人間性を意図的に高めることは不可能

人間性。それは人間が生まれながらに有している性質である。

他人に対する思いやりや、理性、倫理などの、人間が持つ特徴の事である。

人間性が高い人は周りからの信頼も厚く、あいつなら何とかしてくれるというように頼りにされている人であり、逆に人間性の低い人は周りから虐げられていて、あいつがきたところでどうにもならないと邪魔もの扱いされてしまう。

人間は他人の評価の下に生きているわけだから、誰しも人間性が高くありたいと願っているだろう。

ただ実際に、人間性が極端に低い人は中々いない。

誰だって普段は人間性が高い状態で日常生活を送れる。意識しているしていないに関わらず、それが社会の規範であるから当たり前のようにできてしまうのだ。

小学生の低学年の頃の道徳は、人間性を作るための授業でもあり、そこである程度人間性を作り上げてしまえば、それに背くような行動はとりにくくなる。



しかし、全ての人がどんな状況でも人間性が高い状態で居られるかというと話は変わってくる。人間性というのは自分が追い詰められていくほどボロボロと崩れていく。

つまり、追い詰められる前の余裕がある状態の人間性を評価するということ自体が、大間違いであるということだ。

それは人間性が高いのではなく、取り繕うのが上手いとか、人付き合いが上手いとかそういう話であって、人間性の良し悪しには繋がらないだろう。



人間性を高める方法としては追い詰められた状態の場数を踏むというのが手っ取り早いとは思うが、そのような状態はいつも急に訪れるため、意図的に作り出すことは不可能である。

しかも、そういう状態を何度も経験してしまうと慣れが生じてしまい、追い詰められた状態は再現できなくなってしまう。


もう一つは、自己啓発書を読んでアウトプットをするという方法がある。

しかしながら、知識をインプットすることまではできたとしても、アウトプットにまで至る人というのは限りなく少なくなってしまう。

一度アウトプットをしたとしても、それを継続的にしていなかなければならないため、かなり難しいことになるのは覚悟をしておかなければ挫折して諦めることにもなりかねない。


ここで私が言いたい事は、人間性は高めようと思って1日や2日で効果が出るものではないということであり、高めようと思っていたら長い年月を要し、気が付かないうちに高まっているというのが定石ではないかと思った。

似たようなものでは筋トレがある。

筋トレも効果が出るまでには三か月かかると言われており、毎日自分の体を見ていれば自分の体の変化に気づくことは中々できず、周りから言われて初めて筋肉がついてきたことを自覚するだろう。

人間性もまったく同じで、友人とかに、「なんか変わった?」と声をかけられることで初めて実感するものだと思った。


自己啓発書っていうのは、読み終えた後は実践すらしていないのにも関わらず、なぜか読む前の自分よりも成長した気になる。

その理由として、今まで自分一人では考えようもなかった本の内容が頭の中に入ってくることで、自分は色んな知識を蓄えていつでも実行できると勘違いしてしまっているからだろう。


自己啓発本を読んでいる人を何かと馬鹿にする記事をたまに目にすることがあるが、本自体が悪いのではなくて大半は読み手側の方に問題がある。

変えようと思うならば、頭に入っているのだから後は行動するだけと思いがちではあるが、その行動ができないから本を読んで満足しているのだ。


下手に知識ばかりをつけてしまうと、頭でっかちになりがちだから、知識と行動は結び付けて考えなければならない。

そうして初めて自身の成長に繋がり、自己啓発本を読んだ意味が見つかると感じた。

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