ビスポークの靴の話


ビスポークの靴に縁があるのか、二足のビスポークと一定期間、時を共にした。

私が、靴をビスポークしたという大それた話ではない。
ビスポークの靴に奇しくも出会い、時を共にした話しだ。


一足は、バーガンディ色の、革種はリザードだったと思う。
オペラシューズなのか靴紐はなく、甲とかかとのみを覆うデザイン。ヒールは高め。
ジョージ・クレバリーのビスポークだ。
オーダーした方が、脚の長さが左右異なる方だったのだろう。ヒールからボディにかけて目立たぬようにデザインしながら、右の靴は3、4cmほど左より高かった。

学生の身には少し清水の舞台から飛び降りる価格だったが、どうせ飛び降りるならこの靴で舞台を踏みしめたいという思いから求めた。

この靴には、ジョニー・モークの店で出逢った。一目惚れだった。ロンドン、キングス・ロードの最終地点に店はあった。
店構えとして、主にジョニー・モーク自身がデザインしたシューズが並ぶのだが、後ろの方に、モッズコートや、トレンチコート、時代もののファッションアイテム、服飾がならぶ一角があった。聞くとそれらはマーケットで物色した成果のコレクションだった。マーケットとは、決まった曜日に開く市のことだ。
その中に件の、ジョージ・クレバリーのビスポークシューズがあった。
履かせてもらって、上記のようなキヨミズ的心境になって、連れ帰った。

左右高さの違いがあることから、そのままでは履けない。当時寮に住んでいたが、金槌と部屋の一番硬いところ(ベッドの端)を打ちつけて、ヒールをどちらも取り除いた。
翌日からこの靴をよく履いた。形からして中世的なせいか、どんなコーディネイトにも良く合った。
すれ違いざまに良く声をかけられた。
「素敵なシューズだね。」
「よく似合ってるね。」
「どこで手に入れたの?」
「COOL!」

良い靴は、良い場所に連れて行ってくれるということわざがあると友人に教えられたが、まさにその通り。ご機嫌な靴は、ご機嫌な世界に連れて行ってくれた。


靴のデザインを学校で勉強し終え、これからフランスのシュー・メーカーに修行に行くという友人に餞別としてこの靴を贈った。のちにこの友人は、ドイツでアトリエを構えるビスポーク・シュー・デザイナーになった。
大阪にトランク・ショーで来ていた彼に10年ぶりに会った。あの靴は片方はドイツの彼のアトリエに。片方はフィレンツェでビスポークを手がけるシューデザイナーのところに行き、愛されて、そのデザインをリスペクトした作品も作られたらしい。

今はジョニーは店を閉めたと聞いた。閉められた経緯も少し寂しいストーリーを伴っていて、胸が痛んだ。しかしジョニーの靴への愛は、掘り出したクレバリーの靴ひとつとっても、かくのごとく国をまたぎ、時をまたいで伝えられている。

案の定、話が長くなった。

もう一足のビスポークの話はまたいずれ

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