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豊かな世界を創るって、個人の豊かさを追求することだろうか

 自分と世界の豊かな状態をチームで考えて創り出しているのだが、最近はそれが難しすぎる。どういうことかと言うと、自分の感じる豊かさは人それぞれ違っていいと思っているので、答えを出すのは無理ゲー過ぎないかということである。

 もちろん、その議題についてディスカッションしたり、ディスカッションを通じて仲間となったり、自分自身の理解度も増すかもしれないから、過程においてはすごく楽しさというか、実感を伴う。だが、そこで出す解にそんなに現実味を感じられなくなってしまった。

 今回POOLOに入った理由は、「自分や他者の考える豊かさについて知り、そこから考えを深め、豊かさとは何かを言語化すること」にあったのだが、他者にとっての豊かさを知ることが何だろうか。
 自分の中の視野が広がった、知見が増えた、としても結局は自分の世界の中の豊かさでしかない。結局、人の考えを拾い集めたところで、変わるのは自分の中の豊かさでしかない。

 実は先日、同期の住んでいる和歌山の古民家にお邪魔した。冬に訪れた時とは変わり、草木が芽吹いていた。すっかり日中の気温も上がったことで、外の縁側にあるソファで風景を楽しんでいた。ふと、気が付くと余分な音は削ぎ落され、空と森との境目がはっきりと映り、足の裏は地面に張り付いていた。次の瞬間、「うわ~豊かだなあ」と心の底から感じた。


 土鍋で炊いたご飯、森で採れたタケノコの煮つけ、大豆の味が濃い豆腐汁、楽天モバイルの電波が届かないここではデジタルデトックスが自然にでき、実際に自分で食べる分のタケノコを獲ったり、料理するための薪を自分で割ることもする。何もないからこそ、何もしない。何もしないからこそ、今この瞬間を生きるためにいる。余暇や余白に溢れたこの空間では、丁寧に一生懸命命を燃やして暮らすことが一番のやることになる。そして、そこに豊かさを感じてしまった。

 だが、これを都内に住む中間管理職の人や、若者にとって豊かな時間だと言えるのだろうか。ましてや、自分の友達の中でも、何もしない時間を一生懸命暮らすことに苦痛だと感じる人もいるかもしれない。彼らにとっての豊かさと自分にとっての豊かさは違うのである。
 しかし、自分の豊かさを「豊かだと言えよ!」と思っているわけではない自分がいる。彼らは彼らで豊かな世界があるわけだから、彼らにとっての豊かな世界を実現したら良いと思う。

 つまり、自分の生きている今の世界が一番豊かかもって、個人個人が全員思えている状態こそが豊かな世界かもしれない。自分にとっての豊かさがあると認識した上で、それぞれにとっての“自分の豊か”さがあることを受け入れた世界が良いんだと分かった。これは大方前回のnote(自分と世界を豊かにするための自己ビジョン1.0)と変わっていない。ただ、あの時よりも自分の中の解像度が上がった気がしている。

 表題に戻るが、豊かな世界を創るってどういうことだろか。
 これは結果論だが、“自分の生きている今の世界が一番豊かかもって、個人個人が全員思えている状態”を創るということになると思う。
 そのために必要な要素としては二つ。

 ①自分の豊かな今をそれぞれが生きること
 ②それをみんながそう思って生きているだろうなと感じられること。

 この二つを兼ね備えた世界を、一つ一つの小さな世界から創っていきたい。結局自分自身がどう思うか、それぞれの思う豊かな世界を明確にして、その中でそれぞれが過ごしていたらそれで良いと思う。まずは個人が一番、だがそれを取り巻く「教育」「環境」「家族」「社会」など個人として生きる上での障壁がいくつかある。これらをどうするか、そして個人にもどのようにアプローチをかけていくか。考えていかなければならない。

 余談にはなるが、自分の所属する会社の先輩がこのように言っていた。

「今の社会はとても便利になっている。便利になっているということは、たくさんのことが省略されているということ。そして、省略されていくことで、逆に寛容ではなくなってきている。つまり、便利さを追い求めていった結果、不寛容な世界へとなっていっている。」
Thinking with Duality: A society that celebrates Itoma | Daisuke Kaneko | TEDxAwaji


 省略→不寛容があまり繋がっていないかもしれないので補足すると、技術が発展してきたことによって人間の数もそれほどいらなくなってきている。今までは人間がやれていた、人間の仕事だったものが機械に変わり、人間の手が必要じゃなくなってきた。人生100年時代の中、生きることは働く事だと置き換えられる今の社会において、働く事すらも必要とされなくなった時に人間はどうなるのか。人間として、個人として生きるってどうなるのか、考える必要がすぐそこに迫っているかもしれない。

 何が言いたいかというと、結局個人にもっとフォーカスを当てるべきかもしれないんじゃない?というとこである。チームで話し合う時、ミーティングの時間、発表の時、仕事でもなんでもそうだが、もっと個人に踏み込んでその人の“豊かさ”を存分に感じて、十分認識してあげるべきなんかなあと思う。もっとありのままで良い、もっと素直でいたい。結果的にその行為が、世界の豊かさを創っていく行為だと思っているから。正解は分かんないし、ないと思うから、まずは自分から、豊かだと思うことを「豊かだなあ」とちゃんと感じて生きていきたい。


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