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シンガポール追放~辛亥革命への道⑰

英国警官の手によって、シンガポールの監獄に入れられた宮崎滔天。

不便と思われていた監獄生活だったが、日本の牢屋と違って天井が高く、煉瓦壁が分厚いので暑さを感じることもなかった。

宿屋にいるより快適なほどだった。

翌日から審問が開始された。

看守長は一回の訊問で放免になるだろう言って、賄賂を要求してきた。

実は宿屋の女将が宮崎のことを非常な金持ちだと言って、牢を出れたら幾らでもお礼を出すだろうと伝えていたからだった。

賄賂を渡すと牢屋の中にいながら、酒以外はタバコも食料も自由に差し入れが許された。

宮崎滔天が牢屋に入った三日後には、孫文達がシンガポールに入国してくることになっていた。

宮崎は捕らえられる際、宿屋のボーイに自分が拘留されていること、上陸のさいは注意するよう知らせるように伝えていた。

孫文の工作もあり、康有為暗殺の嫌疑はすぐに晴れたが、三万円という大金が革命運動の嫌疑の種となり五年間のシンガポール追放が命じられることになった。

宮崎滔天の獄中生活は七日で終わったが、この間に運動場でマレー人、支那人、ヨーロッパ人の友達ができていた宮崎は、監獄を出るのに後ろ髪引かれる思いだったという。

宮崎滔天は孫文と再会すると無事を祝し、シンガポールを後にした。

こうして、南洋一帯で遊説し軍資金を集め、支那内地に上陸ようとした目的は挫折した。

そこで、香港を根拠地として内地へ乗り込み挙兵しようと計画を変更した。

ところが、香港でもまた追放命令を受けることになるのである。


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