見出し画像

「お金」と切り離された働き方の未来

大手企業に勤めていると、だいたい55歳でポストオフ(役職解任)を迎えます。現在の定年退職の推奨年齢は70歳とされていますが、これは近いうちに義務化されるとも言われています。つまり、大手企業に勤めている人は、55歳から70歳まで、最大で約15年間、昇進や昇給からは無縁の働き方をしなければならなくなるということです。その状況が差し迫ってくるサラリーマン生活のほぼ中間点、50歳手前あたりを分岐点として、前半と後半とでは賃金に対するスタンスが変わってくることは意識しておかなければなりません。多くの働く人にとって、「お金」は、労働の対価として「頑張って稼ぐ」ものから、生活を維持するためのものへと、その意味合いが変化して来ざるを得なくなるのです。

お伝えした通り、ポストオフ後は、頑張ったからといって給料が上がるわけではありません。多くの企業では、60歳前後で定年を迎えると、それ以降の給料は現役時代の約60%に減り、労働契約も1年単位での更新となります。人事から「○○さん、とりあえず1年、再雇用延長でよろしいですか?」と聞かれるだけで、定期昇給やベースアップは一切なくなります。「お金」をモチベーションとする働き方はできなくなってくるのです。

高度成長期、会社員の定年は55歳でした。『サザエさん』の波平さんを思い浮かべていただくとわかりやすいのですが、波平さんは55歳で仕事から完全に引退し、その後は年金や恩給、つまり現在風にいうと、ベーシックインカムを唯一の収入としていました(のはずです)。当時は、地方にあまり必要のない保養施設を多数建てるほど、年金の財源が豊富でしたが、現在はそうではありません。将来においては、年金が当てにできないと言われています。2021年9月の経済同友会のセミナーで、当時のサントリー社長だった新浪氏は「45歳定年制にして、個人が会社に頼らない仕組みが必要だ」と述べました。これを、日本企業における事実上の終身雇用の崩壊と受け取った人も多いようです。国も会社も守ってくれない時代、誰も守ってくれないから自分のことは自分で守るという「ネオリベラリズム」の象徴的な状況が生まれ、キャリアにおいても、常に個人に自律性が求められるようになりました

20世紀の社会心理学者ジョージ・ハーバート・ミードは、「社会的自我論」と呼ばれる理論を提唱し、「自我(self)」を2種類に区別しました。1つ目は「I」と呼ばれる自我で、自発的かつ創造的な、個人の主体的な反応を示す部分です。これは、外部の影響を受けずに自由に行動する自分とも言われます。そしてもう1つの自我は「Me」と呼ばれ、他者や社会の期待に応じて自己を捉える部分を指します。これにより、個人は社会的な立場や状況に応じた行動を取ることができるとされています。「I」と「Me」は互いに対立するものではなく、個人の行動を形成する上で相互に作用し合い、これによって個人は社会に適応しながら独自性を保ち、発展していくとされています。

以前、ある会社でキャリアデザイン研修を実施したことがあります。研修の冒頭で、社長が研修の主旨や意義を受講者にお話しされました。その後の質疑応答では、なかなか自発的に手が上がらない空気の中、進行役の方が一人の受講者を指名しました。その方は何も準備していなかったようで、おそらく突発的に思いついた質問をされました。「社長はどうやって社長になられたのでしょうか?自分の今後のキャリアのためにお伺いしたいと思います」。

社長は少し間をおいて静かに答えられました。「会社から与えられたことを1つずつ、しっかりこなしていたら、気がついたらこうなっていました」と。その期待に反する答えに会場は一瞬シーンとなりました。しかし、社長は続けてキャリアについての考えをしっかり説明されました。つまり、自分のキャリアは実務をこなして昇進しただけのようなものであって、そこに反省があると。それを管理職時代に受けたキャリア研修で痛感し、もっと若い時にキャリアを考える機会があればよかったと感じた。そのために、いまは社員全員にキャリア研修を受けてもらっていると説明されました。

つまり、昇進や昇給は会社からの期待される役割である「Me」を超えることで達成できるということです。役職や給与が上がることをモチベーションにして、どんどん「Me」を超えていけば、こちらの社長がおっしゃったように、社長にだってなれるのです。しかし、社長は、ご自身の会社人生は「Me」を超えるだけものであり、社長になるまで「I」の存在を考えることはなかったと振り返りされました。

言うまでもなく、ポストを離れた後は、「Me」を超えたからといって、役職やお金で報われることはありません。「よく頑張ってくださいました」「お疲れ様です」と言われるだけです。

給料が6割にカットされ、1年更新で働くことを隷属的で屈辱的だと感じる人もいるようです。特に現役世代で、かつての上司や先輩がそのような働き方を選択しているのを見て、そう感じる人が多いようです。しかし、実際の統計データによると、約80%の人が定年後の再雇用を希望しています。最初は威勢が良くても、定年が迫ってくると最も現実的な選択に落ち着くというのが実際のようです。

定年を迎えると同時に、かねてからやりたかったこととして起業する人もいます。一旦退職してから、元の企業と業務委託契約を結びコンサルタントとして働くケースも最近は増えてきました。役職定年のない中小企業に転職する人もいます。それでも、会社に残ることが「負け組」だと言っているわけではありません。一部の人はそのように感じるかもしれませんが、そこでの協働に喜びを見出し、現役時代には感じられなかった幸せを味わうことができるのも再雇用時代かもしれません。

いずれにしても、お金を稼ぐという「他律」から切り離された後は、「I」という「自律」の駆動なしにはキャリアを形成することはできません。この「I」の駆動によるキャリア形成を「キャリア自律」と呼ぶのです。

最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。