歳を重ねる
老いを感じる瞬間は誰にでも必ずあるだろう。
その瞬間は共通しておらず、動きの鈍さや物忘れのしやすさであったり、ふとした瞬間に思う。
しかし、いくつになったら老いるかというのは明確には規定されていない。
高齢者とは一般的に65歳以上とされているものの、65歳以上の人が皆老いを感じているかどうかは定かではない。
人によっては今が全盛期という人もいるだろうし、65歳を超えてからジム通いを始めて、今までで一番体にキレがある人もいるだろう。
つまり、老いという概念は主観的なものであって、周りの人が、「あの人は大分老いたね。」と言おうとも、最終的に老いてるか老いていないかを決めるのは自分だ。
老いることは悪い事ではない。生きているのであればどの生き物も老いることから避けては通ることができず、老いを経て死に向かって生きていく。
生きていく中で老いるということは生を実感できる素晴らしい現象である。
少し宗教チックになってしまったが、老いることは必要だと言いたかった。
じゃあ、老いは主観的なものだとすると、若くして自分が昔に比べて老いたと感じる人は本当に老いているのか。
そういう人もいる。しかし、大半はここでいう老いには当てはまらないだろう。
「老いている」ということを言い訳にしているだけじゃないのか?
老いていると同じ意味で、歳を取るという言葉が使われる。
歳をとったから物忘れが激しいのは仕方がない。
歳をとったから肉体に負担がかかるのは仕方がない。
歳をとったから激しい運動ができないのは仕方がない。
仕方がない?
仕方がない????
本当に仕方がないのか???????
歳をとったから仕方ないという言葉を使って逃げているだけじゃないのか。
本当はやりたい事がたくさんあるのに、歳を言い訳にして諦めて、年下には、「若いうちにやりたいことはやっておけよ。」と人生の先輩ぶって偉そうに喋るんだろう。
さぞかし気持ちがいいんだろうな。
自分ができなかったことを後輩に託すような感じで、それを肴に安い酒をチビチビ飲む毎日。
そんな生活が幸せならば、それでもいいのだろう。
ただ、そんな人生の先輩の言う事なんてものは、これから活かせるような事は一つもないため聞きたいとも思わない。
良くて反面教師、悪くて人以下の存在になるだろう。
私から見れば、ただの言い訳にしか聞こえない。
しかし、当人からすれば自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。本当はやりたいけれど、歳をとってるから無理だと断定までしてしまう。
だとしても、歳を言い分に使っている事に変わりはない。
家庭をもったり、仕事がらみでできないことはあるだろうが、老いが理由でできないことは一つもない。
やりたいことがあるのであれば、それをやるべき時は今であって、過去の自分ならやっていたな~と思い返す暇なんてないのだ。
老いるということは素晴らしいからこそ、あまり軽い気持ちで老いを感じさせられるような言葉は使ってほしくはない。
それこそ、歳を言い訳にして何もしていない人にはなおさら言ってほしくはない。喋るな。
老いは主観的とは言ったが、それを口に出して話されると酷く不快だ。夢も希望のない老いた人と話すことなんて言うものは何もない。
自分のしたいことをやり尽くして、武勇伝を語れるくらいになってからが初めて、「歳を取った」と言えるのではないだろうか。
私はそういう人間、そういう老人になりたい。
皆もそう思わない?
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