アベのマスクの効用

 ジムが営業再開し、スタジオはマスク着用が義務化されている。不愉快だが、参加するためには着用せざるを得ない。
 水曜日のインストラクターが「布製のマスクの方が、呼吸がラクですよ」と言っていた。そう、不織布などの紙製は呼吸がキツイ。
 家の隅に捨て置いてあったアベのマスクを使ってみた。確かに呼吸がラクである。小型なので横にも下にも、空気抜き空間が簡単に作れる。
 運動後は汗で濡れるので、そのまま洗濯機に放り込む。「繰り返し使えて、便利である」、なんか政府広報のようになってきた。
 もともとマスクなど「気休め」以外のナニモノでもない、と確信している。ジムのマシンエリアも2台ごとにビニールフェンスで仕切られているし、飲み屋のカウンターにもビニールシートが垂れ下がっている。
 店の側は営業なので、出来る限りの努力する姿勢を示している。
 しかし、どう見ても気休めに過ぎない。太平洋戦争中、B-29のナパーム弾爆撃に、竹やりとバケツリレーで対抗した滑稽な姿を連想してしまう。
 マスクなど単なるマナーである。感染防止の役割など限りなく低い。
 そう言えばオモシロイ論説が出ていた。イギリスで「ロックダウン教授」と呼ばれた人が、「こまのの何もしないと、何十万人の感染者と、何千人の死者が出る」と予測し、ロンドンなどを都市封鎖させた。
 その教授が、何もしなかったスウェーデンの現在の状況は、イギリスと同程度であると認めた。
 「自粛には、何の意味も効果も無かった」と認めてしまった。
 さもありなん、である。我々はインフルエンザをはじめ様々な感染症と同居している。感染力が強いモノ、致死率が高いモノなど常に生まれては消えていく。
 それが「新しい病と免疫力の戦い」の当然の帰結である。
 みどりのタヌキが「夜の街」からクラスターが発生していると、エラそうに新宿界隈の木金パトロールを始めるらしい。
 「カイロ大学・首席卒業」という学歴詐称を認めて、さっさと退場しろ。
 日本が2か月もの間、経済を絞め殺しつつ行った自粛には何の意味も無かった。1億2千万人で息を殺して「気休め」を行っていただけである。検査も行わず、感染者を隔離もせずに、いまだに誰が感染しているのか分からない。
 疑心暗鬼のみが獲得物である。飲み屋など哀れな被害者である。
 どのみちビョーキとは共生せざるを得ない。相互監視の村八分的な視線の方が、遥かにタチが悪い。
 コロナで死ぬ人間には、死んでもらうしかない。生物は常にそういった絶滅と生存の危機を潜り抜けて来た。
 マナーと気休めのために経済活動を犠牲にするなど「愚の骨頂」である。タヌキと一緒に湖の底に沈めたほうがイイ。
 人生など、誰にとっても「危機と背中合わせ」である。カジノなんぞを作るより、人生の危機を笑い飛ばせる感性を磨くべきである。
 安倍晋三などもはや令和最初の犯罪人として、永遠に歴史に名を遺すであろう。ただ殺すのではなく、苦しみと恥辱にのたうち回りながら死に追いやるべきである。
 いかしアベのマスク、これほど呼吸がラクだということは、気休めとしての効果も無い、ということか。

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