撮ってきたわけじゃない。
別に誰かに必要とされるために撮っていたわけじゃない。


好きで撮っていた。
好きだからこそ撮り続けていた。

好きなこと
だから、やる。と応えた

誰かのために撮るのではなく
自分のために撮り続けていたフィルム

その活動の事象が逆行し
自分のために撮り続けたことが
誰かのために撮ることに繋がった


そしてぼくは、
ぼく自身のために撮り続けていたと思っていた写真が、いつの間にか誰かのために撮り続けていたんじゃないかと思う

カメラロールを振り返ると
誰かを写している写真ばかりであるのがそれを物語っている


ずっと何かを探していたような
きっと答えは知っていたけど
そう考えることが怖かったんだと思う

自分のために撮っていると思い続けていたら楽だった。でも、その誤魔化しももう効かない

ぼくは誰かに喜んでもらいたくて写真を撮るようになっていた
だから誰かから必要とされることがとても嬉しかった


ぼくは体の内側から何かが湧き出して感情という波が頭の中を覆った。写真を撮れる人という認知がたまらなかった

その時の感情を写真に反映させようと
ファインダーをのぞいたが
なぜか、視界が滲んでピントが合わなかった


また自分にカメラを向ける


今日は出掛ける
カメラをもって今日は出掛ける

いつもの定位置にあるMINOLTAは今日もそこにいるが何か違った。
いつもよりもどこかそわそわしている

秋風がそよぐ最近に合わせて
ぼくはお気に入りのハンチングを取り出し
今日のコーディネートを鏡の前で確認した


ひどく口元が緩んだ情けない顔が映っていた


いや
そわそわしているのはぼくの方だった


いつもよりカメラを向けるのが楽しみで浮足立っているのがばれないように、MINOLTAのせいにしようとした


東の窓から潮風がカーテンをなびかせている
その切れ間からは青く澄んだ海がキラキラと輝いている


「今日はどんな写真が撮れるだろうか」


いつもより軽い足取りで玄関に向かい
いつもより多めに鏡の前でカメラを構えるポーズをした




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