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深夜のガスト世田谷代田店

深夜のファミレスは、たくさんの人間模様が交差する。多様な人間を受け入れてくれる深夜ファミレスという存在は、フワっと生きてきた私にどことなく安心を与えてくれる。

芸人さんが売れない時代に、ネタ作りの居場所としてよく使いがちなのが、深夜のファミレスだ。

ファミレスから生まれた芸人さんの逸話は数知れない。

かの有名コンビオードリーにもちょっとしたエピソードがある。
売れない時代、若林がドリンクバーだけ頼み朝までネタ作りに励んでいたのに、相方の春日は何も頼まず、『こいつ殺してやろうか』と思うぐらい大喧嘩したという。

今現在はコロナの影響で、深夜営業を取りやめるファミレスが相次いでいる。

オードリーのような、深夜ファミレスを舞台としたエピソードが、ラジオで語られることもなくなってしまうのか....と思うとなんだか寂しい気持ちになってしまう。

そんな、思い出深い「マイファミレス」が私には存在する。

それがガスト世田谷代田店だった。


私は2年前まで、世田谷代田のワンルームに住んでいた。
一番の最寄駅は世田谷代田だが、ギリギリ下北沢も歩けるということで、人の説明する時は「下北沢に住んでる」と言い張っていた。その方がわかりやすいってのもあったし、創作人のまちである下北沢に住んでいるというステータスが少し誇りとしてあったからだ。

部屋に一人でいるのがしんどくなると、環七沿いをチャリで走らせ、ガスト世田谷代田店によく逃げ込んでいた。

例えば、新卒で働いた現場があまりにもしんどかった時、ポテトとほうれん草炒めを食べながら、又吉先生の「夜を乗り越える」を読みほろほろ泣いていた。

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ファミレスは一人で泣いていても、誰も構わないでほっといてくれる。私のところだけ別世界であるかのようだった。

好きなだけ泣かせてくれて、飽きるまでドリンクバーの清掃の音を聞き感傷に浸ることができる。そうやって辛い夜を乗り越えることができた。

また、ある時は友達の大きな節目をガスト世田谷代田店で過ごすこともあった。

3年前の冬、近所に住んでいた役者の女の子から
『誕生日をひとりで迎えるのは寂しい』と連絡があり、彼女の28歳の瞬間を一緒に過ごすことにした。

今はほとんど使うこともない、"117"番を押してスマホのスピーカーをオンにし、0時ちょうどの時報を耳に刻み込んだ。

あの時はお金がなくて、スーパーの見切り品ばっか食べて生活をしていたのだけれども、その日はクーポンを使ってビーフシチューを頼んでプチ贅沢をしてみた。

その後、その彼女から妊娠と結婚の報告を同時に受けた。旦那さんも知っている人だし、自分のことのように嬉しかった。あの時のビーフシチューの味は一生忘れないであろう。


私は来月、その当時の彼女と同じ28歳になる。

『28歳になる東京オリンピックの時は、パートナーと陸上競技を観に行って、そこで結婚しようと言われて、人生良い感じになってるといいなぁ〜』
とふわふわと妄想をしていたが、私は相変わらず独身を謳歌してしまっているし、紆余曲折あり結婚願望自体全く無いことに気づいてしまった。何なら東京オリンピックも今年は無くなった。
未来は本当に予測がつかない。

深夜のファミレスという、私の安寧の地は、このご時勢により存在自体無くなってしまうかもしれない。その時はまたイチから別の安寧の地を作ればいい。悲観してばかりではいけない。世の変化は受け入れないといけないし、居場所はいくらでも自分で作ることができる。

寝れない辛い夜がまた来たとしても、乗り超えてみせるのだ。

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