戯曲の隙間
久しぶりに戯曲を書いた。
ここ最近、小説ばかり書いていたのでなかなかに勝手が違う。
考え方はいろいろあるけど、自分は演劇は役者の為のものだと考えている。
だから戯曲は設計図にすぎない。
具体的に言えば、感情表現は役者にゆだねる。
ここが小説との大きな違いだなと思う。
一人称小説などを書いていると、感情の動きを書き込むことが多い。(特に純文学と呼ばれるジャンルはそうだ)
しかし、戯曲で感情の動きを台詞として書き込んでしまうと、演技の足枷になることがある。
戯曲はあるていど隙間があったほうがいい。
もちろんこれは、タイプによって違う。
作・演出を行う人で、自分の世界を完璧に具現化したいタイプの人は、役の感情の動きも指定することもある。
役者にしても、指定してもらったほうが役作りしやすい人もいれば、役の感情まで指定しないで!と反発する人もいる。
小説と戯曲、書くのは同じだが案外ルールは違う。
しかし、劇作家で芥川賞にノミネートされる人だっている。
器用にわけられる人が羨ましい。
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